ゴーストQ
「……嘘ついちゃった」
ははっ、と水谷は軽く笑ったけれど、その表情は硬かった。戻ってきたドアが後ろで閉じる。オレはまた水谷から目を背け、玄関にある、脱いだ自分の靴を見ていた。
「もー、なんなんだよお前はさぁ〜……」
水谷が一歩踏み出したと思ったら、強制的に視界が上へ切り替わる。次の瞬間、目の前には昨日見たものと同じ上着の色があった。ぎゅっと抱きしめられた反動で息を吸う。水谷の匂いがした。
「心配させんなよな……」
そう言った水谷が腕に込める力を強くすると、オレの肺が押しつぶされて、中で淀んでいた空気が出ていく。
「……別に」
「ほらまた『別に』とか言うし」
水谷が指摘するほど、オレは『別に』と言っていないと思う。だからなんだかカチンときてしまった。腕を解いて欲しくて身を捩じらせたけれど、どうも水谷はオレのその動作でムキになってしまったらしい。ますます束縛がきつくなって、息をするのが苦しくなる。
「週刊誌のアレ、見たんだろ?」
オレは何も言わなかった。
「見たかな、と思ってメールしたんだけど気づいてない?」
「消した」
「消した……ってオイ! 読めよ!」
密着しているせいで、水谷の出した大きな声が身体を伝わってオレにも響く。
「オレがどんな気持ちでメール打ったと思ってんの」
「……そんなの言われなきゃわかんないし」
「じゃあもっかい説明するけど、あの日……」
「別にいい」
「また『別に』って言った」
確かに言ってしまった。だって聞いたところで『別に』どうなるわけじゃない気がするのだ。
「あれは嘘、やらせ。ドラマで恋人同士の二人が実際付き合ってたら、見てみようって人が増えるからってプロデューサーに言われたの! オレ本当はあの人と撮影以外で関わりないから!」
「なら何で寝に来たとき言わなかったんだよ」
「そっ、それは……」
水谷は口ごもる。つまり言えないようなことをしたんだろ。
「罪悪感があって」
「何に」
「栄口に」
落ち着いたら話そうと思ったんだ、と水谷は言い、少しだけ抱きしめる力を弱める。
「正直に喋ったら、栄口がまたオレから離れていっちゃいそうな気がしたんだ」
肩越しに見える景色はドアしかなく、水谷が今どんな顔をしているのかわからない。離れるとかそんなこと、あいつが気にしているなんて考えたこともなかった。常にマイペースで自分の好きなように振舞っている、それが水谷の印象だった。
「でも仕事だし、やんなきゃいけないことだったし、でも嫌だったし、言えなかったし」
色々な感情が混ざり合っているのだろう。思いついたことをすぐ言葉にしてぼやく。
「したら栄口と連絡取れなくなるし、本気焦った」
しょげた犬が鳴いているような声を出して、水谷が頭を左右に振る。毛先が頬をかすめ、少しくすぐったい。
とても今更だけど、オレは水谷の迫真の演技に騙されて、策略通りまんまとドアを開けてしまった。悔しい。だって本当に痛がっているように見えたんだから仕方ない。
でもこうして中へ入れてしまったことに後悔が募る。あのまま追い返せば良かった。そうすればこれから水谷が誰と付き合おうが、誰と報道されようが、自分にとってはどうでもいいことになるに違いない。オレはもう無駄な期待なんかしたくない。