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僕は君の前ではどうしようもなく愚かになるの

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三国がテーブルに戻った時、そこに居たのは南沢ひとりきりだった。
「皆は?」
「食って泳ぎに行った」
「そうか」
三国は席について、すっかり冷えてしまった焼きそばを食べ始めた。
「ずいぶん遅かったな」
三国がここを離れてから三十分以上は経過していた。迷子センターはそう遠くなく、往復でも十分とはかからないはずだった。
「ああ、あの子を預けたらすぐ戻ろうと思ったんだけど、なんか気になってお母さんが迎えに来るまで一緒に待ったんだよ。で、無事お母さんと再会できたんだけど、どうしてもお礼がしたいって言われてさ。断ったんだけど、じゃあせめてジュースだけでもって奢ってもらちゃってさ」
「ふーん」
質問したのは南沢自身だったが、南沢自身、正直どうでもよいことだった。
三国が焼きそばを食べ終わるまで、また再び二人の間に会話はなくなった。
周囲の賑やかな声が二人の沈黙を余計に誇張し、プールの水飛沫が真夏の太陽を受けて目に痛いほど光っていた。
「南沢は、もう泳ぎに行かないのか?」
「別に」
「疲れたのか?」
「別に」
「……なんか、機嫌悪くないか?」
「別に」
「そんなことないだろ」
「別に」
「さっきから『別に』ばっかだぞ」
「別に」
そしてまた沈黙。三国は南沢に気づかれないようにちいさく嘆息した。
「……なあ、本当どうしたんだよ南沢。俺、なんかしたか?」
三国の言葉に南沢は返事をせず、黙って立ち上がった。そして歩き出す。プールとは別方向へ。
「おい、南沢。どこ行くんだよ」
三国は慌てて南沢の後を追う。
「悪ぃ。俺、用事思い出したから先に帰るわ」
「用事ってなんだよ」
「お前には関係ないだろ」
南沢は後をついてくる三国を振りきろうと足を早めた。三国も足を早める。
「ちょっと待てよ、なんかおかしいぞお前」
「別になんでもない」
「なんでもなくないだろ」
(うるさい……)
三国の台詞ひとつひとつが、いまの南沢にはすべて癪に触った。三国のこともほかのことも、なにもかもが面白くなくて、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
けれども、三国に右腕を掴まれてその足を止められた。
「離せよ」
南沢はその腕を振り払おうと力をこめたが、三国はそれよりも強い力でそれを阻止した。
「だから、すこし落ち着けって。本当どうしたんだ、南沢」
その言葉が自分をひどく心配している音だったので、南沢は胸の奥がきゅうと締めつけられたような気がした。
(なんで、そんなに)
南沢は抵抗を諦めて、腕の力を抜いた。そこでようやく三国も腕を離し、南沢と向き合った。
「……なんかあったのか?」
三国は太い眉を下げて南沢に問いかける。
「なんもねぇよ」
そう。なにもなかった。三国からの誘いをデートだと勝手に思っていたのは自分で、三国が他のメンバーを気にかけてまったく二人きりになれないことに苛立っているのも勝手だった。どこまでも幼稚なわがままに過ぎなかった。
(そんな俺を心配するとか)
(どこまでお人好しなんだこいつは)
それが三国らしいと言えば三国らしいのも事実ではあった。
(他のやつらなんか放っておいて、俺だけを見てろよ)
世話好きな性分の三国がそうなるなんて南沢はこれっぽちも思っていなかったが、そうであればどんなにいいかと願った。三国が相手だとどこまでも貪欲になってしまう。それではまるで自分が三国に依存しているみたいではないか。南沢がそれを認めるには自分のなかの自尊心がひどく邪魔をした。自分が、どんどん嫌な人間になっていく。
「……とにかく、悪ぃけど先に帰るから」
いま、これ以上三国の前にいると自分が自分でなくなってしまいそうだった。南沢は三国の脇をすり抜けて立ち去ろうとしたが、そこで塗れた地面に足を滑らせた。
「あ」
一瞬、世界がぐらついた。視界に目に痛いほどの空の青が広がり、衝撃を覚悟して目をかたく閉じた。しかし、予想した衝撃はなく、背中に自分とは違う体温を感じた。
「っ、あぶないなー」
倒れかけた南沢の体は、三国にしっかりと支えられていた。南沢は背中に触れる三国の胸板の固さを感じた。同い年であったが、三国の体躯は自分のそれとはまるで違っていた。
「大丈夫か? 足、ひねってないか?」
力強い腕で南沢を立たせた三国は、そう問いかけながら南沢の体に異常がないか確かめた。
「大丈夫だって、足滑らせただけだから」
南沢の言葉に三国はひどく安心したように一息ついて、「良かった」と笑みを浮かべた。
(ああ、だから)
その笑顔に、南沢は自分がどこまでも情けなく、勝手な人間なのだろうと思い知らされた。唇を痛いほどに噛みしめたが、心のダムは決壊してしまって塞ぎようがなかった。
「なんで、お前はそんななんだよ」
南沢の突然の台詞に、三国は理解できないと言わんばかりに首をかしげた。
「勝手に腹立てて帰ろうとしてる俺の心配なんかするなよ。それなのに俺だけじゃない、他のやつらばっかり相手するし。俺だけひとりで勝手に浮かれてて馬鹿みたいじゃねぇか」
「え? どうしたんだ、南沢――」
三国は暴走を始めた南沢の言葉を制止しようとしたが、南沢は引き下がらなかった。
「昨日誘われて俺はデートだと思ったのに、お前は他のやつらも誘ってやがるし。俺がそれを面白くないと思ってるのにお前は全然気づかないし、そんなわがままな俺をお前は心配までするし」
南沢自身、自分がなにを話しているのかよく理解できていなかった。自分で自分を制御できず、そんな自分がみっともなくて消えてしまいたかったが、言葉の波は止まらなかった。
「第一、なんだよその水着!学校の水着なんか持って来やがって。そのくせ筋肉だけは俺よりもしっかりついてやがるし。俺、もうなにもかも面白くないし、そんな自分が嫌だし、とにかくムカつくんだよ!馬鹿三国!天パ!」
頭に浮かんだ言葉を手あたり次第に三国に投げつけた南沢は、ようやく落ち着きを取り戻した。興奮してあがった熱を下げようと、肩で息をする。
三国はそんな南沢を前に、呆然としているように見えた。しかし頭のなかでは南沢の言葉ひとつひとつの意味をよく吟味していて、たっぷりと時間が経ってからようやく一言だけ口に発した。
「俺、水着これしか持ってないんだけど……」
「そういうわけじゃねぇよ!」
三国の言葉は、南沢の理不尽な抗議に一蹴された。
「……えーと、とにかく南沢が今日機嫌悪かったのは、デートだと思ったらそうじゃなくて、俺が他のやつらばっかり構ってたからってことでいいんだよな?」
三国の言葉に、南沢は返事はしなかった。その無言を肯定と受け取った三国は思わず口元が緩んでしまった。
「なに笑ってんだよ」
下から南沢ににらまれて、三国は慌てて口元を手で隠した。
「いや、つまりお前が他のやつらに焼き餅焼いてんだなって思ったら、俺なんか嬉しくて」
「……っ、そんなんじゃねーよ!帰る!」
再び身を翻した南沢の腕を三国は慌てて掴んだ。
「待てって、笑って悪かったよ。それに、今日デートじゃなくて悪かった。俺、お前の気持ちに全然気づかなかった……」
「謝るんじゃねぇよ。お前が謝ったら俺がただの自分勝手な人間になるだろうが」