茜空とほうき星
夜中に飛び起きた。
自分がどこにいるのかをすぐに確認して、グラハムは深い溜息をつく。
ここはビリーの家だ。居間のソファであのまま眠ってしまったのだ。記憶をたどって、安心したように肩の力を抜いた。ビリーの姿は見えないから、彼は寝室で眠っているのだろう。ふと、足元に溜まっている毛布に気づき、グラハムはそれを引っ張り上げて肩から被った。
暖かいことは幸せだ。幸せなはずなのに、どうしてこんなにも『何か』が足りない気がするのだろう。
すっかり眠気が引いてしまったグラハムは、徐に立ち上がると窓のそばまで近寄っていった。眠る前に聞いたビリーの話を思い出したのだ。
「流れ星が消えるまでに三回願い事を唱える、か……」
空がほしい、空がほしい、空がほしい。
心の中で唱えてみてから、グラハムは自嘲ぎみに笑う。何をやっているんだろうと思ったら、笑う以外にやれることがなかった。
でも、と窓の外を見上げてみる。
夜空に流星の尾が流れる瞬間を待つ時間は、縮こまってただ朝を待つだけよりは有意義な気がしたのだ。
グラハムはそれ以来、眠れない夜は窓の外を眺めて、流れ星を探すことにしたのだった。
*
あれからグラハムは、何度か流れ星と出会うことがあった。
「あっ」
と、思った瞬間には消えてしまうその刹那に、願い事を唱えるのはなかなか容易ではない。むしろ難問だった。だから最近は、願いを唱えるというよりは、ただ単に探すことを目的としていたのだ。願い事がないから、という理由もあるのだが。
空を飛びたいという子供の頃からの夢は、ありがたいことに叶えることができた。
金銭的な余裕がほしいという切実な願いも、今は仕事に就いているから問題はない。この仕事を辞めさせられるのはとても困るので、グラハムは常に真面目に取り組んで努力もし、その結果エースパイロットの地位まで上り詰めることができた。
お金があれば食べるものにも、着るものにも不自由しないし、だから本当に、他に必要なことが思いつかないのだ。
けれど、いつも何かが足りていない。そしてグラハムは、それをほしいと望んでいる。でも、それが何かはわからない。
モヤモヤとした気持ちが心の中に満ちてきて、無意識のうちに彼の姿を探していた。
「……カタギリ。今日は」
「暇だよ。うちに来るならスーパーにでも寄ってくれないかな? 昨日食べつくして、何にもないんだよね」
用事はあるかと、聞く前にこちらの言いたいことを先読みし、さらに注文までつけてきたビリーに、グラハムは一瞬だけきょとんとしてしまった。
「見事だな」
思わず感心して褒めたのに、ビリーは意外にも苦笑していたので驚いた。
「僕の予定を聞くときはそれ以外にないからね。嬉しいような寂しいような、少し複雑だよ」
「……どういう意味だ?」
「たとえばさぁ、僕がスーパーに寄って、と言った意味ってわかるかい?」
「食べ物がなければ困るからだろう?」
自信たっぷりにそれ以外の何があるのだと、首をかしげながら答えたら、ビリーは難しい顔でこめかみのあたりを押さえていた。
「うーん。まぁ、そのとおりなんだけど……」
机に肘をつき、うつむいて、ビリーはしばらく考え込んでいた。どうしてわからないんだと、その背中が訴えているように見える。
「カタギリ」
「グラハム。今日は一緒にスーパーに買い物へ行って、一緒にご飯を食べて、一緒に眠ろうね」
急に、といってもいいくらいの突然さで、ビリーはニッコリと笑いながらそんなことを言うのだ。
グラハムは言われたことを頭の中で反芻し、最後の台詞には何か引っかかるものを感じつつも、「別に構わない」と返事をしたら、目を丸くした後で苦笑したビリーの、ゆるい笑顔に見つめられたのだった。
定時に仕事を終えた二人は、昼間の約束どおりスーパーへと立ち寄って食料を買い込んでいた。
「君は何を食べたい?」
「私か? カタギリの家のものなのだから、君が食べたいものを買えばいいじゃないか」
という、グラハムの応えに、ビリーはまたしてもガッカリしたような表情と態度を見せていた。グラハムにしてみたら、言葉どおりの意味しかなく、自分の意見やリクエストなど必要ないだろうと思っただけである。
しかし、ビリーはめげなかった。
「じゃあ、言い方を替えよう。君の好きな食べ物はなんだい?」
「……マッシュポテト」
「そう。じゃあ、それを買っていこうね。ついでにジャガイモも買っておこうか」
調理しやすい野菜だから、あれば何かと便利だということを、グラハムも知っている。だから反対する理由はなかった。
そうやって逐一、これは好きかどうかを尋ねられながらビリーの買い物は続いたけれど、グラハムには釈然としない思いが残ったままである。
「私の好き嫌いだけで決めてないか?」
「そんなことはないよ。僕の好物もちゃんと買ってあるし」
それはドーナツだけじゃないかと言いたかったが、たぶん何を言っても返されるだけだと思い、グラハムはそれ以上の追及を諦めた。