サヨナライツカ
「三年ぶり……くらいか?」
「円堂の結婚式以来だから、そうだな」
「でも、あの時はあんまり話せなかったよな」
「皆で大騒ぎだったからな」
そこへ部屋の扉が開かれ、店員が酒と食べ物を運んで来て会話が途切れた。「失礼します」と店員が扉を閉めると、居酒屋の
個室には沈黙が広がり、別室からの騒ぎ声がかすかに届いた。
「……とりあえず、乾杯しようか」
綱海がそう言って、ビールの入ったジョッキを掲げた。
「なにに?」
「んー、再会に、とか?」
風丸もジョッキを掲げ、綱海のそれと乾杯する。カチンと、ちいさくジョッキが鳴いた。風丸はジョッキのビールをごくごくと一気に半分ほど飲みこんだ。普段ならこんな飲み方はしなかったが、いまはこうでもしなければ口からなにか飛びだしてしまいそうだった。
「今日は突然で悪かったな」
「いや、いいよ。俺こそ仕事で遅れてごめん」
「いいっていいって、仕事なんだし」
そこでまた会話が途切れ、ふたりで静かにビールを飲んだり、食べ物をつまんだりした。
風丸には、綱海に聞きたいことがたくさんあった。突然会いに来た理由、いまなにをしているのか、いままでなにをしていたのか。けれども、それを口にして触れるのは怖かった。
(こうやって綱海と向きあうなんて、あの日以来だな)
六年前の冬が終わりを告げる頃、風丸と綱海は別れた。
綱海が高校二年生、風丸が高校一年生の時にふたりは恋人同士になった。綱海は東京にあるサッカー強豪校から入学の誘いを受けて、中学卒業と同時に上京した。高校を卒業してからは夏にはサーフィンのインストラクター、冬は少年サッカーチームの臨時コーチとして生計を立てていた。風丸は高校卒業後、国公立大学へ進んだ。しかし通学するには実家から距離があり、一人暮らしを始めることになった。その時、綱海の「ふたりで暮らせばいろいろと得じゃね?」の一言により、同棲することになった。
あの頃の日々は、なにもかもすべてが波打ち際のようにきらきらと輝いて見えた。つまらないケンカをしたりもしたが、次の日にはいつものふたりに戻っていた。本当に、本当にとても幸せな日々だった。ずっとこんな毎日が続くのだろうと、根拠のない希望であふれていた。
そんな日々に疑問を覚えたきっかけを風丸は憶えていない。もしかしたら最初からちいさな染みのようにふたりの間に亀裂があり、それがだんだんとおおきな染みになっていったのかもしれない。
(このまま一緒にいたら、ふたりとも駄目になる気がする……)
不安は日を重ねるたびにおおきく風丸の心を占領していった。
(これ以上、俺たちの道の先にはなにもないんじゃないかな……)
出口のない迷路の袋小路に入りこんでしまって出られなくなった時、風丸は意を決して綱海に別れようと、短く終わりを告げた。
予想通り、綱海は反対した。別れる理由が理解できないし、そんなものどこにもないと主張した。
「なんでそんなこと言うんだよ。オレたちうまくやってるじゃん」
「うん、それは俺もそう思う」
「だったらなんで――」
「綱海と一緒にいると楽しいよ。すっごく幸せだ。これ以上の幸せなんてないんじゃないかなって錯覚するくらいに。でも、そんな訳ないだろ? 俺たち、もっと幸せになれるはずだろ? でも、綱海といると……お前が俺と一緒にいると、その幸せも逃しそうな気がする。幸せなんだけど、俺たちの幸せにこれ以上先の道はない気がするんだ」
風丸にとって、綱海と過ごす日々は幸せだった。幸せでしかなかった。それ以上でもそれ以下でもない。だとしたら、この幸せは永遠に続くものなのだろうか。風丸がそう考えた時、これから先、何年何十年と綱海とふたり並んで歩く未来がどうしても想像できなかった。
「……なに言ってんのかわかんねぇよ」
綱海は上着をつかんで部屋を飛び出した。風丸は綱海を呼び止めたが、玄関からドアがふたりを隔絶する冷たい音が部屋に響いただけだった。
次の日、風丸が大学から帰ると綱海は部屋に戻っていた。昨夜の話を繰り返す。綱海は意地でも首を縦に振らなかった。しかし風丸も引かなかった。もう、後戻りするつもりはまったくなかった。
そんな毎日が続いて一週間後、綱海は「……わかった」と風丸の意志を半ば諦めのようにちいさく受けとめた。
綱海の言葉を聞いて、風丸は正直肩の荷が下りたようにほっとしてしまった。これで、いい。間違いなんてなにひとつない。
安堵して気が抜けた風丸に、綱海は向き直って「ただし、」と言葉を告げた。
(あの時、綱海が言った言葉は――)