Da Capo Ⅵ
「何故君は何度言っても感情を優先させるんだ、そこは違う」
俺は、少しだけいらいらしていた。
あてつけだと自覚している。
それが自分の音にも出て、それで君の音を俺の方向へ引っ張ってしまった。
俺自身が聞きたかった、「君の音」を崩した事。
その自分勝手な自身に、本当に呆れる。
だが、負の感情の重なりを自身で抑える事が出来なかった。
そして、君にぶつけてしまったのだ。
「ごめんなさい…」
身を小さくして俺に謝る君。
表情がこわばっている。
(分かっているっ…)
小さく溜息を付いて、
「…いや、俺も悪かった。…すまない」
と心から謝った。
「月森君…ごめんね、折角教えてもらっているのに」
「いや…」
「もう少し強く弾けばいいのよね」
「いや…」
俺は俺のアドバイスを鵜呑みにして弾こうとするのを、止めた。
つい君の手を、右手で静止している。
頬を赤らめながら、不思議そうな顔をする君。
慌てて俺は手を引く。
(…らしくない…)
今の自分は、本当になんだろうか。
…放課後。
何時も通りに屋上へ行って冬の空に音を溶け込ませようと思っていた。
その途中、廊下で火原先輩と彼に逢った。
「あ、つきもりくーん!」
非常に大きな声が、来た道を引き返そうとした俺の背中に突き刺さる。
(……)
こうなれば諦めるしかない…、俺は二人に近付いていった。
彼らには季節感はない。
何とも暑苦しい。
真夏の太陽。
眩しい程の生のパワー。
軽やかな風を纏うトランペット。
熱風を紡ぎ出すピアノ。
どちらも、俺にはない音を持っている。
楽器が違うとか、そう言うことではない。
ただ、この二人の音は、何となく君の音に通ずるものがある、そんな気はしている。
(先生の言葉を借りれば、「素直」か…)
それを別に僻んだりはしていない。
俺は俺の道を歩けばいいだけだ、そう自覚しているし、それ以外考えていない。
「こんにちは」
「こんばんわだよー、もう夕方だし」
先輩はニコニコして、挨拶を修正してくる。
「そうですね、こんばんは」
「ナンダヨその、悪うございましたね、って言い方は」
彼は俺の発した言葉が気に入らなかったらしい。
鼻で笑ったような印象を受ける言葉を投げかけてきた。
「俺は間違っていると思ったから、修正しただけだ」
「へぇ、それが可愛くないんだよ」
意味不明だ。
だが、彼の言葉一つ一つが俺の中で怒りの感情一つ一つに触れてくるのは感じる。
彼はどうしてこんなにも挑戦的なのか。
(分からない…)
分からないが、気に障る。
これが以前柚木先輩が言っていた、
「君と土浦君は、犬猿の仲、なんだよ」
と言う事なんだろう。
「そうか、別に俺は可愛らしくなくて結構だ」
「だから、それが可愛くないんだよ」
「…君と話していても埒が明かない、失礼する」
「おいっ、何だそれ」
「まぁまぁ!二人とも!!」
対峙している俺たちの間に入って、必死に火消しをする先輩の声が響いた。
はた、と我に返った。
(本当に…彼と一緒だとリズムが崩れるな…)
こんなにもヴァイオリン以外の事で、良い悪いに関係なく心揺さぶられるのは、コンクール以前にはなかった。
そう思う。
リズムが崩れると言えば、君の存在もそうだ。
流れいく音。
染み込んでくるその音の想い。
何処までも愛おしい。
柔らかく甘い砂糖菓子のような。
包み込まれる夢の時間を体感できる。
(君の存在は、何処まで俺の中に浸透していくんだろうか…)
胸の小さな所を、君の音とコロコロ変わる表情が横切る。
「ねぇ、月森君、大丈夫?」
心配そうな表情をした先輩が俺の目の前に広がっていた。
(ち、近い…)
少し焦る。
この人は、本当に「距離」を大切にしない…、そう思う。
「あ、いえ、少しだけ考え事を」
「そう?あっ、ひょっとして俺と同じ事?」
「は?」
「大変だよねー、うんうん分かるよー」
「あの…先輩…」
「迷ったら土浦に聞けば大丈夫だから!」
全く読めない。
何を言っているんだろうか。
聴いた事もない言葉で喋りかけられているようなそんな気分だ。
そんな俺を無視して先輩は続ける。
「女の子へのプレゼントは、土浦なら直ぐ見つけてくれるから!」
「え?」「はぁ!?」
(プレゼント?)
しかも女性宛の、だそうだ。
いや、俺はそんな事で思考が止っていた訳ではない。
完全な勘違いだ。
「あの、先輩…」
俺が続けようとした時に、彼が割り込んできた。
「冗談じゃないですよ!先輩の今回のお願い事で精一杯ですから!」
やはり、気に障る。
「別に俺は君に頼むほど、困っていない」
切って捨てた。
彼は少し間を置いて、上から見るように言葉を投げかけてきた。
「そうだよな、月森様はその程度では悩まないよな。
安心しろ、俺はお前の方が、センスがいいって思ってるから」
「そうか…じゃぁ、失礼する」
あっ、と俺を呼び止めそうになる先輩の声を無視して俺はその場を離れて、屋上へ向かった。
そして、その場に君の姿を見た。
何時も通りの演奏。
俺の中に染み込んでくる、君と。
そして君の音楽、と言う存在。
「月森君」
何時もの音が、俺の耳に届く。
「やぁ」
「練習ここでするの?」
「あぁ…」
「ごめんね、後一回弾いたら、練習室に向かうね」
「空いていなかったのか?」
「うん、予約入れ忘れちゃって。
でも、確認したらもう少ししたら空くみたいだし、此処で時間つぶそうかと思って」
「そうか…」
「お邪魔、だよね?」
「いや…別に、俺は…」
(もっと君の音楽を聴いていたい…)
心の中で呟く。
決して君にいはいえない言葉。
言ってはいけない、そう感じる言葉。
何故だか分からない、だが…、
(言ってはいけない…)
心の奥が、俺を止める。
「あと少しなら問題ない」
別の言葉で、心の中をかき消す。
世迷言だ。
俺には、必要のないものだ…と。
良かった、と君は安堵した表情を浮かべて、又楽譜に向かった。
-Romance No.2 in F Op.50 (ロマンス 第2番 ヘ長調 Op.50)-
覗き込んだ俺の瞳に飛び込んできた曲名。
「随分と趣向を変えてきたんだな」
「そ、そう?」
「ああ」
「CD聴いていたら、弾きたくなって」
「そうか…いい傾向だな、貪欲になる事はいい事だ」
「月森君、この曲弾いた事ある?」
「以前少しだけ」
「そう!」
なんだか嬉しそうな声を上げる君。
先が、読めた。
「じゃぁ、少しだけ教えて欲しいの!」
(…やはり…)
別に教える事に問題はない、が…。
俺は、教える事が苦手な事を自覚している。
だが、無碍には断れない。
(そんな、瞳で見ないでくれ…)
何かを強請るような、小動物のような視線。
諦めて俺は、
「じゃぁ、一緒に弾こう、そうすれば何となく分かるんじゃないか?」
と言った。
ありがとう!、と君は弾む声を冬の夕暮れに響かせた。
その声音も、俺の心を揺さぶる。
温かい音。
綺麗な空気に溶けて、俺の耳に届く。
準備をしていた時、ふと俺の目の前に飛び込んできたものがあった。
小さな箱。
包装された箱。