Disparition ~ 消えた歌姫
ボーカロイドには戦闘機能などと言う物騒なものはもちろん装備されていない。危険を回避するために通常のボカロでは考えられない負荷が体にかかっているのは事実である。
「タイヨーが守ってくれるダロ?」無邪気に笑うボカロ少女だが、
「あのな。俺だって普通の人なの。ボディーガードや銃撃戦の訓練積んでるわけじゃないんだよ」ごもっともだ。
それでも太陽が体を張ってリルを守るのは、熱血故の正義感と、リルに感情を教え込んだ責任を感じているからである。もっとも、それ自体は間違っているとも思っていないし、後悔もしてないが。
歌って踊って戦うおとぼけボーカロイドと熱血マネージャーの運命やいかに?
「お?タイヨー、あれ博士じゃないカ?」
研究棟に近づけば入口に人影が見える。一人は白衣の中年男性、もう一人はコート姿の、白衣の男性よりは少し若い男性。
「オーイ!はか…ふごぐムム」リルが叫ぼうとしたところで太陽が反射的に口を塞ぐ。狙われるようになってからこういう行動は素早くなった。
手足をバタバタさせるリルを抱えて物陰に隠れて様子をうかがう。しばらくして、コートの男性は白衣の男性にお辞儀をして去って行った。
「…あれは…」
「タイヨー、いつまでこーしてればいいんダ?」
「え?あぁ、もう大丈夫だ。ごめんな」
コート姿が完全に見えなくなったところでリルを解放する。
「いつもの連中だったのカ?」リルが不安そうに聞けば、
「いや、違う。違うんだけど、さっきのはたぶん…いや、でもまさかな。こんなところにいるわけないし」最後の方は独り言になっている。
少しばかり思案に暮れていると、気がつけばリルはすでに博士のところへと駆け寄っていた。慌てて後を追えば、二人に気がついた博士が入口で二人を迎える。
「ご苦労さまだね、寺村くん。リル、寺村くんに迷惑かけてないか?」
「博士、リルはいつも良い子にしてるゾ」悪びれもせずににっこりと笑って、ナァ?と太陽に同意を促す。
「お世話になります、博士。…あの、さっき来てたのって…」
リルの声など聞こえて無いかの様に、先ほどのコート姿について尋ねる。
「四ノ宮くんのことかね?彼が何かあったかな?」
博士の答えは、やはり太陽の予想と一致していた。四ノ宮圭一は太陽と同じ事務所の先輩であり、業界きっての敏腕マネージャーだ。彼に任せれば売れないアーティストはいないと言わしめる実力があり、先見の明もある。
事実、4年前にインディーズだったさくらを発掘しその才能を引き出した結果、さくらは業界のトップアイドルとしてボカロ派からも一目置かれる存在となっている。
太陽は腑に落ちない。圭一がこの場にいることは考えられないからだ。
「博士、先輩はここで何を…?」いつになく真剣な声で聞けば、立ち話もなんだからと博士は二人を研究室へと招き入れた。
リルはいつものように、研究機材を興味津津に覗きこんだり触ってみたり。いつもなら太陽に注意されるところだが、今の太陽はそれどころではないらしい。出されたお茶に口も付けずに矢継ぎ早に博士に問う。
「先輩はここで何をしてたんです?どうして先輩がここにいたんです?いったい何があったんですか、博士!?」
半分パニック状態の太陽にリルも少々驚いている。
「四ノ宮くんがここにいたことがそんなに意外かい?」ニコニコと微笑みながらうまそうに太陽の持ってきたお茶菓子を頬張り、こちらは緊張感の欠片も無い。
「そりゃそうですよっ!だって『あの』先輩が『こんな場所』にいるなんてっ!」
「寺村くん、『こんな場所』は失礼だよー」あははーなどと呑気に笑うと、太陽があ…という顔で口を押さえる。リルまで博士と一緒にあははーと笑う始末だ。
なるほど。リルを作ったのがこの博士なら、ノーテンキの原因は太陽だけでは無いのかも知れない。
はぁ、と溜息をついて諦めた様子で座り、お茶をすすったところで、やっと博士は微笑みながらも本題に入る。
「どうして寺村くんは、四ノ宮くんがここにいるのはおかしいと思うんだい?」
「それは…だってそうじゃないですか。四ノ宮先輩はボカロが『嫌い』なんですから」後半はリルに聞こえないように小声になる。
太陽は圭一を尊敬はしているが、こと、ボカロに関しては意見が一致しない。
ボーカロイドにも感情が必要だ、感情を学ぶことで音楽表現が多彩になるからだと唱える太陽に対して、「機械が人間の感情を理解するのは無理だ」「表向きできていてもそれはプログラミングされた処理に過ぎん」と圭一は否定的だ。
なぜそこまで圭一がボカロの感情を否定するのかは分らないが、これまでに幾度も二人は同じ議論を繰り返し、平行線のまま決着していないのだ。
圭一がボカロに対して否定的なのは業界内でも有名な話になっている。ボカロ推進派のベテランプロデューサーですら、圭一の前ではボカロの話を避けるくらいなのだ。
本人が理由を話さないがために、噂は噂を呼び、大きな尾ひれが付いて「四ノ宮の家族はボカロに殺されたんだ」などと突拍子もないことを言い始める輩までいる。無論、ボーカロイドに殺傷能力が無いのは周知の事実だ。
当の圭一は、そんな周囲の野暮な憶測などどこ吹く風といった感じなのだが。
「ボカロが嫌いだなんて、四ノ宮くんがそう言ったのかい?」
「いえ、直接聞いたわけでは…。でもそうじゃなかったら、なんであんなに否定するのか説明つかないじゃないですか」
尊敬をしているだけに理解してもらえないもどかしさで、太陽はいつも議論の後は悲しくなるのだ。
「悲しい顔するなヨ、タイヨー」心配そうにリルが言う。
「そうダっ!リルがケーイチとの間を取り持ってやるヨ!」と、言い終わるが早いか
「いや、それだけはノーサンキューです」きっぱりすっぱりはっきりとお断りする。
リルが間に入ったら治まるものも治まらなくなる。ましてや相手は『ボカロ嫌い』の圭一なのだ。
「二人はほんとに仲がいいねぇ」微笑ましげに二人を見る博士に、一人はぶんぶんと嬉しそうに首を縦に振り、もう一人は困り顔でふるふると首を横に振る。
「…四ノ宮くんもね、昔は君たちみたいに笑顔の絶えないコンビだったんだよ…」
懐かしむように目を瞑る博士の言葉に意外そうに太陽が問いかける。
「先輩が?笑顔?まさか…え、コンビって、さくらとですか?」周りからもそんな話は聞いたことが無い。
「いやいや、さくらちゃんと出会う、もっと、ずっと前の話さ…」
自分たちが知らない圭一の過去に、メンテなどそっちのけで、もう聞かずにはいられなかった。
「…四ノ宮くんには止められてるんだが、君たちには知る権利があるだろう…。初音ミクは、知ってるね?」
初音ミク ― 二次元のCG世界から飛び出してきた、世界初の実体型ボーカロイド。知らないものはいない『ボーカロイドの女王』だ。
まだボーカロイドの実体化が今ほど盛んではなかった時代にクリプトン社が世に送り出した究極の『歌姫』。しかしその繁栄は短く、原因不明の事故で音楽界から消えたというのは有名な話だが…。
「もちろん知ってますが…先輩と、初音ミクと、一体なんの関係が…?」
作品名:Disparition ~ 消えた歌姫 作家名:あきのそら