ゴーストQ
突然鈍い音がして考え事が中断された。何だろうと目を向けたら、斜め前にいる男性が落とした携帯を拾うところだった。まじまじと見るつもりはなかったのだが、携帯の色が水谷の出ている広告で使われているものとよく似ていた。
どこか異変はないかとしきりに画面を覗き込むその人は、自分と同じくらいの年齢で、サイズが合っていないのか、眼鏡がずいぶん下へずれていた。なんとなく落ち着きのない性格をしていることが横顔からでも伺える。
そういえば、とオレも携帯を取り出すと、今日飲み会をやった連中の一人からメールが来ていた。またやろう、みたいなことが書かれてあり、特にすることもないので電車を待つ間返信を考えることにした。
高校のとき水谷から告白されたことは誰にも話していない。話せるわけがない。あまりに非現実的な出来事すぎて、オレ自身も未だ信じられないからだ。あの水谷がオレのことを好きだったなんて、もしかしたら本当は夢か妄想だったのかもしれない。そう考えてしまうくらい水谷は雲の上の人になってしまっていた。
というか水谷はなんであのタイミングで好きと言ってきたのだろう。少しでも勝算があると自負していたのかな。いくらモテていたからとはいえ、それは自惚れ過ぎだ。オレが水谷に対してそんな感情をこれっぽっちも持っていないことぐらい、わかっていそうなはずなのに。
でもそう考えると、自分は随分と水谷へひどい仕打ちをしていたのかもしれない。誰かと付き合わせようと協力したり、付き合ってやれと言った覚えがある。悪気がなかったとはいえ、水谷にしてみれば好きな相手からそんなことをされ、悲しかったと思う。
けどどうにもならなかったのだ。オレは水谷のことを友達としか思っていなかった。告白されるだけなら、まだ同情する余裕があり、何とか上手い理由を考えて優しく断ることができた。あいつはどうしてまず最初にキスなんかしてきたのか。順番が違ってないか。確かオレ、それで水谷のこと殴ったんだよな。
十八の秋の記憶はすべてそれに占められている。西日に照らされた水谷の柔らかな印象と、そのあとの所在なさげな表情。あの日の情景はいつまでもこびり付いて剥がれない。
メールを返して時刻を確認すると、まもなく電車が来るようだった。すかさずスピーカーから到着を知らせるアナウンスが流れる。
そういえばあの時、水谷は最後になんて言って出てったっけ。変なニュアンスを含んだ捨て台詞を残していたような気がする。オレはそれが少し恐ろしかったんだけど、すぐに水谷の周りがにぎやかになったせいで、すっかり忘れてしまった。
オレは結局どうしたいんだろう。水谷のことを気にしないようになりたいけれど、これだけ街でその姿を見かけるようになった今、それは多分無理な気がした。ずるい。オレだけが水谷の残像に囚われ続けている。告白されて、振ったのはこちらなのに、未だ心に引っ掛かっている。
そろそろ来るだろうかと顔を上げたら、斜め前にいる男性が携帯電話を耳に当てていた。やっぱりあの広告の携帯と色が似ている。
そう気づいたとき、手に持ちっぱなしだった携帯が突然震えた。またぼんやりしていたオレは驚き、着信が誰からのものなのか慌てて確認する。ディスプレイに映し出されている名前は『水谷文貴』だった。