Love of eternity
3.
あれから噂のせいで多少不快な思いをすることはあったけれども、それでも穏やかに時間は過ぎていった。外の世界と隔絶された聖域はこんなにも穏やかで平和だったのだと今更ながら驚くほどに。
守られた小さな世界の中で人を傷つけることもなく、ただ安穏と平和に暮らす―――それは望んでいたことのはずなのだが、不思議なことにいざその中に放り出されてみると、漠然とした不安に襲われた。
このまま、無駄に時間を過ごしていいものだろうかと。この平和の時は誰かしらの犠牲によって成り立っているのではないかと。
思考する力さえも奪われるほど疲弊した精神と身体を休息する時間は皮肉なことにシャカによって与えられた。ならば、逆にシャカはどうなのだろうか?
本来、俺が担うべく役割を一手に引き受けているのだとしたら、あいつは…?
「いや、まさかな…他にもメンバーはいるし」
教皇もシャカ一人に何でもかんでもやらせるわけはないだろうと思い直す。黄金聖闘士は他にもいるのだから、と。それに元々はあいつが言い出したこと。心配する必要などまったくないはずだし、挫折など知らないだろう彼に多少の試練があってもいいのではないかと意地の悪い考えも浮かんだ。
けれども。
やはり心配し、不安を拭えない自分がいた。
「ばかばかしい……」
打ち消すように髪を掻き毟ったあと、気分転換に気に入りの場所へと出かけることにした。久しぶりに訪れるなと思う。聖域より少し外れたところにある崩れた大理石に草花が覆う人気のない、隠された小さな神殿。たとえ謀叛人であろうと血肉を分けた尊敬する兄が教えてくれた思い出の場所だ。
忙しくてなかなか行く暇がなかったのもあるが、そこは自分にとって、とても神聖でかけがえのない場所だから、荒んだ心のまま向かい、その場所を穢したくはなかったというのもある。
久方ぶりに訪れたそこは、柔らかな光のカーテンに包まれていた。緑覆う季節ではなく、崩れた大理石が寂しげに横たわっていたが、それでも優しい空気に充たされていた。
音もなく過ぎていく時の流れに逆らうこともなく、静かに佇む石たちが織り成す風景。自然の中にあって本来異質であるべきはずの人工的な造形物が見事に溶け込んでいる。それらすべてが自然そのもののように。
―――だから、素晴らしいんだよ
崩れた大理石の柱を椅子代わりに座り、懐かしい笑顔を俺に向ける兄の姿さえも目に浮かぶ。それとともに、柔らかに振る光の中で本来あるべき何者かの姿が足りない気がした。
「なんだろう…」
そこにあったはずの思い出のひとつだろうか。柔らかな光のようにも感じながら、はっきりとしない。欠落している記憶を必死になって思い出そうとするが、うまくいかなかった。もやもやとした気分になる。
「健忘症か?俺は」
苦笑したそのとき、がさりと茂みから音がした。
一瞬どきりとしたが、ひょっこりと猫が姿を現したので安堵する。逆に猫は俺に気付くと前足を片方だけ地面に着地させるのを忘れたように固まっていた。顔だけはじっとこちらを見つめて。
どうやら縄張りを荒らしたらしい俺を警戒しているようだった。
「こっちに来いよ」
手をそっと前に突き出して、微動だにしない猫を呼ぶ。腰を屈めながら指先を動かし、関心を引こうとしたが、かえって驚かせたらしく、クルリと方向転換した猫は猛ダッシュで出てきた場所へと逃げ込んだ。
「ふられたか」
フッと口端を緩め、伸ばしていた掌を見た。次には不思議な感覚に包まれ、一瞬眩暈さえも起こしかけた。
「な…んだ、これ…既視感?」
同じような光景が一瞬、頭の中を掠めた気がした。この場所で俺は誰かに手を伸ばした……いや…違う。誰かが俺に向かって手を伸ばした。今しがた俺がしたように誰かが『こっちに来いよ』と俺を呼んだ。呼ばれた俺は嬉しかった…けれども、一歩が踏み出せなくて、踏み出す勇気がなくて俺は……。
「泣いたような…気がする」
だが、それも実のところは曖昧で、夢だったのかもしれない。でも、本当にあったことのように感じる。どちらなのか俺には判断がつかなかった。
迷い込んだ迷宮の出口がくるくると場所を変えて、嘲笑うように俺を惑わし続けているような気がした。ぼんやりとそんなことを思っていたその時だった。
作品名:Love of eternity 作家名:千珠