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エゴイスト達のシグナル 1

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2.初恋は、激しく過酷で美しすぎました 後編




「……大変!! お兄さん、絶対に動かないで下さい!!……」
彼女はベッドへと駆け寄ってくると、ポケットから万能ナイフを引っ張り出した。
正直、自分は最初がっかりしたのだ。
どう多く見ても、彼女はまだ11歳か12歳の子供で、とても自分を助けられるようなスキルなんて持ち合わせていないように思えたからだ。

「まさか君、それで俺の上に乗ってる瓦礫を崩すつもり?」
「そんな馬鹿な真似なんてしません。支柱に負荷が掛かって折れでもしたら、お兄さんが潰れて死んでしまいます」

ぱちんとナイフの刃を開き、彼女が突き立てたのはトゥーリが磔にされていたマットレスだった。
厚い布地を横に切り裂けば、中から圧力で飛び出した羽毛が、ふわふわと宙に舞う。
「これを掻き出してへこませますから、お兄さんは下から柱を掻い潜って脱出してください。多分、首と肩が抜ければ、体は何とかなりそうですね」
「……判った、ありがとう……」
「お礼は助かってから頂きます。じゃ、もう少し我慢してください」

黙々と終始無言で、小さな手が布地の奥に突っ込まれて背後に捨てられる度、自分の頭を押し上げてた羽毛の厚みが失われていく。
緊迫した時間の中、彼女の作業中に頭上で鳴るミシミシと軋む音が耳につき心臓に悪い。
よくよく上を眺めれば、瓦礫をトゥーリから守り、支えてくれている天蓋ベッドのかつての柱部分は重みで大きく撓んでいる。
最早限界なのは明らかで、いつバキリと折れてもおかしくない。
だから、彼女も焦っているのだろう。

「お兄さん、準備は整いましたから、ゆっくり頭を抜いてください。慌てて柱にぶつけたりしないで。振動をちょっとでも起こせば崩れそうですから気をつけて」
「……ん……」

首を押さえつけていた金属柱から、そろりそろりと抜け出すまで掛かったのは多分10分程度。
でも命の危険にリアルに晒された身には、長い長い時間だった。
やっとの思いでベッドから抜け出せた時、疲労困憊のあまり、粉塵まみれの汚いカーペットに四つん這いになって呼吸を整え、手の甲で冷や汗を拭った。


「……えーっと、俺はトゥーリ・フォン・ベルナドッテ。君は?……」
「アンジェ・バレリーよ」
何処かで聞いた名だな……と、ふと頭を横切ったが、自己紹介もそこそこ、命の恩人はぐいっと彼の腕を手に取り、立たせた。

「もう直ぐ夜になります。貴方は薄着すぎるし、ここより私の部屋の方がまだ状態がいいわ。移動しましょう」
そういえば、自分の格好は寝巻きのままだった。
それに熱が上がったのか、もの凄く寒い。

「このホテルで今、何が起こっている?」
「判らないです。でも私が言える事は、……フロントと連絡は取れず、携帯鳴らしても繋がらなかった。エレベーターも動いてないし、非常階段も瓦礫で埋まってて辿りつけない、………それに、この階の行けそうな所を全部行ってみたけれど、生存者は今の所、私と貴方だけだった……」

その惨状を目の当たりにするのは、直ぐの事。
瓦礫を掻い潜って廊下に出た途端、このホテルの制服を着た数人が、倒壊した壁や落下した天井やシャンデリアに潰され、死体となってあっちこっちに転がっていた。
出入り口が全く無い完全な密室空間で、流れた血の生臭い匂いが、どれ程胸を悪くしただろう。
吐き気を手の平で抑えつつ、堪えながら案内されたのは、隣のスイートルームだった。

居間のシャンデリアは落下し、壁とかも窓に近い所が結構倒壊していたけれど、天井は割りとしっかりしており、また強い衝撃がなければ崩れるような心配は無さそうだ。
薄暗くなりつつある室内で、電気がつくかどうかスイッチを確認したけれど駄目だった。
暖房は期待できないし、瓦礫を二人で撤去して逃げるのもまず不可能。
救援がくるまで、ここで静かに待つしかなさそうだ。


「アンジェ、君は一人でここに泊まってたの?」
「いいえ、父と一緒です。けれど父は今日、王宮でお祝いの音楽を奏でる大切なお仕事があって、私は明日午後からの参加だから、ここでお留守番をしていて」
「もしかして、君の父ってジャック・バレリー?」
「ええ」

自分はあまり音楽の世界には詳しくないけれど、あの世界的指揮者が、国賓扱いで招待されるのは頷ける。
娘も確か6歳から天才的とピアノの評判が高く、国際コンクールを総ナメにしてきた実績もある。
父親の指揮するオーケストラをバックに、華々しくデビューしたのは今年だが、親の七光りもあって、将来を嘱望されている新進気鋭のピアニストの筈。
ベルナドッテ財団が主催したコンクールで優勝を飾った折、確か自分の父は彼女の2年分のパリ留学費用を出資していた。
その縁もあり、デビューコンサートは家族全員分招待状が送られてきたけれど、トゥーリ自身、学校の寮生活があったので行けなかったのだ。

道理で、12歳なのに冷静で大人びている訳だ。
きっと幼少の頃から、世界に揉まれて生きてきたからだろうか。

「さぁ日が暮れる前に、作業を終えてしまいましょう」

寝室のベッドから二人、無事だったマットレスと毛布と上掛けを全てかき集め、床に敷き詰めて一つの寝床をこしらえた。
これは天井が落下した時、天蓋ベッドが防波堤になるようにと、自分の身に起きた教訓で学んだものだ。

その後熱が上がったのか、ふらふらになった自分はそのまま崩れるように寝床に沈んだ。
一眠りして起きた時はもう夜更けで、額には濡れタオルが置かれ、喉がひりつくようにカラカラだった。

「……トゥーリ、大丈夫……?」

横に潜り込んで一緒に寝ていた彼女が、懐中電灯を灯す。
上半身を起こして起き上がると、直ぐに肩が冷えないように、どこからか見つけてきたガウンを羽織らせてくれた。

「何か……、飲むものが欲しい……、水……」
「ミネラルウォーターでいい?」

直ぐに500ミリのペットボトルが差し出された。
封を切り、喉を鳴らして一気に全部飲み干してしまってから、ハッと気づく。

「……ごめん、節約しなきゃいけなかった……?」
「大丈夫よ。私が行ける部屋全部回って、冷蔵庫にあった飲み物をかき集めてきたから。でもそのペースじゃ一週間って所かしら? 何か食べる? って言ってもこんなのしかないけど」
くすくす笑いながら、彼女はぱちんと万能ナイフを開いた。
懐中電灯に照らされ、床に無造作に置かれた三つの籠には、沢山のフルーツが盛られている。
スイートルームに芳醇な匂いを漂わせる為、花と同じように飾られるものだ。
普段なら、食べる宿泊客など殆ど居ないそれは、今となっては貴重で嬉しい食料である。

「じゃ、バナナとりんごを」
「はい」

バナナの皮を半分だけ剥き、中身を食べやすい一口サイズに切って、皮をお皿にして盛って手渡してくれる。
りんごも、バナナの残り皮を皿代わりにして細かくしてくれた。

「本当は、リンゴ、摩り下ろして食べさせてあげたかったけれど。熱がある時美味しいのよね」
「十分だよ」

冷たいバナナとリンゴを頬張ると、今度は背筋からぞくぞくと寒くなってきた。
室内でも吐く息は白く、二人ぴったりと身を寄せ合って、ようやく暖が取れるぐらい、今夜は寒かった。