彗クロ 3
3-10
砂漠の真下の大空洞。改めて考えると、たいそうイカレた構造物だ。なんせ頭上は砂なのだから、天井が崩落した場合の被害は想像を絶する。
「……ここに住んでた連中、自殺願望でもあったのか?」
二千年を経て骨格を維持する姿を目の前にしてもなお、正気を疑わざるを得ない。間近を落ちていく流砂の音にそら寒いものを覚えながら、レグルはぼやいた。
「ザオ地方が砂漠化したのは二千年前のことよ。この遺跡が造られたのはもっと前。世界的な天変地異の影響で大地が干上がって、現在のザオ砂漠になったの。ここの都市文明が滅亡したのも、天変地異のせい」
先を進むカーラがつらつらと言う。妙に詳しい。そういえば、アゲイトが同じようなことを言っていたような気もするが……まさか一般常識でもあるまい。
「天変地異ってのは、大戦争のせいで地殻変動がなんたら……ってやつ?」
「いいえ。――そうよ」
「どっちだよっ」
「……何もかも戦争のせいよ。そう言わなければいけないの」
「実際は違う、みたいな言い方だな」
「本当は、よくわかっていないの。文献が散逸しているから。砂漠化の原因とされる天変地異と、戦争の結果である地殻変動の因果関係ははっきり立証されていないわ。同一のものである可能性が高い、というだけ」
「なら、最初っからそう言えばいいじゃねぇか」
「わたしの教育プログラムは細部に至るまで管理されているの。事実を学んだ上で、私は決められた通りに受け答えしなければいけないの。忘れていたわ。うっかり」
「……」
振り返らない後頭部を見据えながら、レグルは眉をひそめた。案の定、この少女はただのレプリカではなさそうだ。
レプリカは誕生……製造段階において、刷り込み教育がなされる。機械的で、画一的な、生きる上で最低限の知識の注入だ。詳しい内容までは知らないが、複数のレプリカと接触した経験から、創世暦時代の詳細まではそこに含まれているとも思えない。
そもそもの発祥が発祥だ、刷り込む内容はヴァンデスデルカの匙加減ひとつ。むしろあらゆるケースを想定し、あらゆるパターンのレプリカが生み出されたと考えるほうが、理にかなっている。どこからどう見ても規格外のフローリアン、そして自身の生まれを立証できないレグル自身の存在が、それを裏付けている。
問題は、そういう『特別製』のレプリカが、こんな僻地の遺跡に、身綺麗な姿で隠されているという状況だ。彼女をこの場所に留める第三者の存在は、彼女自身の口からすでに言及されている。いったい、いかなる目的があるのか。見当はつかず、ろくな予感がしない。
……自分はどうだっただろう。ふと、そんなことに思い至る。
『己がいかに他のレプリカと異質な存在か、お前自身が一番肌身に感じておろう』。それを認識するチーグルの長老も、彼女を庇護する「だれか」と同様の立場にあると言える。方法も、そしておそらく動機も、決定的に異なってはいるが。
チーグルに保護されたばかりのレグルは、空っぽだった。なんの刷り込みもない、立ち方、歩き方、声の出し方さえわからない、赤ん坊以下、獣以下の生物だった。
周囲のことなど、なにひとつ認識できていなかった。肉体の痛みも、疲労も、空腹も、よくわかっていなかった。ただ呼吸し、一日の大半、眠りを貪るだけの、肉の塊だった。チーグルたちが水を運び、十分咀嚼された食べ物を無理やり口の中に流し込んでくれなければ、あっという間に餓死していたに違いない。……今思うと、ちょっとえぐい。
ただ、ひとつだけ。何も持っていないはずの肉の塊の中に、ひとつだけ、異変があった。ふとした瞬間に『それ』は身の内のどこからともなく押し寄せた。たとえるならそれは、『波』だ。海を知らなくても、そう感じた。感じた瞬間、涙があふれた。
わんわん泣いた。泣いて泣いて、泣き疲れて眠るまでずっと――そう、あれはレグルの産声だった。
そこからの感情の萌芽は、雨後の筍だ。言語、生き物としての基本的な動作・習慣、あまつさえ剣術めいたものさえ、我ながら信じがたい速度で学習していったものだ。
萌芽をもたらしたものは何か。それを自覚した瞬間に、レグルの世界は劇的に色彩を変えたのだ。
自分に同胞なる存在が大勢いると聞いて、きっと彼らの中にも『それ』はあるのだろうと、漠然と信じていた時期があった。大いなる誤解であったことは、比較的早い段階で思い知ることになるのだが。今にして思えば荒唐無稽きわまる思考である。
きっと、カーラの中にも『それ』はない。むしろあってたまるかというのが正直な心境だが、まあ、同一はありえないにしても類似の存在もないのだろう。
『それ』がないレプリカの成長とは、やはりこんなものなのだろう。感覚や認識は近似しつつも感性に明確な断層を持ち、情緒のありように至っては、存在はずのない種族の隔絶すら感じる始末。
……あるいは、産声から「始められた」レグルは、ひょっとしたらとんでもなく幸運だったのかもしれない。カーラは決して不幸そうには見えないが、かくありさまに成長した自分というものを、想像するだけで脳がすべる。
「ルークに感謝しねぇとな……」
しみじみと、ため息が零れた。
カーラは足を止めぬまま、髪を揺らして顔を振り向けた。
「何?」
「べっつに。……恩人の話」
「恩人?」
「そ。一歩間違えたら何にもなれずに野垂れ死んでかもしれないおれに、気持ちを教えてくれて、まあまあ真っ当な人間に育ててくれた人」
「きもち?」
「カナシイとか、ウレシイとか、ムカツクとかな。わかるか?」
「ああ、感情のこと。理解はしているわ」
「それたぶん理解できてねぇよ……」
「言葉の意味は理解しているわ。……そう、あなたの言う『恩人』って、『親』のこと」
「ハァ?」
「『親』には大別して二種類あるというわ。産む者と育てる者。育てる者は、子供の心身をはぐくむのでしょう。あなたの感情を育てた人がいるなら、それは『親』と呼べるのではないの?」
「お、オヤ? ルークが、親……?」
何か、妙に圧倒されて、レグルは目を泳がせてぎこちなく反芻した。理解が降りるにつれて、何かとんでもなく可愛らしいものが心臓に飛び込んできたようで、ころころと内壁をくすぐられて、頬がじわじわと熱を帯びた。なんだろうか……なんというか……なんでこんなにふわふわするするのか……
「顔が赤いわ」
至近の声に顔を上げると、カーラが間近から見下ろしていた。
いつの間にか足を止めていたようだ。天井からひときわ明るい光芒の降り注ぐ、真下だった。
訝るように首を傾げた仕草に、長い髪がさらりと落ちる。淡い色の。帯状の薄布がわずかに透けて、大きな瞳が覗き見える。
淡い、色の。
――伸びてきた手を、レグルは反射的に振り払った。
ごろごろと、心臓がひどい乱打を繰り返す。先ほどまでのそれとは質の違う動悸。上気していた血液が、一気に心臓に戻ってくる。血液の代わりに、何か別のものが神経を巡る。
「今度は、青いわ?」
カーラが逆に首を傾けると、眼帯の向こうの瞳は見えなくなった。