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不機嫌な防波堤

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5.

 タダ飯を食べさせるほど、俺には余裕はない!ということで、当然のようにアルデバランはシャカに様々な作業を手伝わせた。文句を言おうものなら、問答無用と叩き出すつもりだったし、聖闘士ではあっても所詮もやしのように貧弱な体格のシャカは体力もなく、すぐに根を上げてサッサとここから立ち去るだろうという目論見もあった。だが、そんなアルデバランの意に反して、シャカは割合によく働いた。おおよそ労働なんて言葉は似つかわしくない『あの』シャカが。
 中でも果樹園での作業が気に入っているらしく、ブツブツ何か言いながら、時に笑いを浮かべつつ受粉作業に没頭する様は若干不気味に思わずにいられなかったが、子供たちの手がないこの時期、正直なところ助かっていた。
 困ったことといえば、雑草を摘みとることを頑なに嫌がったことと、子供たちの不審を招かないようにと話し合いの結果、シャカは瞳を開けることを不承不承ながらも承諾し、開眼したのだが……。
 その際、ものの見事に西側の山肌の一部に禿ができたことぐらいで済んだのは奇跡的のような気がした。シャカが瞳を閉じていたのにはそれなりの理由があったのだと初めて知る良い機会となった。もしも聖域に行くようなことがあれば、一番の被害者になりそうなアイオリアにこっそり情報提供しておこうと思うアルデバランである。
 そして、それとは別に厄介な懸念がもうひとつあった。ただ、それは取るに足りない、ほんの小さな些細なこと……そう、些細なことでしかないとアルデバランは思い込むようにしていたことがあった。。
「……」
 手作りブランコの吊るされた大木の下で、昼食後必ず日課のようにかかさず瞑想するシャカを目の端で捕らえながら、鶏小屋の掃除をようやく終えたアルデバランは鶏糞を畑にまいた後、井戸で汚れた道具や手を冷たい水で洗いながら、再度シャカを盗み見た。
 シャカは背筋をピンと張り、その周囲を気高い小宇宙で包んでいた。それは蓮の花にも似て見える、幾重にも重なる美しい結界。
 ふと興味が湧いた。彼の最大奥義はどんなものなのだろうかと。黄金聖闘士は互いに手の内を明かすようなことはしないが、恐らくシャカは黄金聖闘士の中でも一、二を争うほどの実力の持ち主だからして、その最大奥義は完璧なまでに熾烈な技なのだろう。ほんの力の一端でも垣間見てみたいと思うのだ。
 それに些細な疑念を払拭したいとも思っていたところだった。今は子供たちのいない絶好の機会であり、これ以上有耶無耶なままで引き伸ばすのはよくないとアルデバランは決意するに至った。
 おおよそ普通の人間から見れば眠っているようにしか見えないシャカの前にゆっくりと仁王立ちすると一度呼吸を整えたのち、己が持つ憎しみと殺意を右手に込めて手を伸ばした。
「―――やめておきたまえ」
 あと僅か。
 ほんの少し指先を伸ばせば結界に触れるところでシャカは口を開いた。一瞬たりとも気の抜けない一触即発の状況下。互いの小宇宙は臨界点に達し、いつでもそれが爆発できることを悟っていた。
「……引くには条件がある。答えろ、シャカ。おまえは何故今もってこの場所に留まる?俺がおまえを嫌う理由を聞くためだとかいう世迷い事はいうなよ?」
 皮膚を貫くかのような鋭い圧力をかけながら、恐ろしくも低い声で問い質した。シャカは相変わらず涼やかな顔をしたままだった。
「君は条件ばかりを言うのだな……私の言葉を信じはしまいに。それでも私の言葉を欲するとは愚かしい限りではないのかね?逆に君に尋ねたいことがある。答えないのであれば君が密やかに望むことを叶えてやろうではないか」
「……」
「フッ。沈黙もまた答えだ。では尋ねようか?君が私を嫌う理由のひとつには君やアイオリア、ムウたちに共通することがあるのではないのかね?」
「答える義務はない」
「ならば、同様に君の質問に対し、私も答える義理も義務もないはず。だが、私は答えよう。君が信じるか否かは別として。私がここに留まる理由……」
「教皇の命、だろう?」
 シャカの言葉を遮り、残酷な光を瞳の奥に宿しながら、当て推量を口にしたアルデバランに向かって、真一文字に結んでいた口端を吊り上げるようにしてシャカは笑った。
 やはり、という思いを抱きながらもアルデバランは心の隅で傷ついていた。絶対の忠誠を示したとしても、僅かな嫌疑、懸念が芽生えれば摘み取ろうとする“今の”教皇の残酷さを今更ながら突きつけられた気がした。
「あの会議での一件が原因か?」
 おまえが原因かと暗に含ませたが、シャカは緩やかに首を横に振った。
「いいや……それもあるかもしれないが、それだけではない。教皇は危惧されておいでだった。君が聖闘士としての役目を果たさず、安穏とした生活に身をやつし、いつしかムウのように陥るのではないかと」
「聖域に叛旗を翻す日を虎視眈々と狙っているとでもいうのか?この俺が?馬鹿げた話にもほどがある。だが、おまえやデスマスクたちのように諸手を上げて教皇に組み伏す気持ちもない」
 きっぱりと言い切るアルデバランを嘲弄するように、かつ侮蔑めいた口調でシャカは返した。
「私が教皇に組み伏している?それこそ馬鹿げたことだ。アルデバラン、これだけは云っておこう。私が去るのは容易い。が、そのあとに次なる監視者……いや、今度こそは刺客と呼ぶべき者が訪れるであろうな」
「おまえが防波堤だとでもいうのか?笑えない冗談だな。すぐにでも決壊しそうだ」
「迷いなき私を決壊するならば……黄金聖闘士でも三人以上要するだろう。たとえ全力をかけたとしても、だ。それこそ君ひとりの力なら……細波程度であろうな。」
「大した自信がおありのようだな?」
 皮肉の応戦にほんの少し疲れたようにシャカはゆるく笑むと、それでもきっぱりと言い放った。
「私にはそれだけの力と自信がある。事実には相違ない。さて、そのことを踏まえた上で、私に挑むというのならば、このシャカ、最大の礼儀をもって受けて起つが?」
 長い間沈黙したままシャカを睨みつけていたアルデバランだったが、ぐっと息を無理矢理呑んだのち、意を決したように触れるか触れまいか伸ばしていた手を納め、拳を作ると強く握り締めた。
「―――よい決断だ」
 すっと蓮の花弁が開くように消えていくシャカの小宇宙を見つめながら、ようやく立ち上がりアルデバランの横を通り過ぎようとしたシャカに僅かに悔しげな声音で最後の質問をした。
「おまえが防波堤となろうとした理由は?」
「―――ここの言葉を子供たちから学んでいる最中なのでな。ある程度習得しなければ気が済まない。それに……」
 息を思わず飲み込んでしまうほど間近に向けられた視線から逃れることもできず、期せずして見詰め合った状況でシャカは艶やかな笑みを浮かべた。
「丹精込めて受粉させた果実を一口、味わってみたいと思ったのだよ」
 そう云ってイソイソと果樹園へと向かうシャカの後姿を見送りながら、アルデバランは「一体、いつまで居座り続けるつもりだ、あいつは!」と悪態をつきながらも、どこか嬉しそうな笑みさえ零しているようにもみえたのだった。



Fin.


作品名:不機嫌な防波堤 作家名:千珠