バラ色デイズ
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「だいたい、あなたはデリカシーがない上に子供っぽいのよ。神経質なくせに、メールとか見落とすし。普段はあんなに無駄にブログとか更新してるくせに、信じらんない」
「悪かったって」
不機嫌を前面に押し出す機会を経て、誕生日のごたごたで怒りそびれた分も俺を怒ることにしたらしいハンガリー様にジャパニーズ土下座をしつつ、食べて飲んで二時間あまりが経過した。
「オーストリアさんだって、あなたの分もトルテ作ってきてくれてたのに。私がもらって食べたけど。超おいしかった。オーストリアさん料理上手になったわよね~。昔なんか、獣を捌くのも全部私任せだったのに、すごい進歩。あ、私カリーヴルスト追加食べたい」
「へいへい」
「ちょっと、返事がおざなりなんじゃない? モテない男子がオーストリアさんをひがんでるわけ? ねえちょっとプロイセンー」
「店員呼んでるからちょっと待ってくださいねハンガリーさん!?」
まだセンサーをハンガリーさんに設置してから数時間しか経っていないわけなのだが、そろそろ計算違いを認めなくてはならない気がする。
カメレオンでも熱帯魚でもこうはくるくる変わるまいというほど、話しながらくるくる変わるハンガリーの感情の色。喜んで黄色に光り、思い出話で緑に沈む。あるいは思い出し怒りで俺をねちねち攻める暗い赤だの、オーストリアを賛美する浮かれたオレンジだの、センサーはめまぐるしく色を変えた。
オレンジが何かを楽しみにする色だということは分かったし、水色や緑でも明るいか暗いかでニュアンスがずいぶん違うことも理解した。しかし、今のところこのセンサーはハンガリーの顔色から読み取った感情を裏付けるくらいの役にしか立っていない。
今、怒ってるのか悲しんでるのか確信が持てるのも、まあ役に立たないとは言わない。
だがしかし、もっと大事な役目があるじゃないか。
こう、一番聞きにくいものを、一番確信できないものを、見せて欲しいわけで。
その色だけは一覧で確認してよく覚えている。
ピンクだ。怒りの赤でなく、緊張の無色でなく、白い肌にうっすら血の気が上ったようなバラ色。
忘れようがない。結婚式の日のウェディングドレス姿のハンガリーが、とってつけたような棒読みで「綺麗だ」と告げた時に返してきたあの笑顔の色だ。大帝国と結ばれる女にしては質素な化粧だなと思っていたのに、頬を染めたハンガリーのなんて幸せそうだったことか。あれが本当のバラ色だ。あの色だけは、決して見間違えない。
人生最大の凹みと萌えが同時によみがえってきて、胃がひっくり返りそうになったので俺は飲み食いを控えることにした。
たとえばオーストリアの話をしながらその色が出たなら。あるいは、目と目が合って会話が途切れた時にその色になっていたなら。俺は長い片想いになんらかの根拠を見つけて、たたずんでいた分岐のどちらかへ進めるのではないかと、思っていた。
が。
男と二人で飲んでようと、元夫の名前を出そうと、恋愛に結びつく色のカケラもセンサーに現れない。
まさに色気がない、ということなのか。
思えば、俺がこいつの誕生日を忌み嫌ってこの日だけは顔を合わせるまいと避ける件にしたって、ちゃんと理解しているんだろうか。
幼なじみが、未だに大人げなく結婚記念日を避けてくる、くらいの印象なんだろうか。
「ぷろいせん、おかわり!」
「へいへい。マスター、ビール」
そろそろ呂律の回らなくなってきたハンガリーのグラスに追加のビールを注ぐ。レモンと蜂蜜を渡す。ハンガリーはひとりで器用に果汁を絞り、蜂蜜を足して嬉しそうに飲んでいる。
センサーはジョッキを掲げる腕に絡まる長い髪に覆われてうかがいにくいが、ちらりと見えた限りではご機嫌な黄色だった。
恋愛の可能性はないってことなんだろうか、それともこの女からそういう概念が抜け落ちているのだろうか。
前者と同じくらい後者もあり得るような気がして、俺は頭を抱えたくなった。
うつむいた鼻先に、ふんわりと甘い匂いが漂う。
ごつん、と鈍い音がして、目の前に柔らかな金茶色の頭がつっぷした。
「あ、おい、こらハンガリー」
肩を掴んで揺さぶるが、返事はない。
すがるように見つめたセンサーは真っ白だ。
「寝やがった…」
俺は頭をかきむしった。
マスターの視線が痛い。ここは終電前に店を閉めるのだ。一晩中やっている店のように、明け方まで隅で寝かせて、起きたら帰らせるというわけにはいかない。
結局俺は飲食代を全部支払った上に、ジョッキを握りしめたまますうすう寝息をたてるハンガリーを、仕方なく持ち帰ることにした。天国と言う名の地獄、または地獄と言う名の天国。