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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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SOUVENIR II 郷愁の星

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 ぱたん、と扉が閉まる音がして足音が遠ざかる。リディアはそれが聞こえなくなるまでじっとしていた。
 ジュリアスは一応はリディアの寝台にころがっていた寝間着に着替えさせようかと試みたようだったが、どうやら断念したらしい。深いため息と共に彼はその寝間着を椅子に投げ、薄い下着姿の彼女をベッドに横たえさせると上からシーツをかぶせた。そして彼女の髪に指を差し込み、額に軽く口づけると去っていった。
 足音が聞こえなくなった。リディアはまずゆっくりと瞼を開いた。続いてシーツの中にある指先に力を込める。動いた。徐々に動かす範囲を広げていく。そしてようやく彼女はベッドから起き上がった。
 とうとう来てしまった、と彼女は思う。もう自分に時間は残されていない。腕や首を動かし、ゆっくりとベッドから出て立ち上がった。動ける。ようやく闇のサクリアの影響を脱したようだ。もっとも、動けるものの、まだ素早い行動が取れないのをもどかしく思いながら、リディアはシャワールームに行く。湯が当たると、体が少しずつほぐれてきた。
 「ジュリアスが守護聖様だったなんて……」
 小さく呟く。天使様−−女王陛下の慈しむような、だが悲しそうなあの瞳。懐かしかったのかな、とリディアは思う。
 それにしても、いったいこの星で何があったのだろう。ジュリアスは守護聖時代にこの星に来たらしい。この星がまだムワティエという名前でなかったころということは、内乱前、まだリディアの祖先の時代か。
 シャワールームから出ると、リディアはクロークの前に行き、奥のほうから白い、とろりとした手触りのローブを取りだした。女性神官の正装だ。それによく合う真珠の首飾りだけをつけ、鏡の前に立つ。リディアは苦笑する。最初で最後の神官の衣装だ。せめて引き際は神官の末裔らしくありたい。
 晩年の父のそれは恐怖政治そのものだった。悪口を言う者がいれば父は過敏に反応し、すぐその者を牢に入れた。もっとも、執務官のジュリアスがあれやこれやと理由をつけて恩赦ということですぐ解放したのでそれほどの騒ぎにはならなかったが、やがて人々は恐れて何も言わなくなった。風のもたらす勇気の力。それは父が滅したようなものだった。そして跡を継いだ自分は、それを幸いに神官の務めを果たしているふりをして過ごしてきた。父を嫌いながら、いざ父の存在を否定されると、直接手をくだしたジュリアスを恨み、天使が見えないとふてくされて努力を怠った。天使が見えないのではない、天使を見ようとしなかった。
 クロークの奥から銀の錫も出した。神官の家に代々伝わるこの錫……。父が死んだときに握られていたこれを、リディアはあの日以来初めて手にした。持ち手のあたりに輪がいくつか付いており、それを持って床をたん、と叩くと、その輪が揺れてしゃら……と部屋に響いた。
 「彼らが生きたいと願ったときに、陛下の手が差しのべられる。そして初めてそなたたちが動く」とジュリアスが言った。代表して願う役は自分だ。もう今さら遅いだろうし、自分が祈る祈らないに関わりなく風の力はこの星に与えられるだろう。それでも、リディアはやらなければならないと思った。
 勇気というものを与えられ、人々が自分を否定したとしても。