Radiant Days~Love so sweet
心の中で永智は呟くが、それと同時に耳に滑り込んできたのは今まさに思ったことだ。
一番左の席に座る女子がそろりと手を上げ、言った。
「先生、あたし達のこと、心配してくれてんだね。
――ありがと、すごくうれしい。そんなこと、初めて言われたよ」
「――俺も親から当然だって言われて塾に来たからさ。心配なんてされたことねーし」
「先生、僕たちだって何の覚悟もなくこの塾の門をくぐった訳じゃありません。――でも、そんな風に思ってくれてることが――嬉しいです。僕らの事、ちゃんと考えてくれてるんだって」
「先生、そんな辛そうな顔しないでください!なんか、あたしらの方が辛くなる……」
次々と上がる声に教壇に立つ彼は澄んだ瞳を見開き、驚いたように教室を見渡した。そして、浮かんだのは苦笑いともとれる笑顔。心底困ったというように眉を下げ、笑う。この人には、笑っていてほしいと永智は素直に思った。
「――そうだよな、お前らだってちゃんと考えてここに来たんだもんな。わりい、変に気をまわして」
すまないと謝る講師に声を上げたのは隣に座っていた親友だった。音を立て、椅子から立ち上がると同時に講師に投げかける。
「先生、違います! 謝る必要なんてない! 僕らは先生が心配してくれて嬉しいんだから! ――皆、そうだよね?」
親友の問いかけに頷くクラスメイト達。さっきこの塾に来たばかりで、誰一人として知る者はない。
――隣にいる親友以外は。
それでも皆彼の言葉に強く頷いていた。
教室に満ちる一体感に背筋がぞくりと震えた。こんな経験、一度だってない。
(何だ、これ……)
永智は震える身体を止められなかった。
恐ろしいのではない。
むしろ――。
心地よいとさえ感じてしまうそれは。
そう、感動に似ている。
講師である彼を中心として、出会ってわずか数分のうちの出来事。彼はすでに生徒全員を信頼させてしまったのだ。全員の心を惹きつけ、魅了する。
彼はいったい、何者なのだろうか。
「そっか、そうだな。――サンキューな、皆」
講師である彼が笑う。
今度は苦笑いではない本当の笑顔。
輝く太陽のように微笑む姿に、教室の中に湧き上がったのは大きな歓声だった。手を叩き、笑い合う。それは今まで感じたこともないほど永智の心を躍らせた。
「おっし、そろそろやってみるか」
ひとしきり笑った後、壇上に立つ講師が言った。その一言で先ほどまでの穏やかな空気は消え、緊張が満ちる。
それに気づいた講師は穏やかに言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ、そんなに緊張すんな。確かに今まで見えなかったものが見えるようになる。慣れるまでは大変だろうが絶対大丈夫だから」
「でも……先生」
「ん? どうした」
「魔障の儀式ってわざと悪魔に傷をつけさせるんでしょ? ……その、怖くないんですか?」
おずおずと手を上げたのは永智の右隣に座る大人しそうな女子生徒だった。確かに男の自分とて(子供だったのだから仕方ないが)泣いたものだ。特に女なら尚更怖いと思ってしまうのも無理はない。
「あ~、確かに今までだと泣く子もいた。ああ、でも俺が魔障の儀式やるようになってからは、泣いた奴は残念ながら一人もいない」
自信満々に言うが、悪魔だ。怖くないはずがない。それは彼が祓魔師だからではないかと思った時だった。
「にゃあ~」
視界を横切った黒い影に目を瞬かせる。
(って、今、猫の鳴き声しなかったか?)
首傾げる永智の目の前ににゅっと現れたのは確かに猫だ。黒い毛に覆われ、見えた歯は異様に尖ってみえた。長い二つに分かれた尾を振り、教壇に立つ教師に飛びつく。
「――あ……」
止める間もなく飛び付いた猫を講師はやすやすと受け止める。ここの来ることが分かっていたのかのようだ。
「いいところに来た、クロ。今お前を呼びに行くところだったんだ」
ゴロゴロとのどを鳴らし、講師に擦り寄る。心地よさそうな様に何故かむっとした。
「先生、その子、先生が飼ってるの?」
「ん?――ああ、飼ってるつーか、一緒に暮らしてる。まあ、友達見て―なもんだ」
「友達?猫が?」
あちこちで飛び交う声は驚きに満ちている。
「クロ、今回も頼めるか?」
講師が囁くとにゃあ~と泣き声をあげる。
何をと永智が問いかけようとした時だった。床に降り立った猫があっという間に巨大化し、天井付近まで到達する。永智は指をさしたまま固まっていた。
「せ、先生……」
「ん、何だ?」
「これ、何すか?」
永智の問いかけに講師はきょとんと目を瞬かせ、巨大化した猫を見上げる。
「猫又だ」
「「「猫又~~~~!」」」
「そんな驚くことか?」
驚くことだろう! 永智は心の中で叫んだ。猫又といえば猫に憑依する悪魔だと聞く。だからといって、こんな巨大なものがおいそれと登場されてはたまったものではない。ここが祓魔師を目指しもの達の登竜門であるから当たり前なのか。
「先生、ここには猫又ってたくさんいるんですか?」
隣に座る親友が的外れな質問を講師にぶつける。案の定、返ってきたのは苦笑いだった。
「いや、いないぞ。こいつはもともとこの学園の門番やってたんだが、ちょっと事情があってな。止めた後、俺の所にいる。――まあ、使い魔みてーなもんか」
さらりと放った言葉に全員が固まる。
「じゃあ、魔障の儀式、始めるぞ。――クロ、わりぃけど元に戻ってくれ」
講師の言葉が理解できるのか、すぐに元に小さな体に変化する。ただの猫と同じ大きさになった猫又を抱えあげ、彼は永智の目の前に立つ。
「えーと、お前はもうかかってるんだったな。――ついでだから、撫でてみるか?」
「――へ?え、あ、はい」
にこにこと笑う講師に勧められるまま、腕の中の猫又を撫でる。ふわりとした毛並みが心地いい。永智が手を滑らせるたび、気持ち良さそうに目を細める姿が新鮮だった。そんな永智の様子に講師は瞳を細め、笑った。途端に永智の鼓動は早まりだす。
それを見ていた後の席の生徒が立ち上がった。
「あの、もしかして魔障に使う悪魔って……」
「ああ、このクロだ。言っただろう? 怖くないって」
講師がにこりと微笑めば、途端に教室内が騒がしくなる。確かに、これなら女子も怖くないだろう。
「ほら、魔障にかかったことない奴は前へ来い」
講師に促され立ち上がった生徒たちはどことなく落ち着かない。ざわめきが教室内に広がった時だった。
「――燐先生!」
突然教室の扉が開き、中に入ってきたのは長いキャラメル色をした背の高い女子生徒だった。
「どうした、菊池。そんなに慌てて」
彼女は講師の元に駆け寄ると、彼の手を握りしめた。
「お、おい。どうした?」
「――いいから!先生早く!」
「待て待て待て! 事情を説明しろ!」
「あ~もう! またあいつらが暴れて、講義で使ってた悪魔が暴れ出したの!悪魔の方はなんとか落ち着いたけど、でもあいつらが!」
「あー、分かった。――わりぃ、ちょっと野暮用だ。すぐ戻るから。――クロ、大人しくしとけよ。ええと、お前!」
作品名:Radiant Days~Love so sweet 作家名:sumire