投げられた指輪
その晩、黒髪の女性は何事もなかったかのように、その家にあるもので、もっとも豪勢な料理を作り、テーブルへと並べると白いナフキンで覆った。
客間にあるすべての酒瓶を集め、食べ残した食事をごみ場へ投げた。
少女が残した大量の血も水によって洗い流し、跡形もなくなった。
暖かい湯でシャワーを浴び、頭の上から爪の先までしっかりとあらうと、髪を乾かし、白いサテンのネグリジェを着た。
そして、夫婦の寝室に向かい、昼間干してあった、太陽の香りがするシーツへと取替え、
そこで、休んだ。
朝になり、すごい剣幕の男性に揺さぶられて起こされた。
「シルフィール!
なぜお前がここに!?」
女性はゆっくりと目をあけ、体をベッドから起こした。
「リナはどうしたんだ!?」
男の驚愕の顔に、女性は薄く笑い、
その逞しい胸へと飛び込んだ。
「お会いしたかった!ガウリイ様!」
男性はそんな女性の体を無理やり引き剥がした。
「説明しろ!シルフィール!」
「そんなに、激しくお話になられないでください。
わたくし、びっくりしてしまいましたわ。」
そして、おもむろに、起き上がり、
ベッドの端へと座り、スリッパを履いた。
「リナさんは昨日、わたくしが訪ねてきた後、
なんでもお姉さまに用事があるとかで、
このわたくしにこの家のお留守番を任されて出かけられてしまったのですわ。
くれぐれもガウリイ様をよろしくって、お願いされましたの。
ですから、わたくし、昨日の晩、あなたのために私の自慢の腕を披露しましょうと思って、用意しておいたんです。」
そして、金髪の青年の手を取った。
「嘘をつくな!」
青年はその手を思いっきり振り払った。
「リナが俺に黙って、何処かに出て行くわけがない!!」
そして、白いサテンのネグリジェの女性を寝室に残し、青年は家中を探して歩いた。
女性は長い黒い髪を掻き揚げ、軽く溜め息をつくと立ち上がり、青年の後を追った。
「リナどこだ!どこにいる!?」
「どうして俺を迎えないんだ!?!?」
必死に家の中を探す金髪の青年の少し後ろをその女性はついて回った。
しばらくして、おもむろに女性は口を開けた。
「無駄ですわよ。
リナさんは本当に出かけられてしまったのですわ。」
薄い表情はそのままだった。
「嫌ですわ。
本当のことですわ。
さあ、食堂へ参りましょう。
ガウリイ様のために、スープを温めなおしますわ。」
彼女は青年の腕に手を回した。
その腕に青年は嫌悪感を感じた。
その優しい言葉に、ぞっとして吐き気がする。
「やめてくれ!
俺に触らないでくれ!」
青年は黒髪の女性の両肩を掴んだ。
「シルフィール!俺を見ろ!
本当のことを話してくれ!
どうして、お前は俺たちのベッドで寝ていたんだ!?
お前はリナをどこにやったんだ!?」
一瞬、女性は止まったが、
ふっと、不適な笑みを浮かべると、眉を寄せた。
「ガウリイ様はあの女に会ってから、あの女のことばかり考えている。」
そして、悪鬼のごときの表情で叫んでいた。
「あんな女じゃあなたの人生は利用されるだけになってしまいますわ!
あんな女と一緒に生きていたら、ガウリイ様はいつか魔族に殺されてしまう!!
あなた様はこのわたくしと生きていくほうがいいのです!!
あんな女より、あたくしの方がよっぽどガウリイ様を愛しているのです!!」
やっと青年は女性の心を理解した。
「シルフィール・・・お前まさか!?」
黒髪の女性は静かに、外にある白い井戸を指差した。
「まさか!
リナは!!」
青年は我を忘れて、その井戸に駆け寄った。
「リナ!!」
そして、ロープにしがみつき、井戸の下へと降りようとしている青年に女性は抱きついた。
揉み合いになりなり、青年と少女は庭へと転げた。
「邪魔するな!!」
「無駄ですわ!!」
お互い叫びあった。
「昨日、わたくしは結婚のお祝いにこちらへ参ったのですわ!
手土産にお酒を持って!
それからリナさんは昨日、大層酔っ払ってしまわれまして、水を飲みにいかれたのですわ!
しばらくして、あまりにも遅いので、様子を見に行きましたところ、
もうすでに井戸の中へ落ちてしまっていたんですもの。
わたくしが見たときには、もう動かなくなってしまわれて!
わたくしの力では引き上げること出来ませんでした!
しばらくして、その身体は水の底へと沈んでいったのですわ!」
「もう、昨日の出来事なのです!
手遅れですわ!!」
「それでも!!」
「だから、あなたがリナさんを引き上げても無駄なんですわ!!」
「もし、リナさんを引き上げるというのなら、
わたくし死にます!!」
青年の手を離した黒髪の女性は、客間に飾ってあった、あの青い宝石の入った装飾入りの短剣を自分の首に突きつけている。
「よせ!やめろ!!」
青年はそれを見て、叫んだ。
「わたくしは、ずっとあなたのことを愛し続けてきましたわ!
これからも、そして今からも!
永遠に愛するでしょう!!」
「もし、あなたがリナさんを引き上げるというのなら、わたくしはここで死んだほうがいいのですわ!!」
「もう、もう・・・!やめてくれ!!!」
男性の悲鳴じみた声はが響き渡った。
「あなたを愛しているんです!!」
そう何度も何度も、狂ったように泣き叫び、青年に縋り付いてくる黒髪の女性の左肩に、手を置き、
彼はよろけるようにその場に崩れ落ちた。
これは悪夢なのか!?
そして、青年は反対の震える手で自分の目を覆った。
幸せは脆いガラスのように音を立てて割れていくのを感じた。
青年は思った。
栗色の髪をした少女はおそらく、この狂った女性によって、なんらかの方法で殺されたのだろう。
油断したところを。
きっと自分の愛した少女は、今は暗くて冷たいこの井戸の中にいる。
「ガウリイ様が、他の女と共に生きるのをわたくしは絶対に許さない!許さないわ!」
「愛しています!ガウリイ様!」
青年の鼻を女性独特の甘い匂いがくすぐった。
青年は女の執念を感じ、冷たいものを感じた。
この女性は、今後も自分が他の誰かと結ばれるのを許さないだろう。
そして、何度でも追いかけてきて、自分のいない間に罪もない女性を殺すに違いない。
果ては、この女性も一緒に死ぬか・・・
ああ・・・
俺が悪いのか!
リナ!!
青年は絶望した。
そんな様子を見て、女性はささやくようにつぶやいた。
「リナさんを殺したところを誰も見ていません。」
「ここでは殺人は行われなかった。
何もなかったんです。」
青年は両目から涙を流した。