しーど まぐのりあ2
アスランは、勝手知ったる屋敷の庭を歩いていた。別に、さしたる用事もないのだが、時間が余ったので散策しているだけだ。ここには、イザークご自慢の薔薇の温室があり、そこには真っ白な真珠色の薔薇が咲いている。時期をずらせて、年中咲くようにしているので、いつ来てもどこかで満開の真珠色の薔薇と対面できる。これを少々貰って、最近、気になっている人にでも贈ろうかと、持ち主が怒りまくるようなことを考えていた。ふと、そこから、普段は使われていない離れに人影をみつけて、目を向けた。ほっそりとした肢体の青年というには、少し早いぐらいの背丈のものが窓にへばりついている。客人にしては、おかしな動きだと、温室から出て近寄った。亜麻色の髪をふわふわと動かして、菫色の瞳が懸命に窓を睨んで拭いている。ただし、その人物は、どう見ても寝間着なのが不釣合いだ。自分が眺めていることに気付かないほど、熱心に窓磨きをしている。誰だろう、としばらく、その様子を眺めていたら、その不思議な窓拭きさんは、ふらふらと背後に下がり、こてんと倒れた。
おい、それはなんだ?
なぜ、そんな床に寝ているのか、アスランにはわからない。離れに入ろうとしたが、鍵がかかっているし、窓も内側から閉められている。館の主に尋ねるのが一番なんだろうと、イザークの執務室に赴いた。そこには、ディアッカもいて、ふたりして小難しそうな書類に目を通していた。
「イザーク、離れのあれはなんだ? 」
「あれ? 」
「窓拭きしてたと思ったら、床に寝始めたんだ。あれは客人か? 」
なんだとぉぉぉといきなり立ち上がり、イザークが走り出す。こらこら、俺の担当だって言ったのは、おまえだろうがっっ、と叫びつつ、ディアッカも後を追いかける。だから、誰なんだ? と叫びつつ、アスランも引き返すことになった。
離れへ入ると、確かにアスランが指摘した通り、キラは床で眠っていた。眠っているというか、倒れているというか微妙線ではあるが。手には窓拭き用の布があることからしても、仕事をしようとしていたことは窺える。
「この愚か者っっ。」
口では罵りつつも、ゆっくりと抱き上げて、離れの寝室に運ぶ。マリューの話によれば、食事もほとんど口にせず、せっせと働いて、姪の世話をしていたらしい。その生活を三ヶ月近く続けていたらしいから、身体は限界を訴えているだろう。夜だけ相手をしろと命じたはずなのに、この愚か者は朝から働き、夜も、ちゃんと自分たちの相手をしていた働き者だ。とことんまでいかないとわからないだろうという、ディアッカの意見はもっともだ。
「やっぱ、駄目っぽいかな? 」
「おまえっっ、高額商品にするな、と、俺は言ったはずだぞっっ。」
「でもさ、もうわかんないんだと思うぜ。こいつには、このままのほうがいいんじゃないのか? 」
やるべきことをやってしまったから、生きていようという気力すらないのだ。とりあえず、働いて借金の分は返済しようということしか、キラの頭にはない。自分がどういう状態であるのか、空腹とか疲労とか、そういうものは、キラの頭には存在していない。この街は、そんなものが引き寄せられる街だ。ここで、どうにか、それを思い出せれば、また、この街で生きていくことができるが、それがなかなか難しいものもいる。特に、生国を忘れられないものは、ここで、すぐに朽ち果てる。それがわかっているから、マリューは、イザークにキラを渡したのだ。すぐに朽ち果てるであろうから、その始末を頼むためだ。
「あのさ、イザーク。とりあえず、誰? ていうか、なんで、客人が窓を拭いてるわけ? 」
そのことを知らないアスランとしては、その窓拭きが誰であるのか尋ねる。アスランが来て、こんなにひどいものは、初めてだったからだ。
「ヤマトという王家の第三皇子様だ。」
「ああ、亡国の・・・ふーん、で、なんで窓拭きなんかしてるわけ?」
「うちに身売りしたからだ。」
「えっ? なら、俺に買い取らせてよ。」
「はあ?」
「だって、きれいだしかわいいし、この子なら、子供ができる心配もしなくていいわけだしさ。俺の奥さんに最適だろう。」
「待て、アスラン。それ、短絡的過ぎる発想だぞ。」
と、止めたものの、待てよ、とディアッカは気付いた。それはそれで、キラにはいいのかもしれない。もし、他人に好意を寄せられることで、自分が生きていることを思い出せたら、国と共に滅ばなくてもいいからだ。
「こら、ディアッカ。それは駄目だっっ。却下だ。」
もちろん、イザークも気付いた。だが、それは反対だ。
「だがよ、イザーク。」
「こいつの借金は膨大だ。おまえでも支払いはできない額だ、アスラン。」
「はあ? この街の施政をやらされてる俺でも支払いできないなんて、無茶な額あるかよ。」
アスランは、こう見えても、この街の施政を司っている。亡国のものではないが、理由があってイザークたちと同等に普通に年齢は重ねられなくなった所為だ。
「しばらくは、俺が預かる。たぶん、こいつに関しては、まだ何か起こる可能性があるんだ。虎に調べさせている最中だから、不用意に動かすのは無理だ。」
普通ではない街への入り方もさることながら、連れていた姪のことがある。その降り立つ駅から推測して、下手をすれば、キラは、ここから連れ去られてしまう可能性があるのだ。それは、たぶん起こるだろうと、イザークは予想している。亡国のものが、存命しているとわかれば、それは探されて、その国に戻される。侵略した側は、見せしめに生き残ったキラを、民衆の前で処刑するだろう。国は完全に滅び、自分たちのものになったのだと宣言するための儀式として。国同士の力関係から推測して、協定を結ぶには、姪の国は、キラを差し出すことを選ぶ。治世というのは、そういうものだ。
「じゃあ、口説くのはいいんだろ? 」
「別にかまわん。それは盛大にやれ。むしろ、推奨してやる。こいつに、生きていることを思い出させるには、それが一番手っ取り早い。」
「キラの好みを無視してるぞ、おまえら。」
「俺、容姿には自信があるんだけどさ、ディアッカ。それに、街の実力者だしさ。」
「でも、おまえ、変わり者の部類には入ってるんだぜ。」
見た目には、涼しげな貴公子然としたアスランだが、趣味はからくりを作るという、とても常人ではないようなことで、さらに集中していると、施政も何も放棄するほどの熱の入りようだったりする。そして、口説くのが趣味でもあったりする。
「大丈夫。大切にするさ。こんなかわいい子なら、毎日、見飽きなくて済む。」
「なーんか間違ってるって、それ。」
いつもの掛け合い漫才に、ぴくぴくとコメカミをひくつかせて、イザークがふたりをごいんと殴る。気が合うアスランとディアッカは、常から、こんなアップテンポの会話である。これがイザークの神経には障る。うるさいのだ、こいつらは。
「ゴタゴタぬかしてないで、おまえらは仕事をしろ。アスラン、街の警備体制の見直しをしておけ。それから、鷹も探せ。ディアッカ、キラが世話になってた医者を連れて来い。とりあえず、こいつの治療をしてもらえっっ。」
「おまえが一番うるさいんだ、イザーク。」
作品名:しーど まぐのりあ2 作家名:篠義