彼が彼女になったなら④
「あぁ!手当てしてくれるの」
「それ以外に何があるんだよ」
「あ、えっと、…じゃあ、お願いします」
怪訝に見詰められて、一人であれやこれやと焦っていた事が急に恥ずかしく思えた。
かぁっと熱くなる頬を見られたくなくて、口をきゅっと一文字に結んで視線を落とす。
「そんなに深くないな…ったく、これから気付けろよ」
先程の殺気立ったような何とも言えない雰囲気がすっと消えていくのを感じ、悟られないようにほっと胸を撫で下ろした。
きっと怒っていたのは、不注意な俺に対してなのだろう。
そう思うと急に自身の失態が恥ずかしくなって、母親に叱られた子供のような気分になった。
「以後くれぐれも気を付けます…」
小さくごめんね、と呟けば、別に俺に謝る理由なんてないだろ、とぶっきらぼうに消毒液を吹き掛けた。
少し染みて目を細めると、敏感に察知した佐藤くんが労わる様にその箇所を包み込んだ。
何も言わないけれど、優しく丁寧に触れてくれる佐藤くんに、身体がどこかこそばゆい感覚に陥る。
これが良かった事その二、佐藤くんが以前よりちょっと、いや、もしかするとかなり俺に優しくなった事。
この点に関してははっきりとした確信は未だ持てないけれど、明らかにフライパンで叩かれる回数は減った。
それに以前から何だかんだと優しい彼だったが、この身体になってからはその優しさがひょこひょこと頻繁に顔を出すようになった、気がする。
これは良い事だ、うん、優しくされるのに越したことはない。
その筈なのに、同時に生まれるのはどうしようもない不安感。
だって、そうだとするならば、___以前の、男の身体に戻った時、こんな風に優しく接してはくれなくなるのだろうか。
そんな事が頭を過ぎっては、「嫌だ」って心が叫ぶ。
「…痛い」
「少しは我慢しろ」
違う、痛いのは傷じゃなくて、
「ほら、終わ、!?」
何だか佐藤くんが変に言葉を詰まらせている、おまけに変な顔してる、どうしたんだろう。
ぼんやりとそんな事を考えていると、彼の大きな手が俺の頬にそっと触れた。
ぴくっと反応して身を竦める。
ああ、今日は驚いたり怖がったりと忙しい一日だな。
「そんなに痛かったのか?」
「え、いや、そんなには…何で?」
「何でってお前、すっげぇ泣きそうな顔してるから」
「!」
窓に映る己の表情に驚いた。
確かに佐藤くんの言う通り、泣きそうに瞳が揺らいでいたから。
「信じられない…俺、自分が思う以上に打たれ弱いみたいだよ…」
こんな傷くらいで。男として情けないね、なんて目の端に溜まった滴を拭う。
あーあ、佐藤くんに弱み握られちゃったな。
だけど、それ以上に今は、ズキズキと胸が痛んで仕方ない。
それは、何故?
「えっと、ごめんね、手間取らせちゃって。戻ろっか?…?佐藤くん?」
動き出そうとしない佐藤くんに疑問を感じ、訝しげに近づいてみようと一歩踏み出すより早く佐藤くんの腕が伸びる。
身体を包み込む他人の体温に、思わず息を詰まらせそうになった。
「さ、佐藤くん!?」
これは今日一番驚いた出来事かもしれない。
あの佐藤くんが、何故だかわからないが俺を抱き締めている、それはもうぎゅうぎゅうと痛い程に。
「いた、痛いよ佐藤くんっ」
抗議の声を上げても、胸を押し返そうと突っぱねても、彼は動じなかった。
恥ずかしさと痛みに挟まれて、これまた今日一番の大混乱が全身を支配する。
一体どうしたというのだ目の前の彼は。
思っていたより逞しい胸に押しつけられた顔からは彼の表情が窺えなくて、それが不安感を一層煽る。
どうして何も言ってくれないのだろうか、というか、今日の佐藤くんはどこかおかしい。
作品名:彼が彼女になったなら④ 作家名:arit