零時前のヒール
「これはありえますか? 標識を折り、自販機を投げ、ナイフが刺さらない、トラックに轢かれてもすぐ立ち上がる、ネクストではない人間は」
今までとは種類の違う薄笑いを浮かべたオリハラに、バーナビーが言葉をなくしていた、そのとき。
ばぅわーぅ
迫りくる何かの気配にお互いに見詰め合っていた二人がふと前を見ると、
ばうわーう
大きな影が自分たち二人に飛びかかっているところだった。
「はっ?」
「あっこらっ待ちなさい!」
遠くに聞こえた飼い主らしき声にも全く耳を貸さず、その大型犬は呆気にとられていた二人を無惨にも地面に押しつぶした。
「ジョン! やめなさい、ジョン!」
やっと現場に到着したらしい飼い主が少し厳しい口調で叱ると地面に沈む二人をひたすらぺろぺろとなめていた犬がくぅんと一鳴きして身体からどいた。
「ジョンそこでしばらくシット、そしてステイだ! ……すみません、大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
飼い主が二人の顔を覗き込み、大丈夫ですよ眼鏡は外れてしまっているけれども壊れていないしスーツに砂利と犬の毛がついて顔が多少べたつくだけです眼鏡をかけなおして砂と犬の毛を払ってあとでクリーニングに出してハンカチで顔を拭けば問題ありません的な言葉をいってやろうといつもの優男然とした立ち振る舞いを忘れてバーナビーが思ったとき、
「あれっ」
近くまできた彼の顔と焦点が合う。
「バーナビー君に、イザヤじゃないか!」
ほんの少し困ったように、けれど嬉しそうに空色の瞳が煌めいた。
バーナビーも思わず瞠目する。
「ス……キースさん、なんでこんなところに……て、えっ?」
ちょっと待て。
地面にぶっ倒れたままバーナビーは2、3瞬きした。
「……やぁ、ヨシオサン。なんでこんなところにいるんだい。到着が15分程遅れるって電話したのはそっちだろ?」
ヨシオサンって誰だ。
「すまないそしてすまない、思ったより会社の仕事がとんとん拍子に終わってね、一応時間通りにいこうとジョンの散歩もしていたんだが、君に会うのが待ちきれなくって、早めに待機していたんだよ! あ、ジョンというのは彼なんだ。……バーナビー君、立てるかい?」
「えぇ、あ、はい、僕は大丈夫デスからお気になさらズ」
一般人を優先したのか、先にキースはまるで小さい女の子が憧れる白馬の王子のようにオリハラに手を伸ばして彼を立ち上がらせた後、バーナビーに同様に手を伸ばしたが流石に気恥ずかしくバーナビーは一人で立ち上がった。
「どうしたんだいバーナビー君、言葉がどことなく片言のようだが、どこか怪我が」
「いえ違います!」
こんなものを見せられたら言葉も片言になるというものだ。
警戒していた相手が、ライバルと――ニックネームを許されるほど、くだけて喋っているのを見せられたら!
……ただ、スカイハイなら誰のどんなニックネームでも許してしまうかもしれないな、と一瞬遠い目をしかけたのは否めない。
「それならいいんだ!」と力強いサムズアップを見せてくれたキングオブヒーローに、服についた砂埃等を払い終えたらしいオリハラが「ねぇヨシオサン」声をかけた。
「ヨシオサンはヒーローのスーパールーキーとも友達なの?」
「いや、友達と言うほどじゃ「そのとおり! 私と彼は仕事仲間であり、ライバルであり、そして友人でもある!」
「仕事仲間でライバルというのはお互いこの街の巨大企業に所属しているという事ですから。念のためにいっておきますが彼と僕が同じ職種というわけではありませんよ」
「はは、それはわかってますよ、ヨシオサンがヒーローならすぐバレそうですし。ほら、例えばスカイハイみたいなヒーローなら「な、何ということだ…! イザヤそれはせいかッ」
父さん、母さん、僕が仮にもKOHを足蹴にしたこと、どうかお許しください。
足技を得意としているヒーローに能力は発動されずとも全力で脛を踵で蹴り上げられ、バーナビーの肩にもたれかかって悶絶するキースを事情をわかっていないオリハラが心配そうに見る。
「どうかした? ヨシオサン」
「心配いりませんよ。目にライスが入っただけです。それで? オリハラさんはどうしてキースさんとお知り合いなんです?」
混乱の極みにいるせいか変なことを口走ったような気がするが特に敬っていない先輩ヒーローが書類の締切を忘れていたのを「笑って誤魔化せ!」とウィンクをしてぺろりんちょとしていたのを思い出し、バーナビーはとりあえずオリハラにハンサムスマイルを向けた。
「あぁ、ヨシオサンとは俺が学生の時にちょっと」
「……イザヤが空から落ちてきたんだ」
痛みになおも耐えているのであろう、バーナビーの肩を震える手で強く掴みながらもキースは話し始めた。
「え、落ちてきたって」
「ちょっとヨシオサン、それだとなんだか俺が自殺志願者だったみたいでしょ」
「そうじゃない、それは誤解だ! そうだね、最初から話したほうがいいだろうか。
私の今の職は一旦就業すると簡単に休みが取れない。長期の休みなんてもってのほかだ。それはイザヤもバーナビー君も知っているね。
そこで、私の職が決まった時に、当時の私の上司がいったんだよ。君にモラトリアムを与える、ってね」
「……そんな会社、あるんですか」
「ああ、私の前任者は女性だったんだが、妊娠が発覚したと同時に六か月目に退社しますと会社側に伝えていてね、私の会社はゆっくり後継者選びができたというわけだ。そして彼女の妊娠五か月目に、私が選ばれた」
「そこで、モラトリアムが発生したと?」
「そういうことになるね」
うんうん、と意味もなくキースは頷き、話を続けた。
「そこで私は旅行をすることにしたんだ」
「ちょっと待ってください、貴方の今の職業に就くのも、色々、研修が必要だと思いますが」
「そうなんだよ。だから一週間前には会社に来なさいとはいわれていたね」
一週間前で済むものなのだろうか……と思わずバーナビーは再度遠い目をした。確かに自分もほとんど研修などしていなかったがヒーローアカデミーに通っていたのだ。基礎があった。それをこのKOHは……!
自分が乗り越えなければならない壁の強大さにぷるぷると震えているバーナビーをにやにやとオリハラが見ているなんて露知らず、キースはまた語り始める。
「特にやりたいこともなかったから、最初はすぐにでも就業しようと思っていたんだ。モラトリアムが要らないなら返上していい、ただしこれからずっとほとんど休みなしだとはいわれたけどね。私は仕事を通して市民の平和に貢献できるなら全くそれで問題ない。
……しかし周囲に、せっかくあるなら使った方がいいと強く勧められて、それなら旅行をしようと思い立ったんだ」
「それで俺の街に来たんだねぇ」
しみじみ、とオリハラが感慨深そうにいった。「ちなみに」とバーナビーが手を上げる。
「どうやっていく場所は決めたんです?」
「部屋の壁に世界地図を張って目をつむってダーツで刺した!」
えっへん。
いや、そんな偉そうにされても特にリアクション返せませんからね。