奥村雪男の愛情
「……その写真を撮ったのは、藤本神父が彼女をこの学園につれてきたときです」
フェレス卿の声は淡々としていた。
「詳しいことは本人から聞くべきでしょう。だから、ぼんやりとしたことを言いますが、霧隠先生はだれからも愛情をそそがれることなく、ただ生きるために戦い続けていたそうです」
だから、顔には表情が無く、眼がこんなに暗い。
僕は強い衝撃を受けて、言葉が、声が、出なくなっていた。
「そんな過酷な状況にいた霧隠先生を、藤本神父が救い出したんです」
シュラさんは神父さんを信頼していた。神父さんが亡くなった今も、それは変わっていないだろう、きっと。
「奥村先生、あなたはさっき霧隠先生が自分勝手だと言いました。ですが、それはどうでしょうね」
フェレス卿は穏やかな眼を向けて、僕に言った。
「藤本神父がヴァチカン本部に行って、燐君に魔剣の扱い方を教えてやってほしいと頼んだとき、霧隠先生は断ったそうです。そのときはまだ、燐君がサタンの青い炎を継いだことを知らなかったからでしょう。素人の子供に魔剣を持たせるなんて正気の沙汰じゃないと霧隠先生は言ったそうですよ」
神父さんがシュラさんに剣を兄さんに教えてほしいと頼んだらしいのは、シュラさん本人から聞いて知っていた。
でも、シュラさんがどんなふうに断ったのかまでは知らなかった。
「素人の子供に魔剣を持たせるなんて正気の沙汰じゃない……! では、霧隠先生はどうだったんでしょう。魔剣を持ち、あれだけ魔剣を扱える霧隠先生は、どれぐらい正気の沙汰じゃないことを経験してきたんでしょう。でも、霧隠先生は自分のことはどこかに置き去りにしてしまっている。自分のことは置き去りにして、他人のことを心配しているんです」
僕はなにも言えなかった。
なにも言えるわけがなかった。
そんな僕に、フェレス卿は優雅な動作で手を差しだしてきた。
「奥村先生、写真を返していただいてもいいでしょうか?」
「……はい」
僕は声をどうにか出して返事をすると、写真をフェレス卿に渡した。
フェレス卿はその写真を机の引き出しに仕舞った。
そして。
「話は以上です」
いつものように明るい声で告げた。
だから、僕はフェレス卿に向かって頭を下げた。
「それでは、失礼します」
そう挨拶をしてから、部屋を出た。
僕は廊下を歩いた。
歩く足はいつのまにか速くなっていた。
落ち着かない気分だった。
頭にいろんなことが浮かんできた。今はなにも考えずにおこうと思っても、襲いかかってくるような強さで、いろんなことが僕の頭のなかにあらわれた。
さっき見た写真。
僕の知らない、昔のシュラさん。
それを見て感じたのは、孤独。
シュラさんはだれからも愛情をそそがれず、ただ生きるために戦い続けてきた。
そうフェレス卿は言っていた。
そんなシュラさんを神父さんが救い出したともフェレス卿は言った。
でも、そんなシュラさんを神父さんは突き放したのだ。
きっと苦渋の決断だったに違いないけれど……!
シュラさんはトレーニングルームで落ちこんでいた小学生の僕に明るく声をかけてきた。
いつもヘラヘラしていた。
そのことに僕は腹をたてたりもした。
……でも、シュラさんがそんな感じだったから、僕は楽だった。
今もそうだ。
シュラさんがあっさりと受け止めてくれるから、僕は素直な感情を出すことができた。
ああ、だけど。
僕は昔からあなたが嫌いです。
そう僕はシュラさんに言った。言ってしまった。
僕はなにもわかってなかった。
わかってないことに気づいてなかった。
そのことにやっと気づいて、その事実に打ちのめされた。
ヨハン・ファウスト邸から出てても歩く勢いは落ちず、やがて、僕は塔から橋へ出た。
二段の回廊の天辺にある橋だ。
まだ日は暮れていなかったが、強い風が吹いていた。
だれもいないだろうと思っていた。そこでなら心を落ち着かせることができるだろうと思っていた。
でも、その予想は外れた。
橋の上には、ひとり、先客がいた。
しかも、それは、シュラさんだった。