はじまる一週間 (金曜日)
指定された席に二人が席に着くと、廊下側に座る少年がそわそわと辺りを見ている事が気になって声を掛けた。
「誰かいたのか」
「え? いえ、知ってる人はいなかったんですけど」
やはり自分といる所を誰かに見られるのは嫌なのだろうか、と静雄の心に暗い思いが芽生える。公園で話すだけならまだしも、映画館に一緒に来るという事はそこそこに仲が良い事を示している筈である。静雄のような池袋の喧嘩人形と恐れられる男と二人で映画を見に来れば、友人だと思われるのは必至なのだ。それは普通の人間であるならば、誰も望むところではないだろうと静雄は思っている。
静雄の考えはいつも、その外見とは裏腹にネガティブである。そんな静雄の心中を知ってか知らずか、竜ヶ峰は慌てたように両手を振ってその答えを否定した。
「僕、こういうの初めてで、だから緊張してしまって」
「お前、友達とかと来ないのか」
普通、高校生というのはこういった映画館に来ているのだろうと静雄は考えていた。
トムも出かける場所として提案するくらいである。静雄の周囲の常識は学生時代からトムに依って構成されていたので、静雄は驚いた。
てっきり、この子供は社交的なタイプだと思っていたからだ。自分に話し掛けてくる位である。人当たりも悪いとは言えないし、何より礼儀正しい。まだ少ししか話してはいないが、自分を怒らせない良い奴だ。きっと頭も良く回るほうなのだろう。
静雄がそこまで考えたところで、隣の少年が俯いているところが目に入る。静雄は驚いてその顔を覗き込んでいたので、耳までほんのりと赤く染まっている事に気付いてしまった。気付かなければ良かったと静雄は思う。少年の温度が移ったかのように、静雄の顔に熱が集中し始めたせいである。
「いえ、友達とは何度かあるんですけど…」
(そうだった)と静雄ははっとして、同時に赤くなる。
静雄と竜ヶ峰は決して年の離れた友人でも、同じ学校の先輩後輩という間柄でもない。
恋人同士なのだという事実を脳裏に思い出し、そこでトムの助言をまた静雄は思い出していた。「静雄、とにかく二人でいる時は、なるべく優しくしてやれよ。女ってのは言葉にされんのが好きらしいからな」
優しい言葉など静雄は今まで心掛けて他人に言ったことなどない。何を言えばいいかもわからず、そこで静雄の座っていた椅子の肘掛けの部分からみしりと鈍い音がした。静雄は気付かなかったが、握りしめていた肘掛けの先端部分が壊れたのだ。すぐに気付いて静雄の顔は赤から青に変化する。隣の少年に、小さい頃にクラスの机を真っ二つにして逃げる少し憧れていた少女の姿を重ねたのだ。
恐る恐る少年の方に目をやると、未だ俯いたままで小さい破壊音には気付かなかったようである。静雄はほっと胸をなで下ろした。
自分も映画館に恋人と来るのは初めてだと言えばいいのかとぐるぐると思考を巡らせていたところで、顔を赤くして俯いていた少年が席を立った。「ちょっとトイレに行ってきます」と告げられてそそくさとその場からいなくなられてしまい、静雄は脱力してそこでようやく背もたれに寄りかかった。
自分は今まで緊張していたのかと、改めて気付かされて不思議な気分で首を傾げてみたりする。幸いな事に、パンフレットや会話に夢中で周囲に気にする者はいなかった。
時刻はもうすぐ上映時間というところまで迫っている。人も多く席に座り始め、話し声が嫌でも耳に入る。自分はなぜこんなところにいるのだろうと静雄は思い始め、映画を見た後はどうすればいいんだという次の疑問が頭に浮かぶ。トムから何か助言を言われていたが、普段より少し早い脈に気を取られて思い出す事は出来なかった。
このまま戻ってこなかったどうしようかと、館内が暗くなってから思い始めた静雄の元に、少年が両手に何かを持って戻ってきていた。
「静雄さん、これどうぞ」
本作の上映前の広告が流れる暗い館内で、僅かに声を潜めて大きな紙コップを渡される。どうやら飲み物とポップコーンを購入してきたようである。静雄の鼻腔に甘い人工甘味料の匂いが広がった。
「お前、これ」
「お返しです」
笑う少年の左手にも飲み物があった。ストローに口をつけながら笑う少年に、お礼を言おうと身を乗り出したところで「ああ」と溜息にも似た声が漏れた。
「静雄さん、サングラス外したんですね」
「ああ、暗いからな」
「そうですよね、暗いですもんね」
少年がトイレに行って一人になった静雄は、更に手持ち無沙汰になってサングラスを外しておいたのだ。そもそも人除けの節もあるサングラスであったが、映画を見る為には外さなければならないだろうと、映画館で映画を見たことのない静雄にもそれは理解できた。
第一、静雄が今いる場所は池袋のバーテン服を見るだけで声を掛けてくる不良達がのさばっているような街中ではなかった。今は弟の映画をテレビではなく大画面で見れるチャンスでもあって、すぐに外してその手で持って遊んだりしていたのだが、そんなに驚かれる事だったのだろうかと驚かれた静雄も驚いてしまう。
もうすぐ本編が始まるというところで、静雄は慌てて声を掛けた。
「お前、だからこれ」
「チケットのお返しです。たまには子供にも奢られてください」
からかう様に笑う少年に、結局小さく礼を言うだけに留めた。
そこで静雄は隣に座ってポップコーンを貪る少年の印象を改める。気の弱そうな子供だと思っていたが、肝の据わった気概ある少年であるらしい。
やはり自分があのとき言うべきだった言葉は「恋人だから」の方が良かったのだろうかと静雄が考えたところで、映画の本編が始まる画面がスクリーンに映し出された。
「静雄さんて、甘い物お好きなんですか?」
その後映画は二時間ほどで終了し、今日最初に会った時が嘘のように会話の弾んだ二人は静雄行きつけのファーストフード店に寄っていた。
竜ヶ峰が映画館で買ってきてくれたポップコーンはほとんどが静雄の胃袋に納められる事になる。
会話に花を咲かせながら、たまたま普段静雄が仕事途中で良く通る通りに出たところで、いつもトムと立ち寄る店を見付けてそこに落ち着いたのだ。静雄としては、トムの助言をなぞった行動でもあったが、トムのいう適当な店と少しばかり食い違っている事に本人は気付かない。
隣を歩く少年も「ここの新商品、食べたかったんです」と笑うものだから、静雄は意気揚々と店に入ったのである。
一番奥にある喫煙場所に腰を落ち着けて、少年に席を見ておくように静雄は言ってレジへと向かった。二人分の新商品のものと普段静雄が良く食しているハンバーガーを何個かと、ポテトとドリンクを購入し、更にはサイドメニューを何点かという二人分にしては量のあるそれを持ってテーブルに戻ると、驚いた顔を浮かべる少年に笑いかけられた。
やはり胸がほんわかと温かくなるような錯覚に囚われて、静雄はそれを空腹によるものだと考えて、話もほどほどに咀嚼する事に意識を集中させていた。
作品名:はじまる一週間 (金曜日) 作家名:でんいち