奥村雪男の愛情
シュラさんがいなくなってから年単位で時が流れ、僕は努力が実って祓魔師になった。
ちょうどそのころ知り合った女の子に、僕は心惹かれた。
しえみさんだ。
祓魔用品店フツマ屋に神父さんにつれられて挨拶に行った際、店の女将の一人娘である彼女と初めて会った。
僕は祓魔師になったばかりでガチガチに緊張していた。
そんな僕に、しえみさんは四つ葉のクローバーを渡してくれた。
魔除けだと言って。
思い出すと、心が温かくなる。
人見知りだけれど、純粋で、優しい、可愛い女の子。
僕の中に、彼女に対する特別な感情が生まれた。
やがて僕は中一級祓魔師となり、正十字学園高等部に進学し、祓魔塾の悪魔薬学の講師となった。
兄さんも正十字学園高等部に入学し、同時に祓魔塾の訓練生となった。
さらに、しえみさんも祓魔塾に入塾した。
しえみさんが祓魔塾の塾生となったとき、僕は彼女と一緒にいられる時間が増えるから嬉しかったし、でも、塾にいて認定試験に合格すれば危険が増すのが心配でもあった。
そのとき、僕はまだ知らなかった。
僕はそのときすでにシュラさんと再会していたのだ。
兄さんやしえみさんと同級生の、山田、という名の生徒。
いつも男物のパーカーのフードを深く被っていて、顔がよくわからなかった。
それがシュラさんだった。
もちろん、シュラさんが祓魔塾で訓練生からやり直すわけがない。
上一級祓魔師となっていたシュラさんは、上級監察官としてヴァチカン本部から派遣されて日本支部の祓魔塾に潜入していたのだった。
正十字学園遊園地での任務中に、兄さんが地の王アマイモンに襲撃されたとき、シュラさんが兄さんを助けた。
僕が駆けつけると、まだフードを深く被っていたシュラさんは言った。
「遅ぇぞ、雪男。おまえが遅いからこっちが動くハメになっただろーが」
名前を呼ぶその声を聞いて、それまで山田君としてしか認識してなかったのに、やっと記憶にあるものとカチッと合った。
「……! ま……まさか」
思わず、僕はつぶやいていた。
「ひさしぶりだな」
そう言うと、シュラさんは地味なパーカーを脱いだ。
昔とあまり変わらない派手な容姿があらわれた。
僕は本当にびっくりした。
それからシュラさんは祓魔塾の生徒ではなく先生になった。
でも、シュラさんは先生らしくなかった。
まず服装が眼のやり場に困るような露出度の高いものだったし、教卓に座ったりした。
林間合宿では、訓練生から候補生になった兄さんたちを引率する立場でありながら、シュラさんは夕食中に缶ビールを飲み始め、僕が生徒たちに訓練内容を説明し始めたころには酔っぱらっていて、生徒たちが訓練のために森の中に出かけてもどってくるのを待つあいだに寝てしまった。
そんなふうにシュラさんは昔と同じで、自由気ままに振る舞った。
僕はつい調子を崩されて、生徒たちのまえで怒鳴ってしまったことがある。
どうしてだかわからないが、シュラさんといると素の自分が出てしまいやすくなるのだ。
そういえば、ひさしぶりに正十字学園の祓魔塾のトレーニングルームでシュラさんと勝負をした。
もちろん勝負をもちかけてきたのはシュラさんで、昔と同じように負けたほうが一食おごるというものだった。
僕は断った。
だけど、結局、僕はその勝負を受けた。
「ただし僕が勝ったら、ビビリメガネと呼ぶのをやめてもらう」
そう僕はシュラさんに告げた。
シュラさんは余裕たっぷりに笑った。
「わかった。勝てたらな、ビビリ」
「……僕が五年まえと同じだと思ったら、大間違いですよ」
僕はシュラさんに笑顔を返した。
あのころと今の自分は違う。
背の高さはシュラさんを追い越していた。
だからといって、シュラさんより強くなった自信があるわけじゃなかった。僕は中一級でシュラさんは上一級だ。その階級差が実力を物語っている。
でも、昔よりは強くなっている。
同じ祓魔師として肩を並べている。
僕が強くなったことをシュラさんに見せたかった。認めさせたかった。
そして、訓練マシン相手に戦いながら、兄さんについて話をした。
そのうち僕は激してしまい、顔にも声にも感情を出してしまった。
直後、シュラさんは話を変えて、良い祓魔師の条件を聞いてきた。
それから、僕がいかにも悪魔落ちしそうなタイプだと告げた。
どういう意味なのか、僕は聞いた。
すると、シュラさんは答えた。
「アタシからすれば、燐よりおまえのほうがよっぽど心配だって話だよ」
それを聞いて、僕は少しむっとした。
だから、シュラさんが正直なところを聞かせろと言ってきたとき、僕はこう答えた。
「じゃあ、正直なとこ、僕はあなたが昔から嫌いです」
シュラさんは笑った。
「いいね、いいね、その調子……!」
そう言いながら、シュラさんは自分に飛んできた球を僕のほうに打った。
反則だと非難する僕に対して、そんなルールはないとシュラさんは軽やかにかわした。
その勝負は、なぜか兄さんの青い炎が僕とシュラさんを襲ってきたことで、決着がつかないまま終わった。
僕はなにもわかってなかった。
わかってないことに気づいてなかった。
秋が深まってきたころ、正十字学園の最上部にあるヨハン・ファウスト邸でフェレス卿と話していたときにシュラさんの名前が出た。
フェレス卿は上級監察官であるシュラさんとうまくやってほしいと言った。
でも、僕は。
「僕はあの人が苦手です」
口がいつのまにか動いていた。
「あの人は脳天気で、物事を深く考えずに、自分勝手に行動します」
そんなことを言ったのは、様々な厄介事が次から次へと降りかかってきて疲れていてイラだっていたからだろう。
「……そうですか」
フェレス卿はなにかを考えているような表情になり、眼を伏せた。
少しして、彼は机の引き出しから紙を取りだした。
写真だった。
その写真を僕のほうに差しだした。
見ろということなのだろうと思い、僕は写真を受け取った。
そして、写真を見た。
そこに写っていたのは、十歳ぐらいの女の子だった。
表情のない暗い眼をした女の子だった。
「その写真の少女がだれか、わかりますか?」
フェレス卿が問いかけてきた。
この女の子がだれか。
僕は、すぐにわかった。
たしかに今の姿とは異なる。だけど、面影があった。
表情はまったく違う。こんな表情をしている彼女を僕は見たことがない。
でも。
これは、間違いなく。
「霧隠先生ですよ」
僕の返答を待たずに、フェレス卿が告げた。