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リスティア異聞録 1章 ヌルはなぜ殺した

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数々の戦場で敵国の騎士団を恐怖のドン底へと陥れた、命令に絶対忠実な部隊。「ヌル隊」この部隊の物語は奇妙なことに命令違反から始まる。

第20開戦のバルフォグ湖。ここにヌル隊は派遣されていた。バルフォグ湖は緑に囲まれた美しい湖。敵はユニオン。騎士道精神に溢れた高潔な騎士団との戦いである。この美しい湖で高潔な騎士達との死闘。パッと聞くと、これほど絵になる戦いは無いだろう。しかし、現実はどうだ。湖は両軍が流したおびただしい量の血で赤く染まり、その水の上には斬殺された死体と、焼かれた木々の灰が浮いておどろおどろしい様相を呈している。あの死体が浮いたり沈んだりしているのは魚に喰われているからであろう。さながら地獄の沼である。見回せば千切れた腕や脚が転がり、黒く焦げた恐らくかつて人であったと思われるよく分からないものが散乱している。ひどい臓物臭と噎せ返るような血の匂いの充満する戦場。視界の全部が赤黒く不吉な色で染めあげられた戦場。地獄でさえもう少し景観に気を使うだろう。こうあからさまでは亡者も諦めてしまって悔いてはくれないというものだ。それはともかくヌル隊はこの地獄の悪鬼でさえ裸足で逃げ出すような戦場で初陣を飾る。

指令は遊撃。

壊れた人形のように誰からも必要とされない宿命を受け入れた心と自らの存在証明のために持ち主を探すアンビヴァレンスを宿した瞳で獲物を探す。死体の山の中に交戦中の味方部隊を見つける。こちらが優勢のようだ。その味方部隊の背後に敵の別部隊が襲いかかろうとしているのを見付けた。敵方の援軍のようである。フィーアがその様子を眺めながら、

「ヌル、あれを」

フィーアが目配せした先を見たアインが続ける。

「ヌル。あの部隊、聖騎士、義賊、聖職者、魔女だ。粘られると面倒。横腹からまずは魔女を喰らおう」

「では、あれで」

ヌルが短かく答えるやいなや駆け出した。三人もそれに続く。駆けている間、何度か死体を踏みつけては、ぬめる血糊に転びそうになる。ヌルが三度目に足を滑らせた時、

「そういえば訓練では死体の山を走り回る練習は無かった。帰ったら提案しよう」

などと考えていた。無駄口を叩く間もなく敵の援軍の横腹に取り付いた。南無三、ノインが一太刀。

「ッ!?奇襲か!?」

敵方の聖騎士が叫んだ時、既にノインの細剣が魔女の首を貫いていた。続いて息の根を止めるためにヌルが心臓を一突き。こちらに気付いて魔法詠唱をしようとしていたのだろう。貫かれた喉をピューピューと鳴らし、口から血をコポコポ吹いている。魔女は強く握り締めていた杖を落とすと、そのまま力無く崩れ落ちる。ローブのスリットから細く伸びた脚が妙に艶かしいが、これは死体である。数多くの男を魅了したであろう、その美貌の顔は弛緩しきって、バラ色の唇は色を失なった。ヌルは細剣を引き抜き、勢い良く振るって血糊を払いながら名乗りをあげる。

「急ぎだった故、ひとり喰らってしまったあとだが名乗りをあげよう。アヴァロン ライオット騎士団所属 ヌル隊!ヌル、推して参る!」

ヌルが少女らしさのまだ抜けないすこし高い声でそう叫ぶと、懐から取り出した瓶入りの魔法薬を一息に飲み干した。ヌルに倣って、

「同じく、アイン!」
「同じく、フィーア!」
「同じく、ノイン!」

名乗りをあげて魔法薬を飲み干す。

「狂者の魔術だとッ!? このような年端もいかぬ戦乙女に!!アヴァロンの女狐めがッ!恥を知れ!!」

聖騎士が少年の面影の残る顔を真っ赤にして激昂する。この聖騎士が激昂するのも無理は無い。「狂者の魔術」とは魔法薬を用いて身体能力を向上させる代わりに身体を蝕み、やがて死に至るとされている危険な戦術のことである。この非人道的な戦術は騎士道からすれば忌むべきものである。しかも、まだ幼さの残るこのような戦乙女にそれを強いているのであれば、それは正に悪魔の所業。

「これは我々が我々の判断で行っていること。ミューズ様は関係無い。その言葉、死んで取り消せなくなる前に取り消してもらおう」

と、フィーアが聖騎士に剣の切っ先を向ける。

「その願い、吐いた貴様が死ねば叶える必要もなかろう。ユニオン ヴァーミリオン騎士団所属 ユーミル隊 ユーミル!」

ユーミルが名乗りを終え、その細い腕に似つかわしくない怪力で大剣をヌル達に向けると、ノインがアヴァロン式の敬礼をする。それを見計らって、ヌル、アイン、フィーアがいっせいに斬りかかる。ユーミルが構える間もなく、三人の細剣が薄い胸板を貫く。ヌルが胴体を蹴飛ばして無理に細剣を引き抜く。まだ息のある倒れたままのユーミルの心臓を狙って細剣を再度突き立てる。絶命を確認して引き抜く。ユーミルの血飛沫がヌルの青い衣装と白い肌、銀髪を染める。この間わずか3秒。あまりのことに呆気にとられていた義賊が叫ぶ。

「き、貴ッ様ァッ!」

激昂した義賊が銃を構えて煙幕弾を放つ。ヌルが煙幕に包まれたのを確認すると煙幕の中へ聖職者が槌を構えて飛び込む。煙幕で視界を奪って槌でたたき潰すつもりだろう。

「ヌルッ!!」

ノインが叫ぶ。しかし、誰もが予想した槌が骨を砕く音の代わりに聞こえてきたのは、パシンと頬を平手で叩く音だった。やがて煙幕が晴れると頬を押さえて倒れ込む聖職者と、頬を抑える手の上から顔を踏みつけるヌルの姿が浮かび上がった。

「まだ、貴様の名乗りを聞いていない。名を名乗れッ!」

聖職者が頬を押さえる右手の薬指にシルバーのリングが、義賊が銃身に添えた左手の薬指にシルバーのリングが輝いていた。聖職者はヌルの脚をどけてヨロヨロと立ち上がる。ヌルはその背中を蹴飛ばして義賊の元へと向かわせる。義賊が聖職者の手を引き自分の背後へ隠す。そして自分は一歩前へ出る。

「ユーミル隊 ロメオ!」
「同じく、ユリエッタ!」

ヌルは二人が名乗り終わるのを聞き終わるや否や義賊が構えるより速く、細剣で彼の喉を貫いた。