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Hepatica

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7.

 激しい感情の渦。
 怒りなのか哀しみなのか、悔しさなのか……もう、その正体の中心が何なのかさえ、ムウにはわからなかった。ただ気付けば、涙が後から後から零れ落ちて、ひどい有様だということだけはわかっていた。
 思う以上にシャカに対して多くの期待を抱いていたこと、そして自分はシャカから必要とされているのだと勘違いしていた。
 ―――いいや、違う。もっと簡単な言葉がある。

「私は……シャカのことが好きだった」

 聖域を去ったあともシャカとの繋がりだけは持っていたくて、彼から拝借して持ち帰ったカップをシャカに見立てたことも、突然の来訪に驚きながら招き入れたのも、いつしか、何時訪れるともわからないシャカの来訪を心待ちにするようになったのも、すべてシャカが好きだったから。
 ただの友人の一人のハズだったシャカ。
 大切な友人にしてはならぬ行為に及んで、罪悪感が沸いた。その反面どうしようもないほどの堪え難い衝動に支配されそうになって、身も心も震えた。

「でも、もう遅い」

 木っ端微塵に砕かれたのだ。シャカの一言によって。
 こんな風にダメージを受けるほどの事態になってようやく思う。もしかして、シャカは聖域の思惑によって私を貶めたのではないのだろうかと。
 シャカとの再会もシャカに抱いた思いすら、実は仕組まれたものではないのだろうかと。そんなはずはないと否定しながらも、そうではないと言い切れないでいる自分がいた。
 沸々と黒い物がムウの奥底で生まれようとしている。
 
 ―――今度こそ、誰も信じてはいけない。一族以外は。
 
 前々から考えてはいたが、躊躇していたことをようやくムウは実行しようと決意し、ムウは人知れずジャミールの闇へと消えていった。
 
 
 
 
 ムウの一族は今もなお、チベットの奥深くでひっそりと静かに暮らしていた。彼らに問い質せば、ムウ自身の血縁者もわかったかもしれない。けれども今更、顔も知らぬ、ぬくもりも知らぬ家族と会ったところで、何も得られるものはないだろうと、唇を固く引き結んだ。
 一族の居住区へと緊張しながら足を踏み入れた。
 突如訪れたムウに対して、思いのほか警戒されることもなく、招き入れられる。前もって連絡していたこともあるが、特有の印が何よりの身の証となったのだろう。
 族長の住まう屋敷に通された後も長い間待たされていたが、この小さな集落の長の屋敷から見える景色を見ながら、止め処なく浮かんでは消える思考に耽っていた。
 どれだけ時が過ぎただろう。
 ようやく小さな集落を束ねる、年を召した長が背を丸めながらムウの元へと戻って来た。姿勢を正し、面と向かう。
 長だけではなく、その傍らにはもう一人いた。一体自分の身に何が起こるのか不安で堪らないといった表情を浮かべた幼い少年だった。うっすらとムウが笑みを浮かべると少し引き攣りながらも、笑みを返した。
 「さて」と長は前置きした上で、少年を前へ突き出す。はにかむように下を向いて、もじもじと所在無さげに小さな指を弄んでいた。

「―――この子供じゃよ、シオン殿から頼まれていたのは。おまえのことも、ちゃんと言い聞かせておる。この子は、ほんに念力に長けておってな。生活全般のことはできるよう仕込まれておるから、不便はないはずじゃが。さぁ、貴鬼よ。彼がムウじゃ。ちゃあ〜んと彼の言う事を良く聞いて、師事するように」

 すると今まで不安そうに揺れていた瞳が一瞬にしてぱぁっと輝き始めた。

「あなたがムウ様!?やっとおいらを迎えにきてくれたんだね?」

 飛びつかんばかりの勢いに苦笑しながら、「よろしくお願いしますね」と返すと恥ずかしげに貴鬼と呼ばれた少年は「お願いします」と繰り返した。

 『いつか』の時のための『スペア』
 
 シオンの時のムウであったように、ムウは今後のことを考え、迎え入れる事にした。それは暗い覚悟のような気持ちであったけれども、一緒に暮らし始めてみると貴鬼の屈託ない明るさに随分と救われた。
 貴鬼との暮らしはシャカとの間に負った深い傷の痛みを忘れさせてくれるものだった。


作品名:Hepatica 作家名:千珠