朱金の王花
少年を引き留めたかったのは自分の休憩時間を引き延ばしたかったからだ、などと嘯いていたが、真相は結局わかっていない。結果をいうのであれば、お冠の中尉にあっさりコートは取り返され、大佐は追加で決済書類を受け取る羽目になった、ということだけ。
そしてファルマンはそのコート隠しをして、羽衣伝説の話をしてくれたのだ。
曰く、天女を引き留めようと空飛ぶ羽衣を隠してしまう男の話を。実際決済書類の追加よりもそのたとえ話になぞらえられたことの方がロイにはショックだったらしく、後はもう真面目な顔をして見送ってくれたのだが。
だけれどもこの話が中尉やハボック少尉の気にはいったらしく、まさに気まぐれな天女とは言いえて妙、とエドワードまで一緒にからかわれてしまったから、エドワードにとっても嫌な記憶になっているらしい。
だがそこまで思い出して、なるほどこの牡丹の話はそれとディティールが似ているといえば似ている、とアルフォンスも思った。
尤も伝承や伝説の類は各地に似たようなものが残っているのが常なので、似ていたとしてそこには深い意味はないのかもしれない。古来より女性を花に喩えるのはよくある話だし、これもまたひとつの羽衣伝説なのだろう。そして、登場人物を置き換えるなら、結婚に反対する父と若い男女と考えればすっきりする。呪いというのが唯一穏やかではないが、それを除けば、昔からその手の諍いは絶えたことがないのだ、とただそれだけの話かもしれなかった。
「で、その牡丹の話と兄さんの変な顔と大佐ともめたのはどう関係あるわけ?」
弟は素晴らしく優秀だった。エドワードは舌打ちしたくなる。
アルフォンスは昔話に集中するかと思いきや、最初の話をけして忘れていなかったらしい。まったく身内は手ごわい。何しろ容赦がない。
「…変な顔は余計だ」
ぼそりと言った所で、何の力もなかった。
そして、エドワードはロイがあの日話して聞かせたことを弟にも聞かせざるをえなくなった。大体のやりとりとあわせて。
「そんなつっまんないことでハンストしてたの?」
全部聞いた弟の感想と言ったら酷いものだった。だから話したくなかったんだ、とエドワードはそっぽを向く。
しかも、つまんない、ではなく、つっまんない、と来た。地味に傷ついて、エドワードは暫し沈黙した。アルフォンスは非道な人間ではないが、兄への突っ込みの厳しさにおいては他の追随を許さない部分がある。
「でもさあ、大佐は一体その、兄さんに似た人の何が気になってんだろうね」
「知るかよ、どうせ女だったんじゃねえの」
「それって兄さん、自分は女顔だっていうの」
「…どこがだよ!」
「だよねえ、兄さん目つき悪いし、とてもじゃないけど女性的には見えないよ」
あっはっはっは、と笑う弟がいっそ小憎たらしかった。だが口でかなう気がしなかったので黙っておいた。
「ま、黙って立ってれば整った顔だと思うけどね。まあそれはそれとして」
しかし黙っていたらアルフォンスはなんだかとんでもないことをさらりと言った。え、と顔を上げれば、なあに、と返され、なんでもねえと返す。
「…大総統府の奥に牡丹、か…」
アルフォンスは顎を押さえて少し考え込むような様子を見せた。
「うーん、やっぱりよくわかんないねえ。でもいっこだけわかることはあるよね」
「なんだよ」
訝しめば、アルフォンスは「わからない?」と小首を捻ってこんなことを言った。
「大佐はその人のことか、兄さんのことか、どっちかが好きなんだよ」
もしかしたら両方かもしれないけど、という弟の追加の一言は、エドワードにとって何の救いにもならなかった。