世界を統べる者
真白い光が幾千をも通り過ぎてゆく。時を渡る扉。それは番人の住まう世界と個々存在する数多の世界を繋ぐ役目を持つがすべての世界の記憶が一斉に通り過ぎてゆく。いくつもの光の渦――それらすべてが、向かう世界の過去の記憶である。スザクは側を流れる膨大な記録にきつく目を閉じた。そうしなければ、膨大な過去に思考を食い破られる。慣れたと言ってもやはり心地いいものではない。むしろ不快だ。耳鳴りがして顔を顰める。どんなに拒絶しようとも流れる時を止めることは叶わない。流れ込んでくる時代の記憶に吐き気がした時だった。ふと、それが止まり目を開ければ見えたのはほっそりとした白い掌だった。淡い紫色の光が灯ると同時に身体が楽になる。
「それ以上歯を食いしばるな。自分自身を食い破るつもりか?」
スザクの唇に手を伸ばし、そして軽く触れてゆく。びくんと身体が跳ねた。驚いたように目を見張る番人に気まずくて堪らない。居た堪れないのは、むしろこちらの方だ。その瞬間、視界の奥で光が弾け、何かが見えた。
ほっそりとした背中が遠ざかる。誰だと問いかけようとした胸の内で激しい閃光が走る。はっと我に返った時にはこちらに伸ばされた手を振り払っていた。
「――おい、本当に記憶に飲まれたか?」
眉間に深い皺を刻み、問いかけてくる姿が酷く癇に障った。見開かれたアメジストの瞳に胸のどこかが軋んだ気がしたが、それを振り払う。
「――別に……」
ただ、そう言うのが精一杯だった。
扉を潜り抜けると同時にスザクは思わず目を細めた。
「何だよ、ここ―――」
黄色い靄に覆われた空間。辺り一面を覆い尽くす木の根。荒れ狂ったように地面を這いまわる姿は巨大な大蛇が群れをなしているかのよう――。
その中央に幾重もの糸に絡みとられた人影に息をのむ。真っ白な衣を纏い、目を閉じている。俯くその顔は隣に佇む番人と瓜二つ。
思わず交互に凝視してしまう。
「――何だ、さっきから」
「いや、――お前ら、双子?」
「―――馬鹿か、貴様は。俺と普通の人間が兄弟なわけがないだろう」
冷たい視線に項垂れるしかない。
「――この世界は、あの馬鹿親父が若いころ関与した世界だ」
今では禁忌とされている世界への関与。番人たちを率いる王――シャルルの過ち、それがこの世界だという。
「あの馬鹿親父の思念がこの世界を歪ませてしまった。あの馬鹿親父の記憶を反映した結果があれだ。この世界に存在する筈のない力――ギアスと呼ばれているのだが、あれもそれが原因で生まれた副産物だ」
まだ王シャルルが番人として数多の世界をめぐり、下る指令に奔走していた時代の遥か昔。彼はこの地に降り立つと常と同じように指令を収束させていた。――だが、それを邪魔するもの達がいたのだ。目の当たりにした摩訶不思議な力に恐怖した人々が彼に向い刃を向けたという。それを回避するため彼は番人の力を開放した。それはこの世界の理を歪ませ、解放した力が運悪くその歪んだ理に取り込まれてしまったのだ。ギアスと呼ばれる人知を超える力をもたらすコードと呼ばれる力を生み出してしまったと番人は淡々と言い放つ。それは寿命を持つ人を不死へと導き争いの火種となったという。そして彼の記憶と共にこの世界に溶け込んだ。
「――だから?」
「貴様はつくづく馬鹿だな。――少しは自分の頭で考えろ」
考えろといわれても分からないものは分からない。
唸り続ける青年に呆れた番人は、腰に手を当て深く息を吐いた。
「番人とはいわば時を見守る守人だ。だからこそ、傍観者でいなければならない。人に向い力を開放した時点であいつの処分は決定されていた。だが、それを覆したのは奴が持つ強大な力と予言だ」
「予言?」
「世界を司り、番人たちの頂点に立つ者は力のみで選ばれるわけではない。そこに前任者の予言が揃うことで選ばれる。あいつがこの世界に関与したそれと同時に当時の番人の王が予言したのがあいつだった」
そうして語られたのは、決して表に出ることのない番人たちの過去――即ち絶対的な罪。
「てか、それ、話していいのか。」
「―――駄目だろうな。だから、こその禁忌と呼ばれているのさ。お前も死にたくなければ口を噤んでいることだ」
にやりと唇を上げ、勝ち誇ったように笑う姿に本気で殺意がわいてくる。絶対にわざと聞かせたに違いない。苛立ちに思考が停止しようになるが持前の忍耐力でなんとか耐える。
「で、これからどーすんだよ」
「――まずはこれをなんとかしなければな」
青年を絡め捕る糸と辺りを覆い尽くす木の幹に番人が触れた時だった。
鋭い声が聞こえてきたのは――。
「何をしている――」
現れたのは黒衣を纏った青年。剣呑な光を宿した翡翠の瞳。番人瓜二つの時の歪みに捕らわれた青年が纏う白い衣と対のような衣を纏っている。
癖のある茶色い髪も顔立ちもまるで鏡越しに見ているかのよう――。暗い光を纏い、睨みつけてくる様は射殺すかの如く。
「お前たちは何者だ? ――何故陛下と同じ顔をしている」
腰に纏った剣を抜き去り、問いかけてくる。おそらく返答次第ではすぐさま切りかかってくるつもりなのだろう。スザクは眉を寄せ、己と瓜二つの青年を見据える。翡翠の瞳に宿るは暗い光。すべてに絶望しているその眼差しが気になった。
「俺は過去の扉の番人。――お前がこのひずみの原因だな?」
問いかけと同時に空間に響いたのは鋭いまでの轟音。風が巻き上がり襲いかかってくる。身構えた時には空間の外に飛ばされていた。番人が口にした原因――それがあの自分と瓜二つの青年ならばあの根に覆い尽くされた空間は彼の意識により作りだされた代物なのだろう。
目の前に立ちはだかる薄い水の膜でできた壁の向こうに糸に絡み取られた青年の姿が微かに見えた。歪みの原因となる青年が眠る彼の頬に手を伸ばす。
愛おしいと囁きながら触れる騎士の翡翠の瞳はここではない遠くを映している。まるで死人のような暗い眼差しに顔を顰める。彼の眼にはすでに何も映っていない。この歪みに捕らわれた彼の皇帝以外は――。
「はやくしなければ、歪みは世界に達し、すべて崩れ落ちるだろう。――奴らの魂は輪廻の枠から外れてしまう」
「どういう意味だ?」
「どうもこうもない。事実を言ったまでだ。奴は死した魂をとらえ続けることで、この世界を壊そうとしている」
「死した、魂……?」
アメジストの瞳が指し示す先、それは幾重もの糸に絡み取られた青年。スザクは目を見開いた。
「あいつ、死んでいるのか?」
「――貴様は馬鹿か。それでよくも俺の補佐をしているな。あれは第九十九代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。皇帝直轄領――つまり今の日本で英雄ゼロにより殺害された」
糸に絡め捕られた青年の真の名にスザクは目を見開いた。
「英雄? ゼロ?」
「そうだったな、貴様はまだ何も知らなかったな」