リスティア異聞録4.1章 ユーミルはその昏い道を選んだ
午後のティータイムの時間になり、リビングへ降りていくとルーシェが珍しく家に帰ってきていた。バルフォグ湖の警備の後、ファウル丘陵経由で巡察してユニオンに戻る任務の中途であった。翌朝、ユニオン入りして報告をする予定らしい。ルーシェがアールグレイのセカンドの香をかいでから口に含み、飲み下し、アフターフレイバーを楽しむと、ふと思い出したように語り始めた。
「ああ、そうだバルフォグ湖の警備中に、女の子が野盗と喧嘩をしてるのを見付けてね」
そう言うとルーシェは自分で言って自分でおかしそうに笑う。聞いていたユーミルはびっくりして身を乗り出して聞き返す。
「女の子が? 野盗と?」
「どうやら事情を聞いてみると、女の子が馬でバルフォグ湖へ遊びに来ていた。それで、野盗がその馬を見つけて、盗もうとしていた。盗まれたくないので喧嘩になった。ということらしい。でも、普通はさ…… 女の子…… そうだなユーミルと同い年位かな? それ位の女の子が野盗に出くわしたらどうすると思う? 歯向かったりしないよね?」
話の筋は通っているのに確かに妙な話だ。女の子が馬に乗ってひとりで散歩に来ているのも妙な話だし、挙句野盗と喧嘩をしていたというのは、ますます妙な話。ユーミルは、なかなか具体的に想像出来ない話に相槌討ちながら単純な感想を述べる。
「そうだなぁ…… 普通は歯向かわないなぁ…… しかし、野盗と喧嘩する女の子かぁ…… うへぇ…… なんだか怖いなぁ…… 女の子は普通のおしとやかな子が良いなぁ……」
「母上だって盗賊団潰しで勇名轟く騎士じゃないか。そう怖がるなって。その娘も剣を持ってなきゃ多分、ユーミルの大好きな"普通の女の子"だぞ。それに綺麗な銀髪のなかなかの美人だ。さて、ここいらでネタ晴らししよう。その娘はアヴァロン貴族だったんだ」
「えっ? あの辺りは、小競り合いが続いていてアヴァロン国民が簡単に出入りできないでしょう?」
ユーミルはさらに驚いて身を乗り出す。アヴァロンから近い土地ではあるがバルフォグ湖はユニオン領である。この地域一帯の覇権を巡って小競り合いが続いており、国境を越えるのが難しい地帯のはずだ。
「それを多分、街道沿いではなくアヴァロンの森を馬で駆けてきた。森を抜けたら警備が居ない場所だったのだろうなぁ…… そして湖で遊んでたら、野盗に遭って、喧嘩して。随分冒険な一日だな。とんだおてんばさんだ。ハハハッ」
ルーシェはさっき、剣を持っていなければ普通の女の子だ、などと言ってしまったものの、喋りながら状況を整理するうちに、とんだ "おてんば" であるということに気付いてしまったらしい。ティーパーティとしてマナー違反ではあるが大笑いしてしまった。
「で、その娘は保護したの?」
不法に越境してきて、しかも喧嘩をしているのを見付けたのだから警備任務としては捕まえるべきなのだ。彼女は処遇はどうなったのか? ユーミルは気になっているというよりは、間の手のつもりで聞いてみる。
「どう見ても斥候ではなかったし間違えて国境を越えてしまっただけだろうと判断して見逃しておいた。野盗の取り調べを優先させたかったし、それと……」
ルーシェは続ける
「彼女は殺されるかも知れない相手に、勝ち目の薄い戦いへ挑み、命よりも貴族としての誇りを優先させた。彼女は本質的に貴族であった。そんな娘を捕えて形ばかりの尋問をして釈放とか、そんな茶番に巻き込みたくなかった」
ルーシェは更に続ける。
「ここで話したかったのは二つなんだ。まとめると。あのような貴族がアヴァロンに居るのだと考えると今のような小競り合いのうちはともかく、本格的な戦争になったら手強い相手になるはずだ。というのがひとつ。ユーミルとあの娘が妙齢になった時、平和だったなら結婚相手としてどうかな? っていうのがもう一つだ。オーレリア・ノワールという貴族の娘でセシリーというらしい。調べればすぐ分かるだろう」
「ええーッ!? まだ会ったことも無いし、そんな怖い娘イヤだよ」
と言いながらもユーミルは顔を赤らめている。まだ見ぬアヴァロン貴族の娘。その姿と、その勇ましさを想像して、淡いときめきを覚えていた。
「ハハハッ、後者は冗談だよ。でも素敵な娘だと思うし、お似合いだとは思うけどな」
この後も、お茶を飲みながらルーシェからひとしきり騎士の仕事について聞いていた。やがて夕食時となった。
その夕食時、
「父上、今朝のお題についてです。継続して考えている中途ですが、一旦お聞きいただいてもよろしいでしょうか?」
「ほう、言ってみろ」
「騎士とは民を守り、民を守る仲間を守り、仲間を守る自分を守る者。だから、盾程も有る大剣で守る。両手で扱う盾として、時に剣として戦う…… ということではないでしょうか?」
「90点といったところか…… 正直、そこまで考えが至ることを期待していなかったのだが、大したものだ。残りの10点分は "敵も守る" ということだ」
「敵も……ですか?」
「あのような鉄の塊では斬ることは出来ないだろう。騎士は敵が憎くて戦う訳ではない。敵も我々が憎くて戦う訳ではない。だから、なるべく"奪わない"ように戦うのだ。戦意さえ削げば良い、戦う力だけ奪えれば良い。刃が付いていれば、奪ってしまい易い。腕は折れても、治ればまた使えるが、斬り落してしまえば、もう使えない。脚は折れても、治ればまた使えるが、斬り落としてしまえば、もう使えない。折るだけでも十分に戦う力を削げる。戦う力を削いで敵を守る。これが騎士の理想とする戦い方だ。これをやるには、敵より自分がずっと強くなければならない。力も当然だが、それ以上に心が強くなければ出来ない。だから、まず初めに与える武器として大剣を選んだ。騎士の鍛錬は戦う力だけでは完成しない。騎士としての心を鍛える必要が有るのだ」
「父上…… よく分かりました! 有難うございます!」
こうして、家族4人が揃う久々の食事はゆっくりと行われた。ルーシェが間もなく叙任して正式な騎士になるという報告をすると、前祝いと称してとっておきの葡萄酒の栓を抜き、使用人達へも振る舞った。
夕食後、ユーミルは自室に戻って宝物であるリスティア戦史を読んでいた。しかし、目が紙の上を滑るばかりである。夕食時、家族が周りに居る間はそうでもなかったのだが、部屋でひとりになると、どうしても昼間ルーシェから聞いたセシリーという娘のことばかり考えてしまう。これ以上読んでもどうにもならない。本のことは諦めよう。ボーッとしたまま読書机の前を離れ、ベッドへ身を投げ込む。枕に顔を埋めてうずくまる。
どうしてバルフォグ湖へ来たのだろう?
どうして命を賭としてまで誇りを守ろうとしたのだろう?
どんな声で喋るの?
どんな風に笑うの?
昼間の誰も居ない湖の湖岸に腰をかけ、足を澄んだ水に浸して遊ぶ銀髪の少女の姿を思い浮かべる。今、この胸に灯された火種はやがて狂おしく燃え盛る火となるであろう。そんな予感を感じていた。まだ見ぬ少女への想いだというのに。これが少年の危うさであろうか。よく眠れぬまま身を捩るばかりの夜が明け、やがて朝が来た。
作品名:リスティア異聞録4.1章 ユーミルはその昏い道を選んだ 作家名:t_ishida