Hepatica
10.
ふらふらと足下が覚束無い状態で、ただ小さな明かりだけを頼りに歩いた。やっと辿り着いた扉に手を掛け、開ける。中から、一瞬だけ不思議そうな顔をして、見る間に顔をくしゃりと歪めた貴鬼の姿が目に飛び込んで来た。
ほっとした安心感からか、その場でくにゃりと力が抜け、膝立ちの状態になる。慌てて駆け寄ってきた貴鬼。
「どうしたのですか、ムウ様……どこか、怪我でも!?」
不安に駆られて泣き出しそうな貴鬼。悲しげに揺れる瞳。
―――可哀想に、可哀想に。
手を伸ばし、少しずつ成長した身体をぎゅうと抱き締める。
―――震えているね、可哀想に。可哀想に。
「ムウ様……どこが痛いの?どこが苦しいの?ねぇ、ムウ様……どうして泣いているの?」
ああ、震えていたのは私だったのか。
悲しいのは私なのか。
可哀想なのは私だったのか。
嗚咽が漏れ出る。どうしようもない、止める事などできない。
「貴鬼……」
小さなぬくもりに縋る。このぬくもりだけが、今の激しい痛みを緩和させてくれる。引き摺り込むような恐怖の搦め手から、かろうじて逃れる事ができた。
貴鬼に添い寝されるようにして浅い眠りについたあと、まだ闇深い時間にムウは目を覚ました。隣ですうすうと心地よい寝息を立てる貴鬼を起こさないように注意しながら、寝所から這い出る。
ひどい頭痛に顔を顰め、洗面所へと向かう。蛇口を捻ると勢いよく飛び出した水。両手で受け止め、腫れぼったい顔をその中に浸した。
ばしゃばしゃと幾度か乱暴に叩き付けたあと、木綿の布で拭き取る。顔の周りにかかる髪は拭き損なってぽとりぽとりと小さな滴を落としていたが、ムウはどうでもよかった。
少しばかりクリアになったけれども、それでもまだ重い鉛が身体全体を覆っているかのような錯覚に囚われ、ムウはずるずると壁に凭れながらそのまま座り込んだ。剥き出しの石床が這い上がるように冷たさを伝えて来る。
―――嫌です。出来ません!私には
シャカの願いを到底聞き入れることなど出来なかった。駄々っ子のように耳を塞ぎ、目を閉じ、首を振って激しく、拒絶した。共に闘って欲しいといわれれば、二つ返事で承知しただろうに。
なぜシャカがあのような惨い願いを託すのか理解に苦しんだ。
シャカは信頼しているからと言ったが、ムウは逆に疑うばかりで混乱した。ほとんど逃げるようにして、あの静謐の花園から飛び出した。興奮状態で貴鬼の元へと戻ったが、一眠りしたおかげだろうか。少しだけ、心は落ち着いた。
飛び出す直前のシャカの顔を思い浮かべて、じくりと胸が痛くなる。あんなに悲しそうな表情を浮かべたシャカを見たのは初めてだった。
「シャカ……」
今もまだあの花園にシャカは一人、いるのだろうか。気になって意識を集中し、シャカの小宇宙を辿るが、聖域のどこにもその存在が掴めなかった。もしかしたら、花園自体が異空間のようなもので、小宇宙が遮断されているのかもしれない。ムウは深い溜め息とついたのち、ゆっくりと立ち上がった。