はじまる一週間 (金曜日)
聞かれる言葉にも、どう答えていいか分からず黙り込んだ。そもそも静雄は、こうして誰かとプライベートで出掛けたり話す事などない。学生の頃からまともな友人などいなかった静雄は、学校終わりに友達とどこかで時間を潰して遊ぶことなどなかった。学校終わりにしていた事といえば、他校生に絡まれて喧嘩で時間を費やすか、それを仕組む天敵の臨也を追いかけてあっという間に一日が過ぎてしまう。
社会人になって付き合った女とも、外でこうして会う事はなかった。人が多い場所で静雄が女と会ってでもいれば、その目立ちすぎる外見からやはり絡まれて巻き込みかねない。
結局会う事も静雄から連絡を取ることもなく、やる事だけはやってみてもいつの間にか自然消滅に終わるパターンばかりである。
そんなただれた様な恋愛にも満たない関係ばかりだった静雄には、付き合っている者同士が外でどんな風に時間を過ごすのかもわからなかったし、かといって友人がどういう会話をしているのかもわからない。
静雄の唯一の友人である新羅は一人でべらべらと喋るタイプだが、今目の前に立つ少年は到底新羅と同様の種類ではない事が分かる。かといって門田とは外でこうして会ったところで二言三言で会話が終了してしまう。
唯一静雄から会話を多くする相手といえばセルティとトムであるが、そもそもセルティにもトムにも静雄がする話といえば相談事であるケースが多い。かといって何か最近会話らしい会話を別の人間にしただろうか、と静雄は考えた。特にこれという人物は静雄の頭にはいつまで経っても浮かんではこない。
(天気か、晴れてるな、とか。いや見りゃわかるな)
結局そういった当たり障りの無い会話も、語彙の少ない自分では無理だろう、と静雄は思う。思った所で、自分は案外思っていた以上に会話下手だったのかと気付いた。
「映画、行きませんか」
「映画?」
静雄のもやもやとした思考はそこで終了する。少年の向けている視線の先には、静雄の弟であり人気急上昇中の俳優のポスターが大きく池袋で存在を主張していた。青空に似合う笑顔には、テレビでも聞いた事のあるタイトルと上映期間が書かれている。
そこで静雄は大分遅くはなったものの、同僚のトムに「デートっつったら映画見たりどっか適当なところでメシ食ったりすればいいんじゃねえの」と先日教わった事を思い出した。「まあそういうのは男から言ってやれれば一番だけど、あんま肩肘張るなよ静雄」とも言われたのだ。
肩肘は張ってるつもりがないが、静雄は心なし緊張していたし(その理由は静雄は分からない)、結局映画を見に行こうという提案も相手に言わせてしまっている。
折角時間を要してトムに助言をしてもらったというのに、とんだ間抜けである。(トムさんすいません)と静雄は心中で、同僚であり恩人のトムに頭を下げた。同時に、目の前の少年にも申し訳無さが浮かんでくる。
「僕、結構羽島幽平好きなんです」
映画館に行く間、笑いながら隣で話す少年を見て静雄は嬉しく思う。自分の様な駄目な男と違って、弟である羽島幽平こと平和島幽は非常に出来た弟なのだ。人気急上昇中とはいっても、やはりファンは女性層ばかりに偏っていて普段から静雄は(なんでこんな良い奴を)と常々疑問と不満を持っていたのだ。
それなのに少年、竜ヶ峰(下の名前は思い出せなかった)は、その羽島幽平を好きだと言ってくれる。
静雄は今日まで、自分の事を好きだと言った竜ヶ峰の事を(変な奴だ)という印象しか持ってはいなかったが、ここで静雄の思考は(すごく良い奴なんだな)に変わっていた。そこまで自分は単純な男では無いと静雄は思っていたが、それを差し引いても静雄にとって大事な人間である幽の事を良くいってくれる人間がいてくれた事実は嬉しかった。
「俺も好きだ。あいつ、いいよな」
「そうですね。僕、羽島幽平の映画とかドラマ、一応全部見てるんですよ」
特撮もばっちりなんです、と笑う竜ヶ峰は、笑えば余計に少年の子供らしさが伺える。
普段から静雄の周囲に、そういった雰囲気で持って接してくれる人間などいない。今もこうして池袋の街中を歩いているが、トムと歩いている時でさえ静雄の心をふわりと温めてくれる時間はなかった。
(そうか、こいつ癒し系か)
静雄の頭に浮かんだのは、犬猫の小動物の類である。成長する事を期待されて購入しただろう、ぶかぶかの制服や細い項が、余計に池袋で散歩させられている室内犬を彷彿とさせた。
そうして考えてみると、静雄の肩に変に重くのし掛かっていた何かが軽くなるのを感じて静雄もぐっと楽になる。恋人だと思うから変に強ばってしまうが、年の離れた護るべき犬猫と同じ小さいものだと思えば、ずっと接しやすくなる気がした。
「今日、メンズデーなんですね」
静雄は映画館に来る事がほとんど無かった為わからなかったが、どうやら映画館の平日というのは、日によって特定の人物に対して安い金額で映画を見れる日があるらしい。
映画館の中でざわつく人混みを掻き分けて進んだ先で、先を歩いていた少年から声が上がる。その視線の先にある看板を見ると、金曜日は確かに男性が千円で映画を見れる日らしかった。
静雄はなるほどなと周囲の人混みをぐるりと見回した。館内には男子高校生のグループや、中年のサラリーマン等とにかく男ばかりである。
「ちょっと混んでますけど、でもお得ですよね」
小さく笑う少年が持つ財布を見て、苦学生かと静雄は思う。割りと随分昔から使い込まれているようなそれは、静雄から見てもすり切れてボロボロである。
そこで静雄は考える。隣で笑う少年はこの池袋で、来良学園に通う高校生である。恐らく小遣いもそこそこに貰っているだろうが、高校生の小遣いなど微々たるものだ。
静雄はする事自体が出来なかったが、普通の高校生であればバイト等をしてない限り毎日遊び歩いているのだろう。それならば、と静雄は竜ヶ峰の財布を押し返した。
「あの」
「おごる。お前は子供なんだからおごられとけ」
言い訳として正しかったのは(お前は恋人なんだから)だろう事は静雄も気付いていたが、さすがに恥ずかしくてそんな科白は言えなかった。そもそも静雄は、人生でそんな事を言った事は今まで一度も無い。
恥ずかしさから少年とは別の方を向いてしまい、そのまま「でも」とか「あの」と言っている竜ヶ峰を置いたまま映画のチケットを買う為に歩き出していた。
「ありがとうございます、静雄さん」
「いいっつっただろ」
静雄は少年の笑顔が自分は苦手なのではないかと思っている。初めて会った時もそうだったが、今日も少年が眉を下げたりただ無邪気に笑う顔をこちらに向けられると、どうにも照れてしまってその顔を直視することは出来ないでいた。
些か突っ慳貪な口の利き方である事は静雄も思ったが、それも何故か照れてしまったせいである。唯一の救いであるのは、少年が特に静雄に大して何も思うところはないらしく、いつまでも笑顔が曇らない事だった。
混んでいるせいか、席は中央の席というよりは少し右にずれている。しかし、やはり羽島幽平の主演であるという事から席に着いている者は女性が多かった。
作品名:はじまる一週間 (金曜日) 作家名:でんいち