朱金の王花
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セントラルステーションにつくやいなや、ロイはなぜか出迎えと言う名の拘束を受けた。これから乗り込もうとしていた出鼻を思い切りくじかれた形だ。
大総統閣下がお待ちです、と耳打ちされれば行くしかない。どの道用事はあったのだ。だがまさか相手から呼ばれるとは思いも寄らない。ロイは軍人としては高い地位を有してはいるものの、大総統から直接声がかりで何か、という程に高い地位ではないだろう。そして、例えば護衛などを務めるには逆に位階が高すぎる。
用事と言うならひとつしかないだろうな、とロイは淡々と考える。大総統府へ向かう車内で。見上げた空は快晴で、まるで真夏を思わせた。こんな日ならよもや負けはしないだろう、そう思った。
到着するなり、ロイは大総統が待つ部屋へ通された。緊張を表に出さず、若き大佐は落ち着いた挙措でそこまでを進む。
とりとめもなく思い起こされるのは、何年も前この建物で見た人ならざる雰囲気の佳人と、それによく似た少年の表情である。彼のことは怒らせてしまったままだ。あれが最後というのはどうにもいただけない。
通された部屋には彼がいるのだろうか。大総統に連れ去られ、どうしているだろうか。強い少年だが、いつも一緒の弟と離れているのは心細いだろう。弟のことが心配でもあるはずだ。
安心させてやらなければ、と考えて、ロイは苦笑した。ここまで自分は優しい人間だったのだろうか、と思って。
入室を許された室内には、大総統がひとり佇んでいた。どうやらエドワードはいないらしい。訝しんだのを顔には出さず、お呼びにより参上しましたと慇懃に頭を下げれば、大総統は普段の堂々としたさまで快活に笑い、まあ掛けたまえ、と着席を勧めた。
会釈をして椅子に掛ければ、窓際に立って外を見ていた大総統もまた着席する。
「マスタング大佐」
「はい」
「中央への用事は急ぎかね」
駅に着いた途端半ば強制的にここまで連れてこられた。用事など勿論済んでいないが、元が中央へ来るための口実でしかないものだ。急ぎではない。
「これからですが、急ぎではありません。問題はありません」
急ぎだといったら解放されるわけでもないだろうに、と思いながらも丁寧に答える。反抗的になっても意味はない。
「そうか。ん、それならばよい。実はな、大佐。こみいった話なんだがな」
「は…」
「以前君が連れてきた錬金術師。鋼の錬金術師がね、ここで姿を消してしまってな」
さしものロイもこれには一瞬言葉を失った。アルフォンスは、エドワードは大総統に突然連れて行かれたと言っていた。彼が嘘をつく必要は全くないのでこれは真実だろう。だとすればエドワードをここまで、か、もしくはいずこかへ連れ去ったのは目の前にいる男である。よしんば、アルフォンスが大総統だと思ったのが大総統本人ではなかったとして、なるほどそうであれば大総統とエドワードの行方は関係ないことになるが、その可能性は薄いといわざるを得ない。誰がセントラルで大総統を騙るというのか。そんな危険を侵す馬鹿がいるとはロイにはあまり思えない。まして騙るならもっと別のことをするはずだ。
「…ここに来て、そして消えたのですか」
しかし大総統にしらばっくれるなと掴みかかることも出来ず(勿論恐怖ではなく、駆け引きの問題である)、冷静に、と自らを律しながらロイは尋ねる。大総統は鷹揚に頷いた。
「大総統府の奥に、花園がある」
ロイは今度こそ息を飲みそうになったが、瞬きでどうにかごまかした。大総統は何も言わない。ロイが驚いていることはわかっただろうが、知っているから驚いているのか、単純にそんなものがあることに驚いているのか、そこまでは気づいていないだろう、…と期待まじりに彼は考えた。
「…。行ってみるかね、大佐」
しばらくロイを見ていた大総統が何を考えたかは、結局わからなかった。だが彼はロイについてくるかと問うた。その意図など、さらにもってロイには不明である。だが断る理由もなかったし、そもそも大総統の提言に逆らうなど反逆にも等しい。いずれ反旗を翻すにしても、それはこんな準備も何も整っていない今ではないはずだった。
「はい。お許し頂けるのでしたら」
許すも何も一度迷い込んでいることなどは棚に上げて、ロイは頭を下げた。大総統はそんな男の黒髪のてっぺんをしばし見ていたが、腰を上げるとこう声を掛けた。
「ついてきたまえ」
いつか迷い込んだことがある石造りの回廊を行く。響く足音は二人分。ロイは、前を行く大総統の背中を見た。この男が何を考えているのかはさっぱりわからない。
「マスタング大佐は」
不意に、大総統が話しかけてきた。歩みは止まらなかったが。
「はい」
「牡丹の昔話は、知っているかね」
「…昔話、ですか?」
唾を飲む気持ちで、ロイは慎重に問い返す。大総統は「そうだ」と鷹揚に頷く。
「…アメストリスの始まりに花あり。天、その美しさを惜しみて手折らず。ゆえに我、アメストリス、朱の花もて王花となす。しからば天、我を滅ぼさず。…ですか?」
エドワードにも聞かせた建国神話の一節をそらんじれば、君は博識だな、と褒め言葉らしきものが返ってきた。ありがとうございますと答えるべきかどうか暫し迷ったロイに、大総統の次の言葉がかかる。
「本当だったら、どうするかね」
「…は?」
思わずロイは二の句を告げずに絶句した。本当だとしたら? 何が?
大総統は、回廊の向うに光が見えてきたあたりで唐突に立ち止まった。そしてゆっくりと振り返る。
「王の血筋が絶え、貴族の世になり、そして貴族も絶え、今の政権が出来た。その間も、ずっと守られてきたものがあったといったら、君はどう思う」
逆光で表情は読みづらかった。大総統が何を考えてそんなことをいっているのか、皆目見当もつかない。だが、問われれば答えるしかない。
「何を、守ってきたと仰るのですか。閣下」
ロイはかつて、この奥で堅牢な檻に囲まれた花園を見ている。そこには牡丹が咲いていた。建国神話が伝える「朱の花」とは牡丹のことだという。天から降りてきたのは牡丹の花の精だったと。
馬鹿馬鹿しい話だ。天がそれを惜しんで滅ぼさないと、ではその「天」とはなんだ。運命とか神とか呼ばれるものだろうか。そんなものが本当にあるのだとしたら、理不尽と不条理が横行する世の中を許すのはなぜだと問いたい。
「花」
大総統は短く答えた。揺るぎのない態度で。それはとても冗談を言っているような様子ではなかった。
「花…ですか」
ロイは芸もなく繰り返すしかない。
「さよう。この国を治める者が変わっても、変わらずに守られてきた、この国の象徴ともいうべきものが、この先にいる」
「…いる、と仰いましたか、今。ある、のではなく」
いるのとあるのとでは大きく違う。いる、という言葉を使うのは、少なくとも生き物だろう。植物や無機物に、ふつう、いる、という表現は使わない。ではそこに何が「いる」のかとロイは大総統を見る。あの日見たひとが記憶から蘇る。
「なぜ、私は君をここに呼んだと思う」
「わかりません」
ロイは正直に答えた。大総統は気分を害した様子もなく、回廊の切れ目へ首を向ける。
「実は、私にもわからんのだ」
「…は、」