輪る双子
「渡瀬!!」
咄嗟に口を突いて出た名前に、桃紅色の瞳が振り返る。
一瞬何事かと瞳を丸くさせた後、やんわりと微笑んだ。
それは俺が来る事を待ち望んでいた笑顔。
言い様のない怒りに震え、その勢いで胸倉に掴みかかった。
「晶馬は何処だ!?」
そうだ、晶馬。弱虫で、馬鹿で、お人好しで、純真で、綺麗で、俺の大切な片割れ。
朝目覚めれば、台所に見つけられる弟の背中。
横から弁当のおかずを摘み食いすれば、その手をぴしゃりと叩く掌。
今食べた分兄貴のお弁当から抜くからね、と膨らませるマシュマロみたいな頬。
怒るなよ、って撫でつける柔らかい蒼の髪。
そんな事したって騙されないよと言わんばかりに睨みつける大きな瞳。
誤魔化す様に抱き寄せる、自分より幾分か華奢な身体。
最後は諦める様に向ける、温かい笑顔。
高倉晶馬、情けない俺をいつも優しく包み込んでくれた大事な存在。
「おや?どうしてその名前を知っているのかな?」
「惚けんな!!早く、早く晶馬に会わせろ!!」
どん、と力任せに壁に追い遣っても、その鉄壁の笑顔が崩れる事はなかった。
そっと手に触れられ、いとも簡単に俺の腕を解く。
魔法に掛けられたみたいに、俺はそれ以上は何もすることが出来なかった。
「高倉晶馬くん、君の大事な大事な弟さんだよね?」
「ああ、だから、返してもらう」
「切り替えられた運命の中で思い出す事が出来た、と言う事は、余程君の中で大きな存在だったんだね」
陶酔しきった瞳がすっと細められる。
「何をッ…いいから早く晶馬を…!」
「手遅れだよ。彼は自分の未来を対価に運命を乗り換えたんだからね」
だからここには居ないよ。残念だったね。
そう紡がれる温厚な音が、スローモーションで再生される。
どういう事だ、分からない、分かりたくない。
「そんな、事、」
「出来るはずがないって?そうだね、彼の力だけでは不可能だったかもしれないけど、僕が少しだけ手を添えれば可能なんだよ」
「お前が晶馬をけしかけたのか…!?」
「人聞きが悪い。彼がそれを望んだんだよ」
「どうして、だよ…何でアイツが…!」
思い切り壁に叩き付けた拳が悲鳴を上げる。
みしっと骨の軋む音が俺を責め立てた。
「在るべき幸せも、これから繋がれる筈の掌も、全てを失くしてもただ一つの大切な存在を守りたかったんじゃないかな」
「大切、な…?」
「そう。溺愛する妹でも、心を揺さぶった少女でもない。君が幸せになれる世界、それをあの子は己を犠牲にしてまで手に入れようとした。あるいは、半身である君に与えられる痛みをその身をもって感じていたからこそ、耐えられなくなったのかもしれないけどね。いずれにせよ、君の為にあの子がその身を捧げた事に変わりは無いんだよ」
どうだい、シビれるだろう?と頬をするりと撫でられる。
嫌悪感に鳥肌が立つ。
そんな事、誰が望んだ。
俺は、あんな虚像の団欒なんか要らない。
父親がいて、母親がいて、妹がいて、皆が笑い合っていても、大事な一欠片が存在しない未来など無意味に等しいのだ。
晶馬が居たからこそ、俺はこの手を穢す事も厭わなかったのに。
晶馬が居たから、おかえり、って笑顔で支えてくれる存在が傍にあったから、ここまで走って来れたのに。
お前は唯一無二の共犯者だったんだ。一人では躊躇してしまう暗闇も、お前が居たから怖くなかったのに。
それに、守りたかったのは陽毬だけじゃない。晶馬、お前だって充分俺の守るべき存在だったんだ。
そのお前が消えた今、俺がここに存在する理由はもう、無い。