彗クロ 3
3-7
岩陰で繰り広げられる殺陣は、色濃い暗がりと砂埃に紛れつつも、揺れる馬上からはっきりと見て取れた。フローリアンが意外な俊敏さで賊を引っ掻き回し、その隙に、ルークが何気ないほどの剣捌きで的確に急所を突いていく。互いの持ち味で互いを補い合う、即席とは思えない絶妙なコンビネーションだ。
ルークは言うに及ばず、もう一人の『オマケ』も存外の格闘能力だ。「実は結構強い(本人談)」とは、まんざら大袈裟でもなかったらしい。
しばし呆然と見とれてしまったのち、レグルははっと我に返った。
「おっ、おれも……!」
「レグル君、キミは自分で思っているより賢い人だよ」
背後から婉曲に足手まといだと諭され、馬上から飛び出しかけたレグルはむっつりと口を引き結んだ。普段ならば脊髄反射で反発しているところを、いま感情と運動神経の直結ラインを阻害しているのは、左腰に帯びた得物の重さだ。
刀は、抜けるようにはなった。だが、ためらいが完全に払拭されたわけではない。練度は言うに及ばず。勢い込んで飛び込み加勢したあげく無様に足を引っ張る自分の姿が、いやというほど想像つくのだ。
アゲイトは力強い手綱さばきで、砂塵に霞む岩場へとトカゲを突撃させた。顔中の産毛を焼くような熱気から、一瞬で、毛穴も縮む冷気の中へと放り込まれる。急激な温度差と遮光で軽い眩暈を起こすレグルを尻目に、同じ条件下、しかも砂埃も沈着しきっていない不明瞭な視界で、譜銃をためらいなくぶっ放すアゲイトは大概イカれている。胡散臭い色眼鏡は、あるいはこのためだったのか。
黄色にけぶる前方で醜い悲鳴が散発した。タイミングからして命中したらしい。デタラメだ。
金属のぶつかりあう音がこめかみに痛い。戦闘は続いている。駆け抜ける視界に見慣れたシルエットが飛び込んできたが、一瞬だった。
剣戟のすれすれを勇敢に突っ切ったオオトカゲは、手綱に応えて首を返した。絶えず走り抜けながら殺陣の中心へと戻るべく鋭い弧を描く、そのわずかな減速の瞬間、
岩場の暗がりに不自然な影が――
「――いた!!」
「えっ、レグル!?」
そうと思ったときには、レグルは馬上から前のめりに転げ落ちていた。でんぐり返りの要領で受身をとり、背後から呼び止める声にかまわずそのまま駆け出す。
……どうせ馬上にいても足手まとい扱いだ。馬の負担になるぐらいなら、戦場から遠ざかっておいたほうがよほど役に立つ。その上で、足手まといなりにできることをするしかない。
たとえば、退路の確保だ。
「つ――っかまえ、たぞ、んにゃろ……っ」
砂地にさんざ足をとられてぜえはあ言いながら、レグルはやっとのことで目標物の手綱を引っ掴んだ。
戦場から半端に離れた日陰に身を潜めていた脱走トカゲは、最小限の動作でレグルを冷え冷えと一瞥し、また最小限の動作でそっぽを向いた。真っ先に遁走こいた分際で実にふてぶてしい。
疲労やら不条理やらもろもろの八つ当たりをこめてトカゲの脛を蹴りつけようと反動をつけた瞬間、後ろに振り上げた足首が硬い違和感にぶち当たった。唐突に無理な力で引っ張りあげられ、関節がぐんと伸びる。あっという間に上下の感覚がひっくり返った。不自然な重力の圧迫に肺を押さえつけられ、驚愕と焦燥による悲鳴は語尾がカエルの鳴き声みたいに情けなく潰れた。
頭のてっぺんに血液が殺到する感覚。全身の筋肉が変に伸びきってぎしぎしと痛い。両手がばんざいをして頭の下を揺れている。……ぶざまな宙吊り状態だ。
背後に感じるのは、がっしりと体格の良い人間の気配。それが味方の誰かであるはずがない。
足首をつかむ分厚い手に強烈な苛立ちを感じる。……手間かけさせやがって。低くうめくような男の悪態が背筋に不快な虫を這わせる。かろうじて理性的に抑制されたそれでも、レグルのトラウマを刺激するには十分だった。
ルグニカ平野の二の舞だ。銃声は遠い。商談までの時間つぶしにたまたま昼寝をしている奇矯な薬売りなんて、二人目はいない。
脊椎を恐怖が圧迫する。レグルは奇声を上げながらめちゃくちゃに手足を振り動かした。子供と油断していたらしい野盗はあからさまに狼狽した。そもそも曲がりなりにも四肢の自由を残した状態で拘束したつもりになっているあたり、ずいぶんと甘く見てくれているのだ。『前回』に比べれば、事態打開の勝算はある。少しだけ冷静さを取り戻した思考に勇気づけられて、レグルは男が慌てふためいているうちに、より的確に暴れまくってやった。視界を邪魔するように足をばたつかせながら、膝頭を重点的に殴りつける。
「んだこのッ、イデッ!! こん、クソガ――!?」
レグルの抵抗に耐えかねて、とうとう野盗の手が緩まった。
足首の痛みが消えた。勢い余った右足が何かをかすめるように蹴りつけたのを感じながら、ほんの一瞬の自由落下のうちに狙い澄まして、今度は後ろ回りにくるりと受身。脇差がつっかえることもなく、かさばる防砂ケープもきれいに捌いて、咄嗟にしては自画自賛に値する身のこなしだった。まるでルークのように振舞えたと浮き立つ心をなんとか押さえ込んで、低くしゃがんだ体勢のまま隙なく顔を上げる。
野盗は抜き身を片手に、殺気立った肩を怒らせながら、なぜか片手で目元を押さえていた。何か妙だ。様子がおかしい。
「……テメェ……何しやがった……?」
指の隙間からどことも知れぬ中空を睨みつけながら、二十代らしき青臭さの残る野盗が、うなるようにつぶやいた。薄汚れた額には脂汗が浮いている。
凶暴きわまる目つきと歯軋りすら聞こえてきそうな恐ろしい声音に、レグルの防衛本能がやかましいほどの警鐘をかき鳴らした。怯えが先立ち、思わず、抜けもしない柄に手が伸びた。かちゃり――控えめな鍔鳴りが、やけに冗長な残響を引いた、ような気がした。
――銀色のいかずちが一閃した。
前髪の数本が目の前を舞う。一拍置いて、レグルは柄に手を置いたまま息もできずに、もっさりと尻餅をついた。呼吸どころか、心臓まで止まっていた気がする……
野盗の振り下ろした曲刀は、レグルのほんの半歩前で、刀身の半ばまで砂地を裂いて埋もれていた。
冷や汗がどっと全身から噴出した。心臓がどくどくと収縮し、柄を掴む手が震えた。目線を、目の前の男からそらせない。
「――クソガキがああああぁぁぁ!!」
野盗が吼えた。レグルはぎゅっと目をつぶった。駄目だ、動けない、何もできない、殺される――……!
だが、確約されたかに思えた瞬間は、一向に訪れなかった。
そろり、と片方の瞼を上げて窺い、レグルは唖然とした。
野盗はまだそこにいた。ただ、なぜか、レグルのことを見てはいなかった。
「くそっ……クソッ! 何がどうなってんだ……っ、どこにいやがる!? 畜生が……ッ」
曲刀が見当違いの方向でめちゃくちゃに振り回され、虚しく空を切っている。鬼気迫る太刀筋と恫喝の裏に、上ずった脅迫観念めいた何かが見え隠れしている。まさか……恐怖?
「レグル無事っ!?」
駆けつけてきたのは意外にもフローリアンだった。軽快な動作で余った速力を殺しつつ、野盗に対して油断なく構えをとる。が、すぐに異常に気づいて長い睫を瞬いた。