SOUVENIR II 郷愁の星
「私がジュリアスなら、あの娘を抱いたりはしない」紫の淡い光を発しながら、クラヴィスは傍らにいるランディに言った。「考えてもみるがいい。その目的を完遂したとたん、娘はどうすると思う?」
ランディは愕然としてクラヴィスを見た。
「ジュリアスが育てた娘だ。神官の責任だとか義務だとか、きっと叩き込まれているに決まっている」
ふっ、と鼻で笑うとクラヴィスはサクリアを止めてランディを見返した。
「あの娘……死ぬぞ」
ランディは額に手をやった。もしかしたらよけいなことを自分はしてしまったのか? リディアの命を縮めるようなことを。さっきの彼女は妙にさばさばとした顔をしていた。何も未練のない顔。もう後は自分の存在を消すのみの−−。
「俺……」
「おまえの行為は別段悪くない。ただ娘は民同様におまえからの力をはき違える。妙な“勇気”に踊らされる。時とともにおまえの力はなじみ、民の心も落ちつくのに」クラヴィスは肩をすくめた。「それでも、ジュリアスには同情するがな」
ジュリアスがリディアのことを単なる“家族”と思っていないことはランディにだってわかる。今ごろ辛い思いをしているに違いない。ランディの心は痛んだ。
「ところで、おまえはそのようなことを言いにわざわざ戻って来たのか」
そう言われてランディは口ごもった。ジュリアスに言われて来たが、クラヴィスは何ともないようだ。これならあのまま客室で寝ていたほうが良かったか。
「いえ……」
「ならばもう帰って休むがいい。事情はどうであれ、娘は神官としておまえの力を女王陛下に願い、しかも直接おまえにも依頼したのだから。おまえはすぐにこの星へ力を与えなければならない。ほとんどないところに力を満たすのは、それなりに骨が折れる」
「……わかりました」
力なく答えてランディは行こうとした。だが、後ろでずさ、と音がした。ランディが振り返ると、膝折れてクラヴィスがその場にしゃがみ込んでいた。
「クラヴィス様!」あわててランディが駆け寄り叫んだ。
「……大事ない。少し眩暈がしただけだ」
ジュリアスが言ったのはこういうことか? でも何故クラヴィスがこんな弱った状態だとわかったのだろう? 自分には全くわからなかったのに……。
「駄目です! 俺、ジュリアス様から言われたんです。クラヴィス様が辛そうにしていたら帰らせろって」
顔を少し苦痛でゆがませていたクラヴィスは、はっとして顔をあげてランディの方を見た。
「何……?」
「そうおっしゃったんです!」クラヴィスの肩を無理矢理抱きかかえようとしながらランディは言った。
そのとき、後ろから鎧のカシャンという音がした。ランディとクラヴィスがその方向を見ると、そこには厳しい表情のジュリアスがいた。ジュリアスはクラヴィスとランディのそばまで来ると、無言でクラヴィスに手を差し出した。大きくため息をつくと、クラヴィスは片方の手をジュリアスに、もう片方をランディに委ねて、ゆるりと立ち上がった。
再び小屋の中に入り、寝台に今度はクラヴィスを座らせて、ジュリアスは静かに言った。
「もう休め、クラヴィス。この時期は辛い」
クラヴィスは身を簡素な寝台に横たえるとふっと笑った。
「……経験者は語る、というわけか」
「あの……、ジュリアス様、これは一体?」
ランディの問いかけに、ジュリアスは小屋の窓を指さした。
「ランディ。そなたがこの土地に力を授けるとして、どのぐらいの時間を要するか」
唐突な質問にランディは戸惑ったが、その指先を見て答えようとして−−気づいた。
「半日も……要りません」
そう。そうだった。クラヴィスは三日と言っていた。何故、気づかなかったのか。あのときジュリアスはいぶかしげな顔をしていた。自分の迂闊さに腹を立て、ランディは悔しげにクラヴィスを見た。
「……そのような顔をして私を見るな、ランディ」苦笑してクラヴィスは言い、ジュリアスを見た。「おまえがランディを寄こしたのか」
ジュリアスは黙って頷いた。
「残念だな、ジュリアス。おまえの目論見は今のところ、とことん外れている。私の力が頼りないのに対し、ランディの力はあっという間にこの星を席巻するだろう……あの娘は突っ走ってしまったようだし」
クラヴィスの言葉は意地が悪いが、目は慈しむようにしてジュリアスを見ていた。ランディはその視線の先を見てぎょっとした。よく見るとジュリアスの目は赤く、少し潤んでいた。さっきまで泣いていたのだ、この人が……。見てはいけないものを見たような気がして、ランディは目を伏せた。
「まさかそなたがこのような状態とは思わなかったからな」
表情を緩めてそう言うと、ジュリアスは小屋の隅にある棚から瓶とグラスを一つ取ってきた。
「気付けに良い。飲むがいい」
酒らしい。グラスに少し注ぐと、ジュリアスはそれをクラヴィスに渡した。
「おまえもそうだったのか?」こくりと一口飲んで、クラヴィスが尋ねた。
「少し……な。体調の変化はある程度やむを得まい。この瘴気が平気なそなたたちと、鎧を身に付けていなければならない只人となった私との違いのように」
「もう少し瘴気を抑えられていれば、おまえも民たちに対して抗弁のしようもあっただろうにな」
グラスを返して、クラヴィスは横になった。
「……そなたの言うとおりだ」ジュリアスが苦笑した。
彼らは二人だけで通じる独特の語り合いで済ませている。どうもこの二人の会話は、ランディには今一つ見えない。少し不満げな顔色をみとめたのか、ジュリアスがランディに向かって言った。
「私は、リディアが悪い立場になる前にクラヴィスにここのいわば“浄化”を依頼したのだ。それをリディアが願ったこととして民に言うつもりだった。私は民のリディアに対する追及についてはそれほど問題にはしていない。結果さえ良ければ矛先など変えてしまえる、と思っている」
清廉潔白な気性だと思っていたのに。ランディには意外だった。
「十年も揉まれれば、それなりに処世術は学習する。私ですらもな」少し笑ってジュリアスはつけ加えた。だがすぐ笑みを控え、彼は続けた。
「だが、矛先を変えるほどの劇的な変化があったかどうかは不明だ。瘴気は夜に強い。今これだけ抑えられているので、この調子なら日中なら何とか言いようもあるかもしれない。ただ、私が懸念しているのは」
「あの娘の潔癖さ、だな」
ジュリアスはクラヴィスのほうに視線を流し、そして目を先ほど受け取ったグラスのほうへ落とした。
「……そうだ。私がそういう小細工をしても、それをリディアは許さない。私が全て悪いのです、の一言で」ジュリアスはそこで言葉を切った。「そうするほうが楽なのだ。安易な道は選んでほしくない」
「相も変わらず厳しいな」クラヴィスはくす、と笑うとジュリアスを見た。「その代わり、死ぬなとすがるぐらいのことはしてやったのだろうな? ジュリアス」
ランディはジュリアスが怒鳴るかと思った。だが、ジュリアスはふぅとため息をつくと、真面目な顔をして言った。
「ああ。それで短気を起こさないのであれば私は何でもするつもりだ」
作品名:SOUVENIR II 郷愁の星 作家名:飛空都市の八月