不機嫌な防波堤
2.
「う〜ん」
シャカのおかげ、だと?
ムウも一人暮らしが長すぎて、いよいよ頭が怪しくなったのかもしれないな……。
ムウの耳にでも入ればとんでもない仕返しをされそうなことをアルデバランはこころ内で思いながらも、不愉快に感じるのは仕方のないことだとも思わずにいられなかった。
大体、シャカがアルデバランの元に訪ねて来てから、すべての調子が狂ったのだから、と。
やれ嫁を貰ったのかといっては村人が押しかけるわ、シャカが男だとわかれば今度は男色に走ったのかと、とんでもない噂が広められ、またもやお節介な連中がドヤドヤと押しかけて目を覚ませなどと意味のない説教をし、最悪見合いまでさせられそうになるわ…とどめに頭を悩ませていたゴロツキどもがチョッカイを出して憤慨したシャカが徹底的に叩きのめしたのはいいが、恐れ戦きすぎたのかそれとも頭の打ち所が悪かったのか…よもや洗脳でもしたのか、そのゴロツキどもはシャカに惚れ込んでしまい、ストーカーになった挙句、結局鬱陶しくなったシャカが舎弟(弟子か?)にまでしやがったのだ。
まぁ、それはそれで、それなりに男手が欲しい時にはゴロツキどもも役に立っているけれども。
そして偶々なのか、それともあまり認めたくはないが…シャカの作業が良かったのかはわからないが例年になく果樹園は豊作で出来高も上々、いや収入は軽く倍以上あった。子供たちも何故だか成績も良かったし、予想外のことばかり起きた。
「まったく、何が防波堤だ…疫病神だろうが…っ、うわっ!」
考え事をしていたせいで、倒木に足を取られ派手に膝をついた。舗装されてない山道だ。岩や倒木などあって当たり前、普段なら足元に気を使っているし、考え事をしていたとしてもこんな間抜けたことなどない。これもきっとシャカのことを考えた“せい”だ。
「危ないだろうが!」
思わず声を荒げて倒木に八つ当たりして蹴ろうとしたアルデバランだったが、深呼吸をひとつすると少々苦い顔をしつつ、倒木を持ち上げた。この道は子供たちも通る場所だからと持ち上げた倒木を邪魔にならないよう茂みへと移した。
「ん……今度倒れる時は道を塞ぐなよ?」
そう意味不明の捨て台詞を残して、ズンズンと山道を進んだ。やがて辿り着いた住処を前にして安堵の表情を浮かべたアルデバランは疲れた表情を隠すように人の好い笑みを浮かべると勢いをつけて扉を開けた。
「ただいま!」
「遅かったではないか。どこをほっつき歩いていたのかね?」
「……へ?」
目を丸くしたアルデバランはキョロキョロと家の中を見回した。独特の高い声音に居丈高な口調が聞こえたと思ったのだが…。
もっぱら感情を逆撫でするその声の主は家の中に見当たらなかった。くだらないことばかり考えたせいで幻聴でも聴こえたのだろうか?と少々自分を危ぶんだ時、もう一度幻聴が聴こえた。それは家の中ではなく背後から。
「入るなら、さっさと入りたまえ。君がそこに居ては壁になって私が入れないではないか!」
恐る恐る振り返ったアルデバランは夢幻であって欲しい人物を目の当たりにして卒倒しかけた。
「な…おま…え!?」
「さっさとどきたまえ。邪魔だ」
「何が、邪魔だ!なぜおまえがここにいるんだ!?聖域に帰ったはずだろうがっ!」
青筋を立てながらの剣幕にも押されることなく、むしろアルデバランを押し退けて当たり前のように家の中へ入ろうとするシャカの首根っこをグイッとアルデバランが引っ掴んだ。
入り口を大の男が二人で塞ぐと、家の中にいた子供たちの視線が当然のように驚いた様子で注がれた。そしてスッと股の間を駆け抜けて、持ち上げていたシャカの足に飛びつき、重量を増させたものがいた。
「おまえ…?」
目を丸くしながら、アルデバランはシャカの足元にぶら下がるものを注視する。寝込んでいたはずの少女。アルデバランをわざわざ辺境の地まで足を運ばせた張本人。
「だめ!」
頬を一杯に膨らませ、口をへの字に曲げながらアルデバランを睨む少女。瞳にはうるうると涙さえ浮かび上がらせ始めていた。
「だめ…って……それに、おまえは――…あぁ、もういい。わかった、わかった!降参だ!」
パッとシャカを掴んでいた手を離し、両手を上げたアルデバランはくしゃくしゃと頭を掻いた。掛け値なしの少女の涙を前に、水の泡のごとく消えた己の苦労をわずかばかり偲んで、アルデバランは深い深い地の底にまで届きそうな溜息を恨めしげについた。