俺と君と夏と陽炎
「………っ…」
音を立てそうな勢いで目を覚ました。嫌な汗を全身にかいていて気持ち悪かった。
どくどくと激しく拍動する心臓と、耳に残る蝉の鳴き声が五月蝿い。深呼吸をして乱れる呼吸を整えて、ゆっくり視線を横に向ける。
白いシーツにくるまって眠る存在と、規則正しい呼吸音に安堵の息を吐いた。
「帝人、くん」
熟睡している彼から当然返事はない。それでも彼が傍にいて、生きていることさえ分かればそれだけでよかった。
詳しくは思い出せない、だけどあの赤い赤い光景だけは鮮明に思い出せる。
(やけに、リアルだった)
音、香り、色、景色、最後に見た空と血飛沫を映す青い瞳。全てが体の五感に焼き付いて離れない、忘れられない。
震えを帯びた手を彼の方へと伸ばし、そっと滑らかな頬に触れた。暖かい、吐いた息が少しだけ手を掠める。
「……ざ、や…さ」
「っ、」
未だ夢の中にいる彼が、俺の名前を呼ぶ。それだけで嬉しいのに、ただの夢のはずなのに。
『夢じゃないぞ』と嗤った声が忘れられなかった。
暑い夏の日のお昼過ぎ。遠く続く水色、騒々しい蝉の声、病気になってしまいそうなコンクリートに反射する日差しに心の中だけで舌打ちをする。
なんでこんな日に出かけなければいけないのか、と溜息を吐きそうになるけれど。右隣、一歩前を歩く存在がそれを留まらせる。俺も大分丸くなったものだ、と苦笑い。
それに気づいたのか気づいてないのか、目の前の子供は此方に振り返った。
「臨也さん、どうしたんですか?」
「別に。帝人君は元気だなあって。暑くないの?」
「そりゃあ暑いですよ。僕はまぁ、」
夏は嫌いですかね、とちょっと不満げに笑った。あまり見ない帝人君の表情。
その時、何かが一瞬だけ頭を過ぎってして、すぐに消えた。何だっけ、あぁそう既視感ってやつだ。
どくんと心臓が鳴って、五月蝿いセミの声が蘇った。
「…臨也、さん?」
無意識のうちに帝人君の手を握っていたらしい。帝人君は首を傾げながら覗き込んでくる。
俺を写す青い目が瞬いて、何かを考えるように細められる。そしてゆっくり口を開いた。
「…もう、今日は帰りましょう」
「え、どうして?」
「いいじゃないですか、ほら」
理由を尋ねる暇も無く、帝人君は俺の手を引っ張って足早に駆け出す。控えめな彼らしくない行動に違和感を覚えた。
抜け出した先、また新たに何かできるらしく、激しい工事の音が蝉の声と重なっている。周りを気にせず二人で重機の横を通り抜けた。
やけに上を向く人が目につくので、何かあるのかと上を見上げようとした ら。
細長い影が地面に浮かんでいるのに気づいた瞬間、轟音、そして気色悪い音がすぐ横で響いた。
べちょり、頬に腕に足に生暖かい何かがかかる。鉄臭いそれは覚えがあって、覚えがありすぎて。
視線を横にゆっくりずらす。地面に突き刺さった鉄柱は、人間の体を軽々と貫いていた。
貫かれている人間は見知った人物だった。当たり前だ、だって、だってだってだっ て これは。
「 みか ど く」
溢れた名前は、一拍の間を置いて響いた耳を劈くような悲鳴にかき消された。それをきっかけに彼方此方から騒々しい声が轟く。
けれどそれらを気にする余裕なんてあるわけがなく、俺はただ目の前の光景に目を奪われる。
溢れる赤が鉄柱を伝って、コンクリートの上で広がっていく。ぐちゃりと体がまた深く突き刺さって音を立てた。
(これは、ゆめ?)
(夢じゃないよ、と誰かが嗤う)
(ざまぁみろ、と 誰かが笑う)
みかどくん、と掠れた声で呟くと同時にフラッシュバックしたのは夢の光景。
蝉の声、血飛沫、動かない体、重なってじわじわ俺を蝕んでいく。
(そうだ、思い出した)(あれは夢なんかじゃなくて)
(全て現実で、あの赤も青も蝉の声も)
「……ぁ、ぁ ぁあああ あぁぁあぁああああぁあああ!!!!!」
“夢”と変わらず青い空に響く蝉の音と、慟哭が響いた後。
本当のことを思い出した俺の視界は、また眩んだ けれど。
眩んだ視界で、子供の幼顔が笑っているような 気がした。