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はじまる一週間(土曜日)

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 あははと笑い合う二人を見て、静雄は(トムさんはすごい)と尊敬の眼差しを向けている事にトムは気付かない。静雄は帝人と一緒にいる事が馴れたところで、こういった風に気さくに話し掛ける事はおろか、暖かな雰囲気など出せるつもりもなかった。笑い合う二人の間にはふんわりした空気が流れている。
 そう思う心中の片隅に、僅かに黒い感情も芽生えている事に静雄は気付いて首を傾げた。二人で話して笑い合っているところを見ると、むかむかとして腕に力が込められている。冗談を言い合ってトムが帝人の肩を小突けば(触るな)と心中で唾を吐いた。
(俺のなのに)
(俺のってなんだ?)
 静雄は帝人と付き合っている事実を思い出して、そこではたとする。付き合ってはいるが、静雄が帝人を好いている訳ではない事を自覚していた。あくまで帝人が静雄を好きで告白されて、なし崩しで付き合っているだけなのだ。
「静雄、そういう訳だから」
「は? なんすか?」
 静雄が空想に耽っている間に何が起きたのか、目の前で笑っていたトムと帝人が静雄の方に向き直っている。トムがふうと溜息を吐いた。
「お前聞いてなかったのか?」
 静雄はそこで、人生で初めてと言える程トムにむっとする。一体誰のせいで、色々と考えさせられていると思っているのだ。
「今日は仕事休んで、お前は帝人君と遊んでやれよ」
 トムの言葉に、静雄はぎょっとして帝人の方に目をやる。
 昼食を作って貰う事を自分から言っておいて、その舌の根が乾かぬうちに仕事で断った静雄としては、一体どうすればいいのかわからない。
 そもそも静雄は急な出来事に弱い。色事が絡めば輪を掛けてめっぽう弱かった。
 僅かに汗を出してたじろいでいる静雄に帝人は笑いかけた。
「静雄さん、今日は急にお仕事半ドンになったってトムさんから覗いました。僕で気晴らしになれば嬉しいです」
「トムさん!」
 目まぐるしく変わる自分の状況についていけず、静雄はここで大声を出してトムを見た。帝人は静雄の大声にびくりと身体を竦ませるが、トムは馴れたものである。涼しい顔をして笑っていた。
「たまにはいいじゃねえか。可愛い後輩に遊びのいろはを教わってこいよ」
 それとも嫌なのかと聞かれれば、静雄は「そんな事ないです」としか言いようがない。隣で身を竦ませていた帝人からも「いやでしたか?」と細い声で言われたのも効いた。(嫌な訳あるか)と静雄が思う脳内には、先日の帝人との邂逅が浮かんでいる。
「じゃあ後は俺がやっとくから、お前は一日休んで力付けろ。明日はいつもの時間でいいから」
 そしてトムは暢気に笑う帝人と未だ慌てている静雄を置いて、手を振りながら去っていった。その姿を恨めしく思いながらも、静雄はぎりぎりと歯噛みするだけに留める。
 それを級友だった新羅や宿敵である臨也にされれば物でもぶつけてこの場に留まらせるところではあるが、恩人であるトムにそれが出来る程静雄は非常識な男ではない。

 一体どうすればいいのか、何を話していいのかも分からずポケットに手を入れたところで、静雄はワイシャツの裾を僅かに引かれてそちらの方に目をやった。くんと僅かに捕まれた腕の先には、静雄より頭一つ分身長の小さい帝人がいる。
 その髪が風によってかきあがり、恐らくトレードマークであろう白い額が静雄の視界に入った。
「静雄さん、ごはん食べませんか」
「あ? ああ」
 帝人に言われて、そこで初めて静雄も空腹を感じて空を見上げた。朝見上げた時よりずっと、雲の動きが早くなっている。もしかしたら雨が降るかも知れないなと静雄は空気の匂いを取り込んで感じる。静雄はそういったことには動物のように敏感になれた。
「僕の家でも良ければ」
 行きませんかと続く帝人の腕を引いて静雄は歩き出した。掴んだ腕の細さに(何か食べさせなければ)と静雄の庇護欲が疼く。昨日も感じたが、自分の隣を歩く少年は細すぎると静雄は改めて思った。

 人混みを掻き分けるように数分歩いて、交差点で立ち止まったところで帝人から「どこに行くんですか?」という当然の疑問が静雄にもたらされた。その右腕はまだ静雄に捕まれていたせいで、些か不格好な状態で立ち止まっている。
「俺の家だ」
「静雄さんの・・・」
「約束しただろ」
 そもそも、その約束をしたのも違えたのも静雄である。何でもないように笑う帝人の俯いた横顔を見て、静雄は僅かに顔を顰めた。
「お前、怒ってないのか?」
「え?」
「今日、俺、約束」
 紡ぐ言葉が片言になってしまったのは、静雄が内心びくびくとしていたせいである。静雄は少なからず帝人といる事に安心を覚えていた。これはセルティやトムと一緒にいるときにも感じた空気である。そんな暖かさをくれる帝人に嫌われるかと一瞬でも思ってしまって、静雄は少年の顔を見る事は出来なかった。未だ笑って接してくれてはいるが、内心でどう思っているかは静雄には汲むことは出来ない。
 仮にその眉を顰められて、昔付き合っていた女のように「もうついていけない」等と言われてしまえば、静雄はその時とは比べられない程度の悲しみが自分を襲うのは理解できていた。
 そんな事になれば自分は生涯人間不信から立ち直れそうにないなとも理解している。その程度に帝人は静雄の大事なものに入り組まれているのだ。
「別に怒ってませんよ?」
 静雄の片言の言葉を反芻させて理解出来た帝人は、捕まれた腕をそのままに笑顔を向ける。静雄はその顔を見る事は出来なかったが、その声音が柔らかい事に驚いて腕の力を強めた。次いで帝人から小さく声が漏れて、思わず帝人のいる左手を向いて手を離す。
 静雄が久しぶりにしっかりと見れた帝人の顔は、眉を顰めて笑う痛々しい笑顔だった。

「悪い、大丈夫か、折れてないか」
「大丈夫ですよ、ちょっと驚いただけです」
 すみませんと続く言葉に(俺が悪いのに)と静雄はじんと胸が熱くなるのを感じた。こんなに優しい言葉を掛けられた事は家族にだってない。
「何で怒ってないんだ」
 わざわざ自分で蒸し返すのもどうかと静雄も思ったが、少し気まずい沈黙にも歩く人並みの雑音にも耐えられず、静雄が帝人を見てずっと心中にあった疑問を口に出す。
「仕事ならしょうがないじゃないですか。僕が怒るのは筋違いです」
 静雄を気遣うような言葉も、その瞳が真っ直ぐに自分を見詰めて来る事にも眩しさを感じて静雄は瞬きをした。普通の人間なら強い向かい風にその表情の細部まで読み取れなかっただろうが、静雄は掛けているサングラスのお陰でしっかりと目に焼き付けてしまったのだ。(眩しいな)と目が乾いている訳でも無いのに瞬きを繰り返す。
(こいつが女ならいい嫁さんになるだろうな)などと考えながら、静雄は「そうか」とだけ言ってもくもくと歩く事に集中する。
 隣を歩く帝人も同様で、たまに強い風を受けてよろけそうになっていた為に静雄が壁のように前を歩いた。

「ありがとうございます」と後ろから聞こえる申し訳無さそうな声に、静雄は頷くだけにして後ろを見る事はしない。