奥村雪男の愛情
でも、シュラさんはいなくなった。
事前に別れを知らされることなく、それどころか僕のおごり一回分を残して、シュラさんはいなくなった。
シュラさんが正十字騎士團のヴァチカン本部に行ったらしいと僕が知ったのは、しばらく経ってからのことだ。
あのころは、もちろんまだ南十字男子修道院にいた。
夜中に僕は喉が渇いて食堂に行った。
かなり夜遅い時間だから修道院内はほとんどの電気が切られていて、暗く静かな廊下を歩いていたのだが、食堂から灯りがもれていた。
だれかが食堂にいるのだ。
僕は食堂に入った。
中には、神父さんがいた。
「なんだ、雪男、まだ起きてたのか」
神父さんはいつもは数人で囲んでいるテーブルにぽつんとひとりで座っていた。
テーブルの上には酒瓶とぐい呑みが置いてあった。
そして、神父さんの顔は赤かった。かなりお酒を呑んだ様子だった。
僕は神父さんのほうに近づいていった。
「……なぁ、雪男」
神父さんは声音を少し落として告げた。
「シュラはヴァチカン本部に行ったぞ」
久しぶりに聞いたその名前に、そのとき、僕の胸の中で心臓が一度強く打った。動揺が顔に出ないようにしたつもりだったけど、成功していたかどうかわからない。
シュラさんがまったく姿を見せなくなってから時がすぎていたので、どこか遠くに行ったのかもしれないとは薄々だが察していた。
それが神父さんの台詞で確定した。
さらに、神父さんは衝撃的なことを言った。
「俺がアイツを突き放したんだ」
僕は驚いた。どういうことなんだろう。想像もできなかった。
シュラさんは神父さんを強く信頼していた。そんなシュラさんを、なぜ、神父さんは突き放したのか。
わからなくて、僕は黙ったまま、神父さんが説明してくれるのを待った。
「……アイツは俺のそばにいると上に行こうとしない。もちろん、アイツも、それなりに努力はしてる。そうしなきゃならねぇ事情をアイツは抱えてるからな。だが、俺のそばにいれば、そこに留まれるだけの努力しかしねぇんだ。いや、むしろ必要以上に努力するのを避けてるようにさえ見えた」
それを聞いて、僕は思い出した。
神父さんはシュラさんに祓魔師の認定試験に本気で取り組むよう勧めていた。
でも、シュラさんは祓魔師になる気はない、このまま祓魔塾にいれば喰うには困らないのだからと拒否したのだった。
あのとき、僕は神父さんとシュラさんの会話を隣で聞きながら、腹をたてていた。
実力があるくせにシュラさんは真面目にしない、真面目にやっている人がバカみたいだって憤っていた。
だけど。
食堂で神父さんの話を聞いて、シュラさんが真面目にしなかったことについての印象が僕の中で少し変わった気がした。
どんなふうに、と説明できるほど明確なものではなかったけれど。
僕は黙って神父さんのそばに立っていた。
すると、神父さんはテーブルの上に置いていた手をあげた。
「すまねぇな、雪男」
神父さんはその手を僕のほうへ近づけてきた。
「おまえの友達を遠くに行かせて、寂しい想いをさせることになっちまった」
そう少し陰のある表情で言うと、神父さんは僕の頭を優しくなでた。
「……僕とあの人は友達じゃない」
僕の口から、やっと言葉が出てきた。
「だから、寂しくなんかないよ」
「……そーか」
神父さんは笑った。でも、やっぱり陰のある笑顔だった。
本当に僕は寂しくなんかなかった。
ただ、たとえば僕が正十字学園の祓魔塾のトレーニングルームにいるとき、ふと、やってくるような気がして、だけど、もう日本にいないんだと思い出して、あらわれるわけがないんだと思って、妙な気がするだけだ。
そう僕は思っていた。