彗クロ 3
唐突に話をふられたアゲイトは、苦笑しながら立ち上がった。重い背負子をわざわざ背負いなおしながら。
「してきちゃだめ。保護者さんも連れてってくださいな」
「ニッシッシ。仲間に入れてあげないこともないよー?」
「うん。行こう、レグル」
「えっ……お、おう」
ルークが当然のようにレグルの手をとって、促すように引っ張った。二人並んで長い長いスロープを小走りに下りていく。フローリアンはその場でいやっほいっとひと跳ねしてから、はしゃぎまくった大股で二人の後を追った。アゲイトはしんがりを悠然と続く。
スロープの途中で一等と二等を追い抜いて、フローリアンがトップに躍り出た。いち早くアーチの前にたどり着いて小さくガッツポーズ、遅れている面々をしきりに手招きする。
あからさまに気乗りしない様子だったレグルの顔つきが、出口に近づくにつれて徐々に変化していくのが痛快だった。アーチの向こうを正面に捉えるころには、目をまん丸にして「うおお……」とわかりやすい感嘆の声を上げるものだから、フローリアンは笑いをかみ殺した。
――地下に、空中都市があるのだ。
広大な、広大な空間だった。長ったらしいスロープの道程は、遺跡全体の深さの半分にもならないのだ。奥行きはさらにデタラメ。見渡しただけでは全体の形状が把握できない。天井に隙間があるのか、ところどころから差し込む光芒が、埃っぽい空気の中、全体をぼんやりと浮かび上がらせている。地上の八角ドームと同質の、神秘的な石造りの遺跡。
幾本もの空中回廊が複雑に交叉しながら、入り口のある中層部を縦断している。経年劣化とうっすら積もった砂塵による、ざらざらとした感触をためらいなく踏みながら、フローリアンは手近な交叉路の欄干から身を乗り出した。遠くは青黒く、下方はさらに淀んで暗く、底が見えない。思わず、ため息交じりの感嘆が口をついて出た。
「ふぁぁ、すっげぇ……」
「ザオ遺跡だよ。大昔はこんなところにも人が住んでいたんだ」
「それ、創世暦時代!?」
ぱっと顔を輝かせて、フローリアンは首を振り向かせた。アゲイトは柔和にうなずき返した。
「そう。もともとは、オアシスのある西端まで連続する大都市だったらしいよ。二千年前の天変地異で一帯が砂漠化して、文明自体が滅んでしまったんだって」
「ってことは、コレそのまんまセフィロトでフローティングしたんだ! うわー創世暦技術パネェェェェー!!」
「あー……そういう風に考えたことなかったな……」
隣で、同じく欄干の下を覗き込んでいたルークが、妙に感心したようにつぶやいた。そのさらに隣のレグルは呆然と遺跡の底を凝視するばかりで、言葉もない様子だ。
いい感じに興に乗ってきた。フローリアンは爪先立ちに並んでいる二人の背後に回り、「よっしゃー探検だー!」と一声、隣り合って欄干の上に置かれているルークの左手とレグル右手を強引に引っつかみ、天高く「おー!」と突き上げてやった。
「てんめっ、あにすっだコラ!」
「にゃっははははーっ」
怒鳴りつけられてもなんのその、フローリアンはハイテンションではしゃぎながらレグルの追撃から逃げ回った。ゆっくり行こうねー。アゲイトのにこやかな声が追ってくる。
長い長い歩廊が続いた。非日常的な空間にアクロバティックな高所ときて、多少の退屈も単純な興奮に押し流される。もうこうなってくると、天井の切れ目から流れ落ちる砂の滝にさえ感嘆してしまう。ちょっとした観光気分だ。レグルをからかいつつあっちこっち目移りしているうちに、自然、フローリアンはしんがりになりがちだった。
直線的な道をしばらく進み、断崖のようにそり立つ壁に穿たれたアーチをくぐると、目の前にはまた果ての見えない巨大空間が広がっていた。こちらは流砂が多いのか、通路の上にだいぶ砂が溜まっている。少し先には天然の砂岩を加工したような、不恰好な広場がいくつか点在していて、短い歩廊で繋がった簡単な立体交差になっている。
いつの間にか先導に立っていたルークが、少し足を速めた。程近い広場の方々を覗いて回り、中心に近いところで何か見つけたのか、手招きしてくる。フローリアンはレグル「で」戯れるのをいったんやめ、身を翻して広場に駆けつけた。わーお。何度目かの感嘆が漏れる。
なんでもない砂溜まりの真上に、光の塊が浮かんでいた。柔らかな黄金色に輝く、結晶のようにも見える。気体のような固体のような、不可思議な存在感。
「なにこれ!? きれー」
「ああ、第二音素の濃縮結晶だね。珍しい」
遅れてやってきたアゲイトが感心したように声を上げた。同着したレグルは、結晶を視界に入れた途端、何か痛いものを見るように顔をしかめた。
ルークがレグルを呼び、レグルはしぶしぶ結晶に近づいた。
「足環を結晶の下に。できるだけ近づけ……て」
「え、ええぇ……」
「大丈夫。怖いことはなにもないから」
「ばっ、別にビビってなんかねっつの!」
見事なまでに煽られて、レグルは憤然と結晶に向き直った。嫌悪感を隠し切れずに、それでも意を決したとばかりに勢いつけて、浮かんでいる結晶の真下の地面を右足でがっつり踏みつけた。
いったい何が始まるのかと、フローリアンは結晶の真横に座り込んでじぃっと観察した。しばらくはこれといって何も起きなかったが、徐々に徐々に、ブーツと結晶の間の空気の色が変化していくのがわかった。光の塊から足環へと注ぐ、光の滝ができているのだ。
「おー。輪っかが音素を吸収してるんだー」
「なるほどねぇ。音素溜まり(フォンスロット)にこんな用途があったのか。昔の人はすごいなぁ」
うそぶきつつ、アゲイトもちゃっかり自分の譜銃を結晶の横っ腹に近づけていた。カートリッジの付け根の宝石が淡い黄色の光を帯びて、第二音素の影響がよりわかりやすく視覚化されている。
フローリアンの逆側にしゃがんで足環の様子を見つめていたルークが、きつく細めていた目元をふと緩め、出し抜けに立ち上がった。周囲を少し見回して、手近にあった岩塊の傍に歩み寄り、またレグルを呼んだ。眉間に皺を寄せたまま、情けない形状に眉尻を下げたレグルは、もはや唯々諾々と従うのみ。理由を問う気力もないらしい。
「この岩を、『蹴り壊して』みて……くれ」
「ハァ?」
なんともまた無茶な要求である。岩は熊型のモンスターがうずくまっているくらいの大きさがあった。いくら岩石としては脆い部類の砂岩とは言っても、武装も補強もしていない防砂ブーツでは、まともにやりあったところで痛めるのは大方レグルの足のほうだ。
だが、ルークは奇妙に確信的だった。
「『絶対に壊せる』『壊せて当たり前』って気持ちで蹴りつけるんだ」
「や、でもさ……」
「レグルは剣技を使うだろ? それと同じだ。失敗を恐れていたら踏み込めない。できない、ありえない、っていう先入観に縛られたままじゃ、音素は応えてくれない」
「――」