【ゼルダの伝説】ワールドヴィネット
すいとナイフが退かれた。ぜいぜいと乱れた息をなだめながら、その男を見上げる。目深にかぶった茶色の羽根帽子、色素の薄い茶色の髪。今は前髪と帽子の所為で見えないけれど、のしかかられていたときに見たひとみもやはり茶色だった。全身を覆うような長いマントも茶色。合わせ目から覗くパンツもブーツも茶色。さっきまで突き付けられていたナイフも、持ち手は使い込まれてこなれた茶色だった。今は革製の茶色いホルダーにしまわれていたけれども、それがとても恐ろしいことのように少年には思えた。
全身茶色い男は、んー、と気楽そうに伸びをする。少年が座りこんだままなのに気づいて、少し首をかしげた。
「立てるか?」
手を差し伸べられたが、さっきの出来事ですっかり腰が抜けていた。仕方ないなと愉しそうに笑い、男は背を向けてしゃがみ込む。
「はよう乗れ。驚かせた詫びに境目までつれていってやろう」
「え、あ、あの」
「はよ乗らんか」
すがりついた首はびっくりするくらい頼りなくて細かった。幼馴染の恰幅のいい父ちゃんとか、毎日鍛えてるおじさんと比べてるからかなあと思う。同じくらい細い腕だったけれど、意外なほど支える力は強い。
痩せた背中だった。
ひょいと難なく立ち上がると男はくるりと振り返った。造形美に疎い少年の目にはその美醜は分からない。ただその古めかしい言葉づかいが似合わないくらい若いことだけは分かった。男はさっきの無表情もどこへやら、にかっと歯を見せて笑った。
「血の臭いをさせずに森に入り込んでくる輩は久しぶりじゃ。……少年、子供の足で踏み入るにはここは少々深すぎたようじゃの」
ナイフを押し当てられていた人間にそう言われるとこくこくと頷くしかない。
「何か、探し物かの。茸ならば止めておいた方がよいが」
「あ、あの……や、山羊が」
「やぎ?」
「……逃げだしちゃって」
「ほう、連れ戻しに来たか。結構、結構。しかしお前が迷い込んでしまってはお前の村の人間達も困ろうというものじゃ。少年、我らが領域はそう優しくはないぞ」
「…………はい」
顔を押し付けるようにして小さくなる。なにかとても悪いことをしてしまったような気持ちだった。支えづらくなったか、ひとつ大きくゆすり上げる。
「山羊、山羊のう……見かけたような気もするが、はてどこで見たものか。まあ探しながら戻るとしようか。少年はきっとまた怒られるのは嫌じゃろうしな」
くっくっ、と男は笑う。少年はまばたいた。怒られただなんて一言も教えていないのに。男は振り返ったようだった。俯いたままで顔なんて見えなかったけれど、視線が降ってくるのを感じた。
「なあに、子供がひとりで飛び出す理由なんていつだってそんなものじゃ。……ここからじゃと近い村は二つほどあるじゃろうが、多分あちらの方だろうなあ。うんうん、尖った耳は珍しいからの」
「……珍しい?」
そう言われて少年は首を傾げる。男はそれでもただ笑っているだけだった。足元が悪いのに、その足取りに危なげなところはない。すいすいとならされた道を行くように歩んでいく。
男がまた振り返った。目が合って思わずびくっとしたけれど、意外なほど男は優しげに微笑んだ。
「ただおぶさっているだけというのも暇じゃろう。少し、昔話でも聞かんか」
少年はきょとんとする。むかしばなし、と口の中で呟く。男は微笑んだまま頷いた。特に悪いようにも見えなかったので少年がおずおずと頷くと、男の目がちょっぴり嬉しそうに輝いた。
それじゃあ始めようか。そう言って男はすう、と息を吸い込んだ。
作品名:【ゼルダの伝説】ワールドヴィネット 作家名:ケマリ