SOUVENIR II 郷愁の星
◆5
リディアは気合いをいれて、錫で玄関の床をたん、と叩いた。しゃらん、と輪が鳴る。奥からこちらへ近づく物音がして扉が開いた。部下の者か手伝いが応対するのかと思ったら、なんとジュリアス本人が出てきた。一瞬たじろいだが、リディアは驚くジュリアスに構わず、ずいと館の中に入った。
ムワティエの、ごくごく普通の古びた館だ。とてもこの星の政を司る執務官の住まいとは思えない。ぐるりと見渡しながらリディアは、聖地でこの人は一体どのような生活をしていたのだろう、と目の前にいるジュリアスを見た。
「リディア、もう大丈夫なのか? それにその格好はどうした」
そう言うジュリアスこそ上半身はシャツ姿だったが、下は鎧を付けたままだった。
「【黒い土地】に戻るのですか?」
ジュリアスからの質問を一切受け付けず、リディアは慇懃に尋ねた。
「……ここでは冷える。奥へ」
肩に触れようとして、ジュリアスはしかし手を引っ込めてリディアの先を歩いた。
「だが、あまり時間がない。そなたがこんなに早く動けるようになったということは……」廊下を歩きながら、ジュリアスが呟く。「やはり私は戻らなければ」
「闇の力を送ってくださるクラヴィス様のもとへ?」後ろからリディアが言う。「この神官である私が頼んだ覚えのない御力を」
客間らしい扉を開けようとして、ジュリアスが振り返る。苦渋に満ちたその表情に、リディアは内心どきりとしたが、何とか持ちこたえようと見つめ返す。
「……それについては詫びる、神官殿。私が領分を越えていることは重々承知して」
「今、祈りの間で風の力を送ってくださるよう願ってきました」
なるべく声が震えないように努力しながら、リディアはジュリアスの言葉を遮って言った。苦しげなジュリアスの表情が一転した。
「……なんだと!」
開きかけた扉をそのまま背にして、ジュリアスはリディアの両腕を掴んだ。間近にかっと見開いた蒼い瞳が迫った。
「リディア! 何故そのようなことをした!」
そしてぐいとリディアの肩を抱くと、玄関のほうへ行こうとした。
「な、何をするの?」
「願いを取り下げるのだ、今すぐ!」
ジュリアスを仰ぎ見る。こんなにうろたえるとは思わなかったので、リディアは涙が出そうになった。
「だめよ。私、ここに来る前、ランディ様に直接お願いしてきたんだもの」
行こうとする歩みが止まった。肩をきつく抱いていた指先から力が抜ける。明らかな落胆の表情。ふだんは何にも動じないような顔をしているのに。
「……リディア……」
「ジュリアスにはわかってるんでしょう? 私の祈りに関わらず、ランディ様は力を送らざるを得ない。だってこの星にはランディ様の御力はないんだもの」
畳み掛けるようにリディアは言った。
「……だからと言って、そなた自身が願えば」
悲痛なジュリアスの言葉を無理に打ち消すようにリディアは笑って言った。
「私のようなダメ神官でも、女王陛下は願いを速攻で聞いてくれるかな」
答えを、リディアは聞くことができなかった。目の前がジュリアスの着ているシャツの白い色でいっぱいになる。顔を動かすこともできないほど、リディアは強く抱きしめられていた。
作品名:SOUVENIR II 郷愁の星 作家名:飛空都市の八月