リスティア異聞録 4.2章 ライラは生きたいと願った
ユーミルがヴァーミリオン騎士団の存続を勝ちとった日、そしてライラの入団が決まった日、その日からなんの収穫も無く二日ばかりの時間を空費してしまっていたある日のことである。入団希望者が思うように集まらず、ユーミルが憂鬱なゼンマイ仕掛けの玩具のように、深い溜息をついては項垂れるという一連の流れを繰り返しているところへライラが酒瓶を持って戻ってきた。
「仕方無いわよ。気長にやりましょう。下調べもロクにしなかった私みたいなのばかりならばともかく、最近全滅したばかりの名門の騎士団で募集なんかしていても希望が集らないのは当たり前でしょう? どう動いて良いのか分からない時には待つ。休む。動き始めたらどう動くのかを考えながら、ゆっくり待って休む。それが勝ちの鉄則。これ母さんの口癖だったわ」
「耳の痛い話だ。ライラの母さんは凄いんだな…… うちの父さんみたいだ」
ライラは頷きもせず、かといって笑顔も崩さず、ただユーミルへ向けていた視線をゆっくりとそらす。蝋燭の照明がローブの上からでも色香を隠しきれない肢体を照らし出す。そのローブの流れが強調する曲線は、見えるはずのない女の甘い香を可視化するようであった。それは上品でありながら下品でもあり、流れる黒髪と艶っぽいバラ色の唇は優美でありながらも粗野であり、いちいち男の目を引き付ける立ち振る舞いは洗練されながらも野蛮ですらあった。そのプリミティブな魅力の何もかもに似つかわしくないほど圧倒的な聡明さと理性を宿した目。彼女を取り巻く全てがアンビヴァレンスに満ちて現実が霞む。これがヴァーミリオン騎士団の魔女ライラである。
ユーミルは彼女の方を敢えて向かずに続ける。
「勿論、それは理屈では分かっているつもりなんだよ。分かっているのだけれども…… 早く功を立てたい。ヴァーミリオン騎士団はちゃんと生きているのだということを、早く皆に知らしめたい。そんな風に気ばかりが焦ってしまって…… 良くないのは分かっているのだけれど」
この年頃の少年としては妙に達観したようなことを言う。どうにかするには、どうするべきか、ということ。そして、今の自分ではどうすることも出来ないということ。それについて理解している。しかし、それを理解していることを見せたいために口先だけで言っているのではなく、自然と現状を客観視してしまう癖が付いているような口振り。ライラはそういった部分に「可愛くないガキだ」と苦笑しながらも妙に母性を擽られるのであった。
「でも、多分、そこが気に入っているのだ」
と、ライラはこの二人で過ごした短い時間の中で幾度となく思っている。
ライラは手に持った酒瓶とカップをテーブルの上にセッティングしながら、
「せっかくお互い新たな門出なんだし、お祝いしましょう。今日はなんでもない日だけれども、なんでもない日におめでとう! というのも悪くないでしょう?」
ライラは慣れた手付きで酒瓶の栓を抜く。ポンっと小気味の良い音を立てて栓が抜ける。やがて芳しい香気が辺りを満たす。ユーミルは「なんだこのテンションの高い女は……」と、鬱陶しい気分になりながらも、それを顔に出さずにライラの方を向く。
そして、その酒瓶を見た時、
「ちょッ……、このお酒どうしたの?」
と、思わず叫んでしまった。
「どうしたの? って、買ってきたのよ。よく、これが高いお酒なのを知っていたわね。全財産叩いて買ってきたの」
と言いながらライラはニコっと笑う。ユーミルには、その酒がいくらするのかは分からなかったが、先日、兄の叙任が決まった日、父が「とっておきだ」と言って封を切った酒であることを覚えている。安物であるはずがない。ライラが気軽に買える酒であるはずがない。どうしてこんなことを……と、考える間もなくライラはユーミルの向かいの席に座り、ユーミルの杯へ酒をトポトポトポトポと注ぐ。続いて自分の杯へ、トポットポットポッと、注ぐ。そして、一息に自分のグラスを飲み干す。そして、ユーミルを真っ直ぐと見つめながら口を開く。
「聞かせて。バイバイしようとしている昨日までのこと」
ライラの背筋が凍る程に美しい顔が固い笑顔を作る。どこか物憂げな色を含ませている。そして真っ直ぐとユーミルの目を見据える。ユーミルは雰囲気に飲まれそうになるのをグッと堪えながら、少し間を置いて、ゆっくりと口を開く。
「僕には、バイバイしようとしている昨日なんて無いよ。色々有ったけれども。でも、色々についてバイバイする気は無い。その色々について聞きたいのなら話すけれども。でも、話そうとしてまとめていた訳じゃないから上手く話せないかも……」
「要するに、すぐにはまとまらないのね? それなら、私が先に話すからあとで聞かせて……」
作品名:リスティア異聞録 4.2章 ライラは生きたいと願った 作家名:t_ishida