SOUVENIR II 郷愁の星
◆7
ローブに着替えて錫を持ったリディアが神殿前の広場へ向かうと、それまでざわめいていた民たちは一瞬水を打ったように静かになった。そして再びざわめく。あからさまに嫌そうな顔をこちらに向ける者もいる。先日までの神殿の中での上目遣いに見るような態度からは雲泥の差だ。幼いころから次期神官と崇められて育ったリディアにはこれはかなり堪えたが、これこそが『死ぬことより辛く厳しいこと』のささやかな始まりに過ぎない。ふだんならそのような不躾な態度を感じることがあればすぐに睨み返すのだが、リディアは我が身を晒されるままにして、民たちの間を神殿に向かって歩いた。
首座の守護聖の謁見に立ち会うということで、さすがに民たちは剣を帯びることを禁じられていた。それはもちろん暴動に発展した場合の予防でもあった。先に到着して兵士や文官たちにあれこれと指示をしているらしいジュリアスの姿が映る。そういうことは万事手抜かりがない。こうやって安心して場に臨むことができるようにしてくれていることに、リディアは感謝した。ジュリアスのほうへ、リディアは少しだけ笑みを送った。ジュリアスにしてもとっくにリディアのその存在には気づいていたらしい。その瞬間、彼はにこりともしなかったが目線だけはしっかりリディアに合わせていた。それで充分だった。
広場から神殿に向かう途中は緩やかな階段状になっている。その中程あたりにリディアは控えた。
ざわめきが静寂に変わる。
リディアの目の前に、長身の、黒く長い髪、そして黒いローブ姿の男が現れた。ぼんやりと覚えているその輪郭で、これが闇の守護聖クラヴィスであるということがわかった。
リディアが跪いて深く礼をすると、後ろで民たちも一斉に同じく跪いて礼をしている気配がした。
「これは何の騒ぎだ、ムワティエの神官よ」クラヴィスの、低いものの場をよく通る声が響いた。「民たちまでも集まって一体何をしようと言うのだ? 私はおまえからの依頼であの【黒い土地】に私の力を授けに来ただけだというのに」
−−それはジュリアスの願いであって私の願いではありません、私は何もしていないのです。ええ、何も!
リディアはそう言いたい衝動に駆られて苦痛に喘いだ。正直過ぎる心に、沈黙を守るということはとても辛いことだった。だがこの嘘はつき通さなければならない。
「……わかりかねます」なるべく震えないよう気をつけながらリディアは答えた。「私から申しあげられることは、わざわざこの辺境の地まで、首座の守護聖様自らお出ましいただいたことに御礼を」
「……失礼ながら」
リディアの言葉を遮り、老人たちの一人が顔を上げた。
「本当に神官の願いなのでしょう……」
その言葉が途切れる。リディアも顔を上げて改めてクラヴィスの顔を見た。冷たい眼差し。まさに神と呼ぶにふさわしい威圧感に、“勇気”を与えられた老人も思わず口ごもったらしい。
「ランディ」
彼の横に、もう一人の守護聖がいた。司る力が異なると、これだけ様子も違うものかとリディアは思う。さすがに今ランディは笑ってはいなかったが、明るい表情で自分を見てくれている。リディアは改めて彼からジュリアスを託されたことを嬉しく思った。
「はい」
「おまえも願いを受けた一人であったな」
「はい。俺はこの星全部に力を与えてほしいと神官から」
それは確かに本当だ。ただし時期に問題があるが。
再びクラヴィスは老人たちのほうを見る。
「聞いてのとおりだ。我らの言うことが嘘だとでも?」
異議を唱えた老人は顔を真っ赤にして首を横に振った。
「め、滅相もございません。……ただ」
クラヴィスの眉が再びつり上がる。だが老人も必死の形相で続ける。
「私たちは、そこにいる神官殿が祈るところを見たことはございませぬ。守護聖様が先代の神官殿のことをお聞き及びかどうかわかりかねますが、そのときも天使様は神官でなく、そこなる執務官ジュリアスのほうに加担されたのでございます。執務官は神官殿の後見でもある。代わりに願ったのではないかと」
そこまで言って、老人は大きく息を吸った。
「……ほう?」
目を細めてクラヴィスはランディと反対側に控えていたジュリアスのほうを見た。
「そうなのか? 執務官よ」
作品名:SOUVENIR II 郷愁の星 作家名:飛空都市の八月