鳥は囀り花実り、:前
「結構すごい音したけど、変なぶつけ方して…っ」
「べっ、べべ別に、なんともねーよ!」
近付いてくるエリザベータの肩ごと掴んで押しのける。咄嗟のことで力加減がうまくいかず、いささか乱暴になってしまって、あ、と思った時にはもう遅く、エリザベータにまで尻餅をつかせてしまった。
「あっ、わ、悪ぃ!」
「へ、平気…だけど」
「……悪かった」
「うん…」
これだ。ギルベルトが今抱えてる悩みは。一線を越えて以来、それまでの立ち位置が不鮮明になってしまってどうにもギクシャクしてしまう。
エリザベータが女の格好をし始めた頃の落ち着かない感じに似ているが、その経験も役に立たない程、今回は重症だ。
気まずい。とにかく気まずい。それはエリザベータもなのか、何やらいつもより大人しい。小さい頃なら今の扱いで怒りこそすれ、こんなしおらしく引くなんてなかったのに。
他所だからだろうか、それとも遠路の移動で疲れているせいか。それなら怒鳴ってこなかったり、どこか居心地悪そうにしているのも分かる気が…いや、待て。
「あー、その……お前、なんでここにいるんだ?」
そうだ。そもそもオーストリアにいる筈のエリザベータが、何故こんな北のポーランド・リトアニア領にいる。
現宗主の片方と仲が良いのは知っているが、友達に会いになんて気軽な理由で来られる距離でも立場でもない筈だ。
自らの事は完全に棚に上げて、それでも会話の糸口をなんとか見出せてギルベルトは少しだけ安堵する。
同じくきっかけを探していたのか間を置かずエリザベータが乗ってきた。
「えっとあの、く、くしゃみ! くしゃみが聞こえたから、ご飯持ってきたの。ギルまだ夕飯食べてないって食堂の人言ってたし、それで…」
どうしよう謎が増えた。
質問の答えではあるが、聞き出したいポイントから大分ずれている。その上エリザベータは客人の筈なのに、なんだって食堂の人間と話なんかしているのだろう。
頭はさっきからフル回転だ。ここで会話が途切れたらまたあの居た堪れない空気が戻ってくる。それは断固拒否したい。
「お、おー…ありがとな。危うく食いっぱぐれる所だったぜ。…あーっと、あれ、よく俺様の部屋わかったな」
実に苦しい。なんだってこんなギリギリの綱渡りみたいな会話をしなければならないのか。
「あ、それは場所聞いたし、窓開いてて廊下からも見え…っ、くしゅっ!」
押し当てたままのエリザベータの肩が震えた。手を顔に当て俯いて小さくくしゃみ。
よく考えれば窓はまだ開いているしその上床に直に座り込んだままだ。さっきお湯を使ったとも言っていたから、湯冷めしやすい条件が揃って――
「ぅー…この部屋寒い。窓閉めないと風邪引く……ギル?」
エリザベータがまた顔を覗き込んできた。翠の目が気遣わしげに瞬く。気付いてはいけない事に気付いてしまった今のギルベルトにはその無防備さが毒にも等しい。
だって今は夜で。ここは男の部屋で。湯を使った後の女がいて。一度だけとはいえお互い求め合った仲でもあって。
「顔が赤いけど、どうし…きゃっ?!」
「だっだだだ大丈夫だからっ、何でもねーから! ていうかお前の方こそ風邪引くから、部屋戻れ!」
肩を強く掴みエリザベータを強引に立ちあがらせ扉に向かって回れ右をさせる。幾枚もの布越しなのにその肩の薄さがわかってさらに顔が熱くなる。慌てて手のひらだけで肩を押すようにした。
「ちょ、ちょっと!」
「遠くから来て疲れてる奴はあったかくしてさっさと寝ろ、な! 話なら明日でも出来るし」
抵抗もあってとにかくぐいぐいと押し出す。片腕を伸ばして扉を開けて、なんとかエリザベータを廊下に出せたと同時にピタリと抵抗も止む。
やっぱりエリザベータも少し変な気がする。
そう思った矢先に、ギル、とぽつり静かに名前を呼ばれた。その顔は見えない。
「この前はごめんね。忘れていいから」
「は?」
唐突な物言いを理解するまで一瞬間が空いた。
ただそれまでの彼女を部屋から出さねばという意思が反転して、逃してはいけないという警告に切り替わる。
「おやすみ!」
「ま、待て!」
反射的に肩を掴もうとしたがそれより早くエリザベータが駆け出す。指に引っ掛けたショールだけを残して、あっという間にエリザベータは廊下の先へと消えていった。
作品名:鳥は囀り花実り、:前 作家名:on