ヨチ
「どうぞ乗って。正直な話、私は今日あなたを迎えに行くつもりだったのよ。だからあとで古泉から交通費申請書を一枚もらってこちらに提出してもらえる? 経費で落とすわ」
確かにバイトもしていない高校生にその申し出はありがたいのですがいいんですか、もしかして『機関』って結構アバウトな組織なんですか、とは言わずに俺は素直に礼を言うと森さんに招じいれられるまま車の助手席に乗った。
「それにしても本当に間に合ってよかったわ。報告を受けてから慌ててUターンしたのよ」
あざやかなハンドル捌きでほとんど車通りのない道を森さんはかっ飛ばしていく。
「そんなに古泉はまずいんですか?」
そういえばここのところ『機関』内における古泉が所属する派は少数派になってきていると聞いた気もする。
「派閥はあまり関係ないわ。古泉の現在の立ち位置はともかく存在は『機関』そのものにとって涼宮ハルヒさんに対する切り札だもの」
それはつまり少数派だろうが弱小派だろうが古泉がSOS団に所属し涼宮ハルヒと直接の接触があるというだけで価値があるということか。
「有体にいえばそう。でもそれだけじゃないわね。古泉は『機関』内でも珍しい対《神人》の戦闘能力をもっているから無駄に飼い殺すようなこともできないの」
戦う力、か。『機関』の中でも古泉タイプの超能力を持つものは少ないと一番最初に聞いた。ぎりぎり二桁行くかどうか、だったかな。それから、超能力とは閉鎖空間内において自身を純エネルギーに変換させて戦うことだと言うこともカマドウマの件で聞いたことがある。だから閉鎖空間内における怪我というのは基本的に建物の倒壊に巻き込まれておきるか、通常空間へ復帰した際に車にはねられたりしておきるそうだ。ゆえに、最近では戦闘要員以外は閉鎖空間へと入る事は珍しいらしい。いつか、俺が招待されたときに手近なビルの屋上へと連れて行かれたのもそういった事故を防ぐためだったという。
「――そういえばずっと不思議だったんですが、どうしてその希少な前線要員がわざわざ北高に?」
大切ならばハルヒの一挙手一投足におたおたとしなければならないような、別の意味での前線になど回さないほうがよかったんじゃないんですか?
「確かに戦闘要員にはそのリスキーさからある程度のわがままが認められているの。でも、涼宮ハルヒさんが謎の転校生を欲しがっていると聞いたときに私たちは躊躇しました。すでに彼女がTFEIと未来人をピックアップしている事は知っていましたから」
窓の外は相変わらずすごいスピードで景色が飛んでいっている。
「しかしすでにもぐりこんでいるはずの、ハルヒに関して何らかの超能力を持つはずの『機関』のエージェントにはノータッチだった……?」
「ええ。朝比奈みくるは確かに未来人だけどほんの末端であるのに、ね」
朝比奈さん(大)は自分がSOS団にピックアップされる事はわかっていただろう。長門も三年前の七夕のときの俺の説明及び未来の自分との同期で知っていた。おそらく『機関』だけがその二つの先例に賭けざるを得なくなったのだ。最も確率の高そうなものを送り込むと言う手段で。
こうなると古泉だけが事情を知らされていなかったかどうかは怪しいな。
そう言ってみると森さんは緩やかに首を横に振った。
「その意図は確かにありましたが古泉に直接的には知らされていません。他に人材がいなかったということになっています。これは本当」
「それは前線にたてるもののうちハルヒと同学年のものが他にいなかったということか?」
なんせ十人弱だからな。
「ええ。涼宮ハルヒさんが学年にこだわらないであろうことはわかっていましたができれば同学年であった方が確率が上がりましたし長く傍へと置いておけます。かくて古泉は彼女に手を引かれてSOS団へと足を踏み入れ、そのあとのことはあなたもご存じの通りです」
今度は俺がうなずく番だった。
古泉は見事に順応し、夏休みの一件で副団長の名を賜ることにまでなった。ちなみについ最近朝比奈さんが副々団長なるものを賜った。なんだ副々団長って。
「――私は古泉の報告書を隠匿の一つもなく目にすることのできる立場にいます」
俺は古泉がどこまで『機関』に報告をしているのか知らない。
「ええ、一応機密文書ですからそれなりの情報規制はあります。ですが、今のあなたの発言を聞いて確信しました。古泉はSOS団についてすべてを報告はしていません」
副々団長のことですかそれはもしかして。
じゃなくて、それはまずくないか? いや俺らにとっては歓迎すべき事であるのか。なんせ喋れないことが俺らには多すぎる。
「ええ。あなたが古泉に秘していることがどれだけあるのかはわかりませんが」
そう森さんが笑ったところで車が止まった。その木造で平屋の古き良き診療所といった体の建物は森さんが意図的に俺を遠ざけようとしていない限りは今日の俺の目的地でもある『機関』の施設であることは間違いがない。
「車を止めてきますので少し待っていてください」
礼を言って車を降りた俺は森さんが戻ってくるまであたりの観察をすることにした。
いつのまにかこんな山の上に来ていたのか。眼下になだらかな斜面に沿って木々が見える。こんな人里離れたところにある診療所跡(たぶん)ということはサナトリウムだったとかそんなものだろうか。ついでに遮るものがないせいで空がやけに広く見えた。夜にはさぞかし星も見えるだろう。
「おまたせしました」
帰って来た森さんの首からはIDカードらしきものがかかっていた。顔写真と名前がプリントされ、ICチップらしきものがその傍らに埋め込まれている。
「こちらはあなたに」
そう差し出された、御丁寧にストラップまであらかじめついているカードを受け取って、改めてみてみると俺のカードはチップがついているだけで顔写真も名前もついていない。俺の個人情報がしれっと居座っていても困るがなくてもいいものとは思えない。
それともあれか、こんなところにゲストがそうそう来るとも思えないが、ゲスト用の無記名カードか。
「いいえ。これは正真正銘あなたのものです。生体認証付きですので他人には扱えません。結構お金がかかるので無くしたり、譲渡したしりはしないでくださいね。とはいってもこちらは予備の予定でしたが」
用意周到なことだ。わざわざ確認する気は無いがきっと予備ではないほうは古泉の所蔵だろう。どこが「自分は末端です」だ、古泉め。――あるいは末端であるとしか知らされていないのか。それはそれでひどい話だ。