不機嫌な防波堤
不機嫌な防波堤-約束の灯-
1.
くたびれた鞄ひとつを持って、人里から遠く離れた幽谷の狭間に赴いたアルデバランは小さく首を傾げたのち、ぽつりと「うまく、つかまるといいんだが……」と自信なさげに呟き、キュっと顔を引き締めた。
この先は誰彼構わず襲い掛かってくる幽鬼どもの相手をしなければならない。油断は禁物である。しかし、毎回訪れるたびに幽鬼どものありがたくない出迎えは結構、骨が折れるものだ…とアルデバランは誰に言うでもなく恨み言を呟くのだった。
【 不機嫌な防波堤-約束の灯- 】
「―――お待たせしましたね、アルデバラン。これと…それから…これ。朝晩、小匙に半分ほどずつを飲ませて。あまり量はないんですけど。それで具合が落ち着いたら、これを一日に一度、いつでもいいですから飲ませてやってください。他のものはこれくらいでも半年は持つんじゃないかと思いますが」
聖衣の墓場の主ことムウがにこやかな笑みをたたえながら、木箱から茶色の小さな薬瓶を取り出し、中身を見せながらひとつひとつ丁寧に説明を加えた。
やっと辿り着いた最果ての地にある彼の根城に当の目的とするムウが不在であれば、それこそ徒労に終わったところであったが、幸いにもムウは居た。これで自分の苦労も報われるものだと訪ねた用件を口早に伝え、それからムウを待つこと1時間と丁度30分。ようやく手にすることができた代物に安堵の息をついた。
こくこくと頷きつつ、時折紙にペンを走らせながらムウの説明を聞いたアルデバランは薬瓶を受け取ると大切そうに年季の入った鞄の奥へと仕舞いこんだ。
「助かるよ、ムウ。これだけあれば充分だ。育ち盛りの悪ガキばかりだったら、よかったんだが。傷なんて舐めてたら治るが、病弱な子はそうもいかなくてなぁ……」
溜息をこぼしてアルデバランは苦笑した。それでも人の良さそうな笑みに自然目元を綻ばせながら、ムウも返す。
「そうですね。子供はケガするほどに元気なほうがいいですよね…。でも、今回は割合と間が空いたような気がしますが。その子は調子が良かったんですか?」
話しながらも用意した独特の薫り高い茶を差し出してムウが尋ねた。礼を述べつつ、アルデバランは少しばかり困惑したような表情を浮かべてみせると、差し出された茶を一口喫した。
「ん、それがな……もしかしたら、シャカのせいかもしれない」
「え、シャカのせいで調子が悪くなったんですか?」
怪訝そうに眉根あたりを寄せたムウに慌ててアルデバランが訂正をする。
「いや、そうではなくて、逆。シャカが住み着いてからずっと調子がよかったんだが、先日ヤツは聖域のほうにようやく戻ってな。こっちとしては万々歳だったのだが。なんとなく子供たちの様子が変でな……それに気付いたとき、その子供がみるみるうちに調子を崩し始めたんだよ」
なんだそういうことですか、と呟いたムウは元の柔和な顔つきへと戻った。そしてアルデバランに微笑みながら告げた。
「アルデバラン、そういう場合はですね…“シャカのせい”って言うのではなくて、“シャカのおかげ”って言うんですよ?」