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【技術畑】カブリオ【ほんのり腐向け】

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「イタリアじゃあ小さい車の方が何かと便利なんだ。スポーツカー乗ってる人間もいるけど、ウチの趣味じゃないし」

 確かに年中ツナギ姿のスパナがスポーツカーを乗り回すのは違和感がある。日本に比べれば、スポーツカーに高級車のイメージは薄いのかもしれないが、それでもやはり物珍しさから自然と目で追ってしまう。

「ウチ、本当は日本車が欲しかったんだ」

 ちょうどそのタイミングで一台の車が二人の目の前を通り過ぎた。正一も日本の街中でよく見掛けた車種だ。

「何も車まで日本贔屓しなくても……」

 ニュース番組や新聞で海外では日本車が人気だと知ってはいても、その国出身の正一からすれば何となく理解出来ない需要だった。

「正一は日本車のすごさが分からないからそう言うんだよ」

 そう返されると正一は曖昧に首を傾げるしかない。正一からしてみれば、目の前にあるこのマイクロカーの方がすごいように思える。遊び心と機能美が兼ね備わっている車に、素直に感嘆するしかない。

「まあ、一応ウリは超高級車らしいし。この車」
「らしい、って」
「電気自動車なんだ」

 スパなの端的な説明だけでこの車が高級車と呼ばれる理由を理解した。

「バッテリーはもちろん、中のオーディオまで一流メーカーから提供受けてる。ウチは試運転兼ねて上から借りて、少し前から運転してた」
「借り物なんだ、コレ」
「といってもほぼウチのもんなんだけどね。誰も文句言わないし」

 そうだとするとスパナ自身がこの車の値段を知らないのも当然だ。上、ということは自分たちが所属する組織のトップから借り受けていることになる。
 正一が知っている上層部の人間というと、組織のボスである白蘭がその一人だ。その上司の顔と言動を思い出して、正一は一人納得する。
 好奇心任せで値段も気にせず車を買って、買ったことに満足して乗りもせずに放っておきそうだよなあ、あの人。
 正一の口元に堪え切れなかった忍び笑いが浮かぶ。
 そう考えると放っておかれるより、傷だらけにしながらもスパナに乗ってもらった方が車も本望だろう。

「ちょっと待ってて、いま車出す」

 スパナは運転席側に回ると、降りたときと同じようにドアと車体の僅かな隙間に身を滑り込ませるようにして車に乗り込んだ。
 正一も同じようにして車に乗り込もうかと思ったが、助手席側で同じようなことは出来そうにない。助手席側のサイドミラーは、ドアを閉じた状態で既に隣の車まで僅か数センチである。
 これでドアを開ければミラーが隣の車にぶつかるし、開けられる分の隙間では正一の身体は通らない。
 正一は大人しく、荷物をトランクに積み込んだ位置のままスパナの出庫を待つことに。
 後部から運転席に乗り込んだスパナの後姿が見える。キーを回したらしい、電気自動車特有の全く響かないエンジン音が静かに正一の鼓膜を打った。
 待てよ、と正一は思う。
 比較的新しいであろう電気自動車にあれだけの傷を負わせるスパナが、こんな狭いところから無事に出庫出来るのだろうか。
 スパナが乗り降り出来た運転席側はともかく、正一が乗り込む助手席側には余裕がほとんどない。スパナが乗り込んだ運転席側も、決して余裕がある訳ではない。
 車自体は車道に頭を出す形で駐車している。しかし車道に頭を出す形で駐車しているということは、ただ真っ直ぐ車を出すだけでは済まない。
 スパナが正一を何処に連れて行こうとしているのか分からないため、車の進行方向は定かではないが――少なからず、進行方向にハンドルを切りながら車を出さなければならない。
 ハンドルを切るということは、当然のようにその方向に車体が傾くということで。
 すなわち、両脇に余裕のないこの状態からの出庫は、左右どちらかの車にマイクロカーをぶつけなければ出庫出来ないという、結論に辿り着いただけで下腹部がキリキリと痛み出す最悪のものだった。

「スパナ、ちょっ……!」

 待って、と正一はスパナの出庫を止めに掛かろうとする。
 イタリア観光も光合成もどうでも良いから、とりあえず車を出すのは止めてくれ!
 そんな悲鳴がスパナの耳に届くより先に、聞きたくもない音が正一の耳に届いた。

 がこんっ!

 硬い何かと何かがぶつかる音――ナニとナニがぶつかったかなど、想像したいと思うはずもなく。

 がががががきききき

 何かと何かが擦れる音――思わず耳も目も、叶うことなら意識ごと失ってしまいたくなる地獄へのファンファーレ。
 それらの音が止むと同時、スパナの運転する車の出庫が終わった。
 早く車に乗り込まねば通行の妨げになる、と頭では分かっているのに正一の身体はピクリとも動かない。
 あれだけ目立つ出庫をした車に乗りたくない、という目立つことを嫌う国民性からの拒否。あまりにも常識離れした出庫を目の前で行われ、正一の今までの人生ががらがらと崩れていくような覚束ない喪失感。
 マイナスの感情に満たされた正一は、茫然自失のまま青いマイクロカーを見る。
 するといつまでも動かない正一に痺れを切らしたスパナが、運転席の窓から急かすように叫んだ。

「正一! 車出したから乗れるよ!」

 乗れる乗れないの問題じゃなくて、乗りたくないんだよ――泣きそうになりながらも、正一は青いマイクロカーに乗り込んだ。
 ほんの少し前までは見慣れない車に乗れることが嬉しかったのに、今ではその高揚感も吹き飛んでしまった。

「スパナ……早く車出して」
「ん」

 ぐったりと窓に凭れ掛かるようにして正一が呟く。
 急に沈んだ正一の様子を不思議に思いなからも、先程とは違い滑らかなハンドル捌きでスパナは車を発進させた。





 車は静かに街を走る。
 土地勘など全くない正一には、今車がどの辺りを走っているのか分からなかった。ハンドルを握るスパナに尋ねようとして、すぐに思い直す。通りの名前を聞いたところで、結局自分が何処にいるか分からないのだ。
 BGMの一つもない車内はとても静かだ。エンジン音もろくにしないため、無音に近いといってもいい。
 乗り込んだ当初は気が動転していて、窓に頭を預けて溜息ばかり吐いていた。こつこつと頭が軽く窓に当たる音はもうしない。正一は窓に預けていた頭を離し、流れる町並みをぼんやりと追い掛けていた。
 乗せてもらっている身で文句は言えないが、あの出庫は他に方法がなかったのだろうか。
 観光地らしいところが一切ないこの街では、外国人というだけで人目を引く。正一は観光客とは違い、生活用品を抱えたまま街を散策していた。
 ここは観光地もなければ、それほど大きな街でもない。通り過ぎていく人々は、あんな人間がこの街にいただろうか、という目を正一に向けてきた。
 視線自体はそれなりに覚悟していたのであまり気にならなかった。ただしその覚悟というのも、あくまで移住して来た人間に向けられる好奇の目に対してだ。
 隣の車に平気でぶつかりながら出庫するという非常識な行動をスパナが取ると、一体誰が想像しただろうか。