リスティア異聞録 4.2章 ライラは生きたいと願った
ここは寒風吹き荒ぶ北国。騎士道の国。若き王レオンの治めるユニオンである。彼女はユニオン東端の国境付近、更に東にアラヴィス山を臨む山麓の村で生まれた。ひたすら険しいばかりの土地。農業に適している訳でもなく、かといって珍しい鉱物が採れる訳でもない。ただ、ひたすらに山地。しかし、そのような土地故に牧畜と山の恵で日々の糧を得て、都会の煩わしさとは無縁の静かな暮しが出来る。そのような田舎であった。
「この山では代々そのように生きてきたし、これからもそうするのだと思う」
彼女が代わり映えのしない毎日について考えながら、新緑の山の尾根で薬草を摘み歩く北国の短い夏のある日のことである。そう、代わり映えしないということは出口が見えないということである。面白い訳でもなく、かといってつまらない訳でもない。生まれてからずっとそのように暮らしてきたし、他の生き方を知っている訳でもない。ただ、漠然と面白くもなく、かといってつまらい訳でもない「昨日によく似た今日を送るばかりの毎日」 を思い返しては、自らに「これで良いのだ」と納得させる必要が有っただけのこと。何故、それが必要なのかについては分からなかったけれども、そうしてみただけのこと。この村では皆がそのようにして生きてきたから、それに倣っただけのこと。年に似つかわしくない思索にふける彼女の名前はライラ、この時10才になったばかりである。草色のワンピースに前掛け、黒いおさげ髪を揺らして山道を歩く。ようやく必要とされていた薬草を摘み終えて、時間を確認するために太陽の高さを見る。うっかり直視してしまって、クシャミをひとつする。目に光の名残が残ってシバシバさせる。どうやら予定よりも一刻ばかり早く摘み終えただろうか。
「よしッ!」
彼女は小さくガッツポーズをキメる。昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも時間を縮めて予定をこなすのが彼女の細やかな楽しみであった。急いで歩いたせいであろうか、少し喉も乾いたし麓の小川に寄って行くことにした。
麓の小川に到着すると、生い茂った木々の隙間から木漏れ日が小川に反射して世界をキラキラとさせていた。全ての生命が、世界の構成要素の全てが、拒絶も否定もしない光景である。ライラはここが好きであった。人は何故生きるのかは分からない。しかし、人が人と共に生きなければならないからこそ、生きることに意味を求めるのだろうことは分かる。例えば、この小川のような世界に生み落とされたのならば、生きることにも死ぬことにも大した意味を求めないはずだ。この場所へ来る度、言葉にならないまでもライラは漠然とそのようなことを感じていた。ライラは薬草を詰めたバスケットを脇に置いて小川の水を手で一掬い口へ運ぶ。冷たい。その温度が食道を通り、腑へと落ちていくのを感じる。生命とはこういうこと。ライラは思った。冷たい水が体温で温められて、自分と同化していくのを感じる。ライラは感じた。ひとしきりその感覚を楽しむと、今度は暑さに火照った顔を拭いたくて、もうひと掬いしようとした。しかし、そこに川魚の姿を見付けて手を止める。無駄に驚かせるのも偲びないので、魚が通り過ぎるのを待ってから一掬いする。顔にパシャリとかけて軽く汗を流す。
「ふーッ……」
彼女は平で大きめの石の上に大の字になって横たわる。キラキラと光る小川、どこまでも続く青い空、大きな山、ちっぽけな自分、顔の横をウロウロとしている小さな蟻。世界がニコニコとしている。そしてニコニコした世界と共に自分が居る。そう感じた夏の朝のこと。
ライラが摘んだ薬草を持って家に帰ってくると母が昼食の支度をしていた。美味しそうな匂いが辺りを包んでいる。この若い母親はユニオン首都の生まれであったが都会の喧騒としがらみを嫌って結婚を機に夫の実家であるアラヴィス山の麓へと移り住んできたのだ。彼女の凄いのは、そのように言いながら都会生まれが田舎暮しを始めると、自分で望んだことのクセに不満ばかり口にして、しまいには都会へ戻ってしまうのが相場と決まっているところを不満ひとつ漏らさず、それどころか完全に順応してしまったところである。挙句の果てには、不便な点を見付けては、自分で相違工夫を凝らして効率化を図り、それで得たノウハウを共有して、ご近所さんからも頼られる存在となってしまった。ともかくな毎日が楽しくて仕方の無い様子である。
「あらライラ、お帰りなさい。随分いっぱい採れたのねー」
ライラに行かせていた薬草の定期的な収穫も彼女のアイデアである。以前は自然に群生していた薬草を収穫していたのだが、自然群生の薬草を見付ける手間を嫌って、有用な薬草を比較的収穫し易いポイントで栽培するようにした。そして手の空いている子供達に見回りさせながら一定量の収穫をさせる。これにより大人の手を使わずに薬草の収穫を得られるようになり、乱獲の心配がなくなり、市場流通量をある程度コントロール出来るようになり、さらに若干ではあるが春から秋にかけての収益を安定的に増やすことが出来た。このことから畜産の収益が減った年の冬でも困窮することが減ったのである。このアイデアがきっかけで、ライラの母は一躍有名になったのである。
母がスープ鍋の火を止めて薬草の検品を始める。
「うん、完璧! よく出来ました。じゃあ、これは家の裏で干しておいて。それと、ご飯を食べたら一昨日干していた分をお爺ちゃんの作業小屋へ持って行ってね」
ライラの祖父は村の薬師である。アラヴィス山でとれる薬草を煎じて薬にすることを半世紀に渡って仕事にしてきた。若い時分は、この村で一番の変人であり天才でもあった。彼を慕って女共が寄ってくれば「生涯子供が出来なくなる薬をお前の為に煎じてやろうか?」などと言ってからかうような有様で、やがて誰も彼に近付かなくなった。しかし、40を過ぎたある日のことである。気紛れに「この仕事は村にとって必要なこだが、いつか自分が死んであしまえば、誰も継ぐ者が居なくなるではないか」と考えた。そこで彼は煎じた薬を入れる袋に「嫁が欲しい」と書いた紙を挟むようにした。すると村は、村一番の元気な娘を供物のように彼に捧げたのである。娘は元気な息子を産み、子供が手離れする位まで育てると、流行り病にかかって死んでしまった。ライラの祖母、彼女は死に際「変な結婚だったし、はじめは戸惑ったけれども、今は自信を持って言える。私はこの村で誰よりも幸せだった。でも、心残りがひとつだけ有るわ。あなた達とまだまだ一緒に生きていたかった……」と言い残した。 彼は、それを聞いた、その夜、一晩中泣いていた。爺さんが泣いているのを見たのはあとにも先にもそれ一回だけだったと言う。ともかく、ライラの爺さんは薬剤師をしている。「薬の勉強をさせるために首都にやったら薬師の嫁を連れて帰ってきて、自分は動物の面倒ばかり見ている。死んだアイツに似て賢くなり過ぎたわい」と悪態ばかりついているジジイである。ライラはこのとっつき辛いジジイが好きであった。
「分かった。あとでお爺ちゃんのところへ薬草を持っていけば良いのね?」
作品名:リスティア異聞録 4.2章 ライラは生きたいと願った 作家名:t_ishida