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朱金の王花

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 国といっても、さほどに大きいものではなかった。だがそれでも、いくつかの集落を若いながらもうまくまとめ、そして慕われる男は確かに一国の王だった。高くも豪華でもないがそれなりにきれいに作られたその王の居館には花園があり、そこでは四季折々の花が育てられていた。
 その中には牡丹もあった。東方では王の花と呼ばれるものであり、縁起が良いとして庭師が特に丹精していたのだ。その牡丹に奇跡が起こった。ある年の初夏、特に匂いも色も良い一輪が咲いた瞬間、「花の精」が顕れたのだ。王の御前に。これは大変な瑞兆であるとして、民は大いに湧いた。

 紅い衣は天のものである証。その羽衣をまとえば、花の精はふわりと天を浮いた。
「その衣は、いつでも身に付けて?」
 今は王の客人として居館に留まる花の精、今となっては世人に「朱の花」とか「王花」とか呼ばれるひとは、悪戯っぽく笑い羽衣を身から離した。驚く王に、そのひとは楽しげに笑うだけ。
「そんなことはない。まだ帰るつもりもないし」
「…では、まだここに?」
 男はほっとしたような、うれしそうな顔を向けた。花の精は少し考えたあと、こくりと小さく頷いた。王は今度こそ破顔して、まるで恋人に向けるようなまなざしでもって花の精を見つめた。嬉しい、と雄弁に語る瞳を。
 天のいきものである花の精に、人間の感情はあまりにも重く、むきだしで、痛く恐ろしいものだ。だから、その感情の強さにひくりと肩をそびやかしていた。だが王となるべくしてなったような男はそれだけに向き合う相手の心の機微に敏く、そのためだろう、すぐさま花の精の気持ちを汲んで表情を穏やかなものにする。
 そのことに、花の精はほっとした。自分の地上の眷属である牡丹の花がこの男の庭では本当に美しく咲く。とてもよい王だと眷属たちは歌うように天の本性であるそのひとに伝え続けていたから、どんな男かと地上へ降りてきた。花の精に人間のような恋愛感情はない。けれども、彼のことは好ましい人間だと思った。だからずるずると帰る時を忘れて地上へ留まっている。彼と自分の時は違うし、いつまでもいられるものではないのに。
「あなたが帰られたらさみしくなります。でも、いつまでもここにお引き留めできるものではないでしょう。せめて…あなたがお帰りになるときは宴を催さねば。豪華な宴を。あなたは派手なのが好きだから」
 きちんと見送ります、という王の言葉にこめられた意味に、花の精はもう一度安堵した。帰さない、と言われたらと一瞬恐怖が過ぎったせいだ。だが、王は誠実な男だ。こうして口にしたことをたがえはしないだろう。そう思い、ほっとした。
 その安堵が、花の精の口を軽くした。
「…寂しいって。そういうなら、王。名を」
「え…?」
「王ならわたしを縛らないだろう? わたしの名を預ける。どんな離れた場所でも、呼ばれれば声が聞こえる。わたしはその時地上にはいないかもしれない、でも、どこにいたって絶対に聞こえる。だから呼べばいい、さみしくなったら」
 名前は呪術の根幹に関わる。地上へ降りるのはかまわないが、名前だけはけして明かしてはいけないと老婆心の忠告をいくつも受けた身だった。しかしそうはいっても人間に花の精がどうこうできるものとも思えなかったし、この誠実な男がそんな卑劣な真似をするとも思わなかった。それだけ、信じていた。信じて、微かな声で明かしたのだ。たったひとつのほんとうの名前を。けして渡してはいけないと、釘を刺されていたのに。
「…ありがとうございます」
 男は呆然と目を見開いていたが、小さく確認するようにその名前を繰り返して、礼を言った。花の精は目を細めてはにかむ。なんだか嬉しかったのだ。男が嬉しそうな顔をするのが。大事な宝物のように自分の名を呼ぶその声が。
 その頃にはもう、一瞬でも恐怖を感じたことなど忘れてしまっていた。自分がどんな失策を犯したかもまるで気づいていなかった。
 花の精が安堵したのを読んだのだろう、王はそこで話題を変えた。会話はごく当たり前の、日常的なものになる。
「ところで、他の花が今は見ごろだとか。ご覧になりますか」
「…牡丹よりきれいな花が?」
 何となく人間である王にうまく丸め込まれているようなのが不本意で、そのひとは口を尖らせ拗ねたようなことを言う。そうすれば王は驚いたように目を見開いた後、なぜか嬉しそうな顔で苦笑した。
「あなたよりきれいな花なんてあるものか。…ただ、わたしたちよりはあなたに近いでしょう? 気が晴れるかと、それだけですよ。この所雨が続いて、あなたは退屈そうだから」
 先に立ち上がった男は、さあ、と手を差しだす。花の精はちらりと金色の瞳でその手を見た後、しぶしぶと言った様子で己の手をそこに重ねた。温度のない白い手を壊れ物のように握って、王はそっと客人を立たせてやる。
 そうして連れ立って回廊を歩く姿はなんとも微笑ましく、仲睦まじいもので、館に仕えるものたちは皆、この美しい花がこの国に、王の隣に留まってくれることを心から喜んでいた。そして、それが幾久しく続くことを願った。

 だが、地上の冬は花の精には到底耐えられるものではない。
 秋が訪れる頃、その美しい客人は唐突に言ったのだ。そろそろ天上へ帰る、と。
 王はしばらく返事をしなかった。愕然とした顔に、花の精の痛むはずのない胸がひどく痛んだ。彼を傷つけたことがわかって、それが、そういった感情などないはずの花の精を悲しくつらい気持ちにさせた。
「…そんな顔するな。春になったら、…」
 王は最後まで言わせなかった。常に穏やかで紳士的な態度を崩さなかった彼が見せた、最初の強引さだった。
「行くな。…帰らないでくれ」
 強い力で抱きしめられて、花の精は思わず悲鳴を上げた。むき出しの人の心があまりにも強すぎて、恐怖さえ感じた。春になったらまた来る、伝えようと思ったその言葉も、言わせてもらえなかった。有無を言わさぬ力で口付けられたからだ。
 逃げようと思えば逃げられたはずだった。あくまでも、花の精は人間ではないのだから、どうにかして王の腕から逃れることも、どころか彼を害することだって出来たに違いない。だが出来なかった。あまりのことに頭も体も追いつかなかったのだ。あっという間に紅い衣は奪われ、力任せに抱かれて、気絶から覚めたときには檻の中に閉じ込められていた。畏れ多くも天のいきものを封じ込める呪いをこめた檻の中に。
 あまりのことに呆然とする花の精に、やさしげな顔をして王は言った。その時、彼の顔を見て、きっと彼の中の何かが狂ってしまったのだと思った。男は相変わらず聡明そうな目をしてはいたが、その奥には名状し難い狂気のようなものがちらついて見えたのだから。
「…帰るときは、宴をするって」
 ぽつりと口をついて出た言葉に、王は片方の眉を下げた。聞き分けのない子供を諭すような顔だった。
「宴ならいくらでも。お帰りにならずとも、毎夜でもあなたのために」
 いっそ穏やかな顔で言うのが、花の精にとってはあまりにも絶望的だった。
「…詭弁だ、」
作品名:朱金の王花 作家名:スサ