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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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SOUVENIR II 郷愁の星

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 すぐそばにいるのに、三人の男たちの声が遠くに聞こえる。誰かが鎧を外そうとしている。まずい、とリディアは思う。最近この鎧は小さくて彼女の体には合わなくなってきているので、せいぜい下着程度しか身につけていない。だがあらがうにも体が鉛のように重く動かすことができない。何故こんなことに……?
 「……この娘は辛い立場に……」
 やっと言葉として聞こえた。聞き慣れた低い声。ジュリアスだ。鎧を取っているのがジュリアスなら、こんなはしたない格好で、と叱るだろう。でも私が辛い立場にって何だろう。エノルム……あの口は悪いけれど根は優しい暴れん坊、彼が私を心配しているって何?
 そこまで思ったリディアの耳に、厳しい声が聞こえた。
 「だからと言って、この星に俺の力が無くてもいいということにはなりません」
 ……風の守護聖ランディの声だ。ああ……やはり、とリディアは失望する。この星にランディ様の御力はない。人々の怯えた表情も、すべて自分の招いたこと。
 リディアが神官になってからやったことは、すべての願いを止めることだった。とにかく父が有力者の老人たちから唆された炎と鋼の力だけは意地でも願うものかと思った。自分が神官である限りは、老人たちの思うままにはならない。たとえ十六の少女であっても神官は神官だ。この星において神官の言うことは人々にとっては絶対なのだ。
 だが。
 そこまでの知恵はあったが、その後がなかった。何が星の望みなのか、彼女には皆目わからなかった。他に何をどうすればいいのか、彼女に指し示す天使は彼女の前に現れなかった。それに、父を否定した天使が自分を受け入れるとは到底思えなかった。
 あの、ジュリアスの頭を悲しげな顔で抱いた天使の姿を見たきり−−。
 「それは確かにそなたの言うとおりだ、ランディ」
 頭の上から、ジュリアスの声がした。やっぱりね。ジュリアスもそう思っていたのだ、とリディアは落胆した。あの、父を貶めた時のように、いっそ自分についても一切を暴露して人々の前へ晒し者にしてくれればいいのに。私の息の根をジュリアスが止めてくれるのならば、それはそれで本望かもしれない。
 それにしても……呼び捨て。守護聖様に何て口の利き方をするのだろう、私には偉そうに礼儀を説くくせに。
 ふと体が軽くなった。鎧が外されたらしい。胸のあたりがすっとする。……恥ずかしい。胸を見られてる。きっとジュリアスは驚いているだろう。いけない、ランディ様もいるんだった! 
 そうは思ってみても、やはり体は動かない。瞼すらも動かせない。しばらく動けぬぞ、と言ったあのよその星の人も見ているかもしれない。……あの人は誰だろう?
 フワリと何かが体を覆う。ふぅ、とリディアは人心地ついた。
 「ならばおまえは良いのか? ジュリアス」
 あの人の声? ジュリアスをからかっている。親しげだ。ジュリアスの知り合い?
 そういえば、とリディアは思う。この星に来る前のジュリアスのことを、自分は何も知らない。たぶん、どこかで何か大きな仕事をしていたのだろうな、ということぐらいしかわからない。彼が一切語ろうとしなかったからだ。言いたくないものを聞くことはないと幼いながらも彼女は思っていた。
 「私はリディアが六つのときから知っている。風呂にだって入れたことがある」
 ……う、九つのとき登っていた木から落ちて足首を捻挫したときのことを言ってるんだわ、とリディアは思い出す。あのときもさっきみたいに「このお転婆が!」と叱られたっけ。髪や体を洗えないって駄々をこねてたら思いきりため息をつかれながら湯船に突っ込まれて、そのわりにはおずおずとした手で髪や体を洗ってくれた……。でも、だからって今の私の裸同然な姿を見ていいってことにはならないと思う。この鎧が小さくなるほどに、私は大きく……大人になっているのに。少し眉を顰めるのに成功したかもしれない。ジュリアスが気づいたかどうかはわからないけど。
 「では、私は引き続き闇のやすらぎの力を与えてくる」
 ……闇の力!
 記憶が蘇る。風の守護聖様がここに来たのは、首座の守護聖様である闇の守護聖クラヴィスがこの惑星ムワティエを訪問するための先駆けとしてだ。……では彼が?
 首座の守護聖である彼との親しげな言葉のやりとり、ランディを呼び捨てにし、穏やかな笑みで見守っている様子、そしてあの天使−−女王陛下の姿。
 すべてが合わさり、リディアの頭の中で一つの結論として導かれた。
 (ジュリアス、あなた!)
 声が出せない。もどかしい。気持ちは叫んでいるのに、肝心のジュリアスはそれに気づかずリディアの髪をさらりと撫でて彼女を仰向けに寝かせると、足元の鎧を外し始めている。鎧を外し終えると再び抱き上げられ、ふぁさ、とまた体に何かが掛けられた。ジュリアスの鎧の、ひんやりとした感触が肌に触れる。こんなに近くにいるのに、ひどく遠くに感じる。
 小屋の外へ出たようだ。閉じた瞼にも暗闇がしみ込む。そのとき、指がすっとその瞼をなぞった。
 「リディア……何を泣く?」
 そして柔らかで温かな感触が瞼を覆う。無意識の行動は真実だ。遠くない。こんなに近しい。リディアの涙はよけいに止まらなくなった。