贈り物
「流石にこんなに早い時間だと誰も居ないな」
脱衣所から風呂場の戸を開けると、洗い場にも、大きな浴槽にも、誰ひとりとして入っている者は居なかった。
「まるで、貸し切り風呂だよな」
「この時間帯に来るのは、よほど温泉が好きな人なのだろう」
「あれ、貴方は知らないのか?温泉に来たら最低4回は入るのが基本だぞ」
アムロは得意気に、到着後、夕食後、就寝前、明朝の4回だと話す。
確かに、それだけ浸かればさぞ気持ちが良い事だろう。間違いなく温泉を最大限に満喫する方法だなと、シャアは甚く感心していた。
「意外だな。君がそんなにも温泉に詳しいとは思わなかった。君は湯船に浸かるよりも、シャワーの方が多いからな」
「フフン♪ 恐れ入ったか!・・・とは言っても、俺も昔、ハヤトに教えて貰ったのさ。カラバにいた頃、何度か温泉に行く機会があってな」
「そうだったのか」
胸を張って話していたアムロは、途端に目を細めて柔らかな笑みを浮かべた。きっと、旧友に想いを馳せているのだろう。
その姿にチクリと胸が痛んだシャアは、思い出の中にいるアムロを自分の傍に引き戻すために、ワザと拗ねた口調で語りかける。
「でも、君だけ行ったとはズルイな。私が地球に降りて来た時には、ハヤト艦長は温泉に連れて行ってくれなかったぞ」
「貴方が地球に降りて来た時は、のんびりできる状態じゃないだろう。それに、温泉があるような場所でもなかったさ」
アムロは肩をすくめながら呆れたようにそう言うと、洗い場の方にさっさと行ってしまった。
クワトロ大尉を名乗っていた頃、地球に降りた場所は北米とアフリカ。
確かに温泉がありそうな場所ではない。しかし、そんな強行軍の中にあっても、アムロと共に過ごせた日々は、今でも鮮やかに思い出せる。どちらの時も、黄金色の光の中にいた君は、とても眩しかった。
シャアはそんな事を思い出しながら、既に身体を洗い始めているアムロの隣に座ると、シャワーのコックをひねる。
「だが、温泉を満喫するためとはいえ、程々にしておかないと、体中がふやけてしまうのではないか?」
「一時間とか、二時間とか。そんなにず〜っと入っている訳じゃないから大丈夫だよ」
アムロは身体をざっと洗って泡を流すと、「お先に」といって大きな湯船に浸かる。
「んん〜っ!気持ちい〜♪」
シャアもアムロ同様、身体の汚れを軽く洗い流すと、腕を伸ばして嬉しそうに笑っているアムロの隣に入って身体を伸ばす。湯の中で自身の肌に触れてみると、温泉独特のぬめりが指先に感じ取れる。つるりとした肌触りが心地好く、その触感を暫し愉しんでいた。
すると、アムロが腕を水面をかくように大きく広げたと思ったら、広い湯船を泳ぎ始めた。
「コラ!何を始めるんだ」
「誰も居ないんだし、いいじゃんか」
スイスイと泳ぎながらも文句を言う事は忘れない。
「だからといって、泳いで良い場所ではないだろう。その辺で止めたまえ」
「ちぇっ、ケチ」
アムロはぷくりと頬を膨らませてその場に立つと、そのまま湯船をザバザバと歩いて行く。
「それじゃあ、今度はこっちに入るかなっと」
大きな湯船の脇にある小さめの湯船には、壁に効能が書かれており、アムロはソレを真面目に読んでいる。
しばらくしてから先程までとは異なり、そうっと湯の中に入った。そのまま、何も話さずに大人しく湯船に浸かっていると、顔だけ振り向いて呼びかけた。
「シャア、こっちに来てみろよ。この風呂、面白いぜ」
呼ばれたシャアは、ゆっくりとアムロの入った浴槽に移動すると、風呂の仕切りから身を乗り出して聞いてみた。
「何が面白いのだね?」
「ホラ、体中に泡がいっぱいくっつくんだよ。それに、触るとぷちぷち弾けて気持ちいいんだ」
湯の中を覗き込むと、アムロの薄い体毛にはびっしりと細かい泡がついていた。アムロが泡の付いた腕を自分の掌でそっと掴むと、微かにパチパチと音を立てながら泡が弾けて湯面に上がってくる。
「ほらな、面白いだろ!?早く貴方も入ってみなよ。熱いのは得意な方じゃないだろ?ここは少しぬるめだから長く入ってられるよ。あっ、ゆっくりと入れよ。泡が逃げちゃうからな」
先程アムロが見ていた看板には『炭酸泉』と書かれていた。
シャアは、アムロに言われた様に炭酸泉の湯船にゆっくりと滑り込み、しばらく動かずに大人しく入っていると、湯の中の皮膚に細かい泡がまとわりついてきた。
「貴方、色が白いから、まるで輝いているみたいだな」
「君だって同じさ、ほら」
湯の中でアムロの腕とシャアの腕が並べられる。
丁度、窓の外から差し込む日の光に照らされ、無数に張り付く泡はまるでシルクの様に輝いていた。
シャアは、無色透明の湯に白く浮かび上がるアムロの肢体を眺めていたら、つい不埒な感情を覗かせる自分自身に気づいて苦笑を浮かべた。
そんな思惟にはすぐに蓋をして、視線をアムロの顔に向けたら、彼の頬が先程よりも少し赤みが増したように見えたのは、湯の温度のせいだろうか?
シャアの手が伸ばされ、アムロの頬に触れようと湯から出た所で
「・・さぁ!次は外の露天風呂に入ろうぜ」
ザバァと、勢いよく立ちあがるアムロの絶妙のタイミング。これは、もしかして?
「外は寒いぞ、もっと温まってから行った方が良いのではないかね?」
「いいんだよ。湯に入っちゃえば寒くないさ」
シャアの方に振り向きもせずそう言い置いて、どんどんと歩いて行く。
チラリと覗く、アムロの耳もほんのり赤く染まっているのに気付いたシャアは、彼に気付かれないようにくすりと笑って
「私はもう少しココを楽しんでから行くよ」
そう言って、もう一度湯の中にある自分の身体を眺めても、思い出すのはアムロの肌。
君の肌の方がとても綺麗だったなと、ガラス越しに見えるアムロの後ろ姿を見つつ、泡を弾けさせてみた。
その後、露天風呂を十分に堪能したアムロは、ご機嫌な様子で売店に直行した。
シャアが「買うのが早すぎるのではないか?」と聞けば、「まだ見るだけ。後で温泉街でも見るからな」と、土産品探しに入念なチェックを怠らないようだ。「特にセイラさんには日頃の感謝も込めないとな」などと真剣な眼差しで物色する。
シヤアはそんなアムロの姿を見て、ちょっと、いや、かなり胸の奥がもやもやとしてきていた。
折角、二人きりで遠い地まで来たというのに、君はすぐに他の者を胸の内に思い浮かべるのだな。
未だ物色を続けるアムロの横で、シャアだけを見つめてくれない、琥珀の瞳を恨めしそうに見つめていた。
* * *