Average value is a top!
そんな話が、ほんの数時間前の話だった。
メディアを通したワイルドタイガーの正式引退表明は隠すこともなく、NEXTの能力の減退について告げた後に、この街のヒーローは俺だけじゃない、と次世代のヒーローに向けての言葉だった。例えば、そう現役のヒーローだったり、まだ彼に言わせればキラキラしていて眩しいなんて表現のされたヒーロー候補生だったり、そんな人に向けた言葉だった。
スタジオでの生中継を終えて、私服に着替えた虎徹さんはアイパッチを着けない、ヒーロ卒業者で、そんな彼になんだか僕はもう、この人があのスーツを着て戦うことは無いのかと少しだけ寂しいな……なんて少しばかり心がざわめいた。僕自身、アニエスさんにも、ロイズさんにも告げて、今のシーズンが終われば脱ヒーローだ。だけれど、このどこか抜けた心のような気持ちは自分の引退に対しての思いではなく、隣に居る『鏑木・T・虎徹』と言う一人の人間に対してのものだ。
「すこし、寂しい気持ちになるよりは、多分盛り上げた方がオジサンらしいってみんな思ったんですよ、きっと」
そんな言葉を彼に掛けながら、がやがやと煩い会見とその前のサプライズを僕は思い起こす。ワイルドタイガーと呼ばれたヒーローだからこそ出来たアニエスさんの無茶振りだったんだろうとぼんやり考えていれば、虎徹さんはふう、と息を吐き出した。
「まぁ、本気で驚いたけどな、変にしんみりする引退会見じゃなくて、なんだか良かったと思うんだけどさぁ、ちょっとあーゆうのは心臓に悪いな……」
虎徹さんはそう声を上げると、床に転がった。
会見も何もかも終えて、今日もまた彼は僕の家だ。
「あと、ここに居るのもあとちょい、って所か」
ぽつり、と漏れた虎徹さんの声に、僕は更にしんみりとそうですね、と声を上げる。
虎徹さんの私物に関しては全て宅配で彼自身の実家に配送済みだ。後はほんの身の回りの荷物と、着替え(まぁ、これに関しては僕がランドリーを経由して虎徹さんの実家に送る様に話は付いている)くらいだ。虎徹さん自身といえば、明日の始発でオリエンタルタウンに帰ると僕に告げていた。
始まりがあるから、終わりがある。なにもかもそう出来ていることは知っていた筈だし、実際虎徹さんがヒーローを辞めると宣言してから、僕自身も心の中で割り切ったつもりだったが、ぽろりと零れた虎徹さんの声に、その割り切りが巧く出来てなかった事を自覚して苦笑を洩らす。なんだろう、なんだか淋しい。
「なんだか、判っていたことなのに、ちょっと寂しいです」
言うはずも無かった言葉が僕の唇からぽろりと零れれば、虎徹さんは酷く驚いた様で、勢いよく起き上がると、僕の顔をまじまじと見つめる。近づいた琥珀色の目から視線を外さずにじっと見つめつつ、なんだかそんな見開いていると虎徹さんの目が零れ落ちそうだな、なんて馬鹿な事まで思い至りつつも、僕は小さく顔を一旦背けると息を吐き出した。
「そんなに驚くことですか」
洩らせば虎徹さんはこくりと小さく頷く。
「ちょっと、びっくりしたかな……?」
だけれど、その顔に浮かんでいるのは、ふわっとした優しい笑みだ。その表情に僕も同じように笑うと、小さく酷いですね、と洩らす。
「だって、バニーはそういう割り切り得意そうだからなぁ……」
言われた言葉に僕もそう思っていましたよ、と声をあげれば虎徹さんはまた驚きの顔で僕を見つめた。そんなに何度も驚かないで下さいよ、と声を上げると返ってくるのは悪かったというそんな素直な声で。
自分自身ですらよく分かってないそんな感情の揺れに僕自身が一番不思議で奇妙な気持ちなのだから、何度も何度も驚かれると僕のこんな気持ちがなんだか変なものな気がしてきて、何処か居た堪れなくなる。
そんな事を思っていると、ふっと虎徹さんが立ち上がった。
「忘れてた、チャーハン!」
色んなものが抜けた二つの単語に、は?と思わず声を上げれば、立ち上がった虎徹さんはすとん、と僕の目の前に即座に座ると、タシタシと床を叩いた。
「バニー、腹減った、チャーハン!」
今度は単語三つだ……なんて思って居れば、今度は虎徹さんは「ねぇ!」と更に催促する声を上げた。
「俺、腹減ったの!空腹なの!バニーちゃん、ご飯つくってよ!」
そこまで言われて、僕は虎徹さんの言葉の意味を理解した。理解したと同時に耳まで熱いと感じる程に自分が瞬時に赤面したのを感じた。
「お、覚えてたんですか……」
唇をかみ締めるように、そう言葉を上げつつ、何かにしがみ付きたい程のよく分からない気持ちが僕の中で湧き上がってぎゅうと両手を握り締める。自分の弱みを握られたようで、それで居て非常に照れくさくて、本当に恥ずかしい。視線を握りこぶしに落としながら搾り出した声に虎徹さんは、わざわざ僕の顔を覗き込んで、忘れてねーよ、なんて声を上げるから、もう本当に始末が悪い!もう、この人は!
はぁ、とため息を付いて、顔を上げると、虎徹さんも顔を上げた。やっぱり顔をまじまじ見られているな、と思いながら、僕はポツリと声を上げた。
「まだ、練習中だから、貴方に食べさせるなんてことできませんよ」
「えー!マジかよ!」
僕の声に子どもみたいな声を上げた虎徹さんは両手両足を大きく広げてごろんと床に転がると、くそーと子どもみたいだった。
「折角思い出して、こっちに居るのがラストだったからバニーのチャーハン食べておきたかったのに~!」
唇を尖らせて虎徹さんは起き上がって胡坐をかいて、ぶーと声を上げた。その子どもっぽさに思わず漏れるのは、呆れた声だけだ。
「貴方、一体いくつですか……」
はぁ、と思わず漏れるため息を押さえきれずに吐き出す。
「見ての通りの立派なオジサンだってーの」
返された言葉に、ですよね、と言えばもう一度僕はため息を吐き出した。
自分が不甲斐なくてしょうがないとか、呆れてしまうとか、ため息の行き着く先はあの時虎徹さんを殺してしまったかもしれないとか、もう虎徹さんには会えないかもしれないとか、不安だけが心の中に膨らんで、弾けて、その所為で秘密にしていた練習の事も、零れる涙も、全部が全部堪え切れなくて吐き出し曝け出した自分に対してだ。
今この場でもし、時間を巻き戻すことが出来るのならば、あの時叫んだ自分自身の言葉を全て殴り倒してでも言うんじゃないと止めに行きたいと思いつつ、そんな事はよっぽどの事で無い限りできない夢みたいな現象だとそこまで思考が行き着きついたところで、バニー?と虎徹さんが僕に声を掛けた。
「なんかよくわかんねーけど、お前ため息は吐きすぎ。仕事に追われたおっさんかーっての」
けらけら、と虎徹さんは笑いながら言うと、僕は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「虎徹さんじゃあるまいし、まだ僕は若いですよ」
「うん、知ってる」
僕の言葉に虎徹さんはそう声を上げると、んじゃ、しゃーねーなぁ、と声を上げて腰を上げて、バニーと僕を呼んだ。
「何ですか」
「今回は俺が作るから、とりあえずお前のチャーハンはまた次の機会」
にっ、と笑う顔が僕にそう告げると、お前んちライスあるのかよーと虎徹さんは声を上げつつキッチンに向かっている。
作品名:Average value is a top! 作家名:いちき